特別展「深海」は10年以上前から構想、3年前にスタート!
今わかっている「深海のすべて」を、みなさんに見ていただきたかった
ー 特別展「深海」はもちろん、深海生物を取り上げたテレビ番組も大人気ですね。今、ちょっとした「深海」ブームですが、これを見越しての特別展だったのでしょうか?
今回の特別展「深海」の企画が持ち上がったのは3年ほど前ですが、国立科学博物館(通称:科博)には7名ほど海の生物の研究をしている先生がいて、10年以上前から「深海展」をやりたいと思い、どういうものができるのかということを考えていました。
我々は20年以上にわたり日本周辺海域の「深海性動物相調査」を行なっています。駿河湾にはじまり、4年ごとに土佐湾、南西諸島、東北沖、そして今は日本海の調査をしていて、ちょうど20年です。だからこの節目に、日本の周辺海域にはどのような生物がいるのか、それを科博として明らかにしていこうと、最初は深海性動物の企画展をやろうと考えました。しかし、それじゃああまりおもしろくない。「All About 深海」。人間がどうやって深海に挑戦してきて、今一番進んでいる研究を通して深海の何がわかってきていて、どんな生物がいるのか、そういう、今わかっている「深海のすべて」を、なんとかみなさんに見ていただきたいと思ったのが3年前です。
「深海のすべて」となると、国立科学博物館が持っているものだけでは実現できません。日本で海の一番深い場所の調査をしているのは海洋研究開発機構(JAMSTEC:ジャムステック)です。そこでJAMSTECの藤倉克則博士に協力をお願いし、今回の特別展「深海」が立ち上がりました。JAMSTECが持っているテクノロジー、現在行なっている一番進んでいる研究、そして科博の先生方の持っている資料や標本を合わせ、さらに私はずっとダイオウイカの調査をしていたので、ダイオウイカについても公開できればと思っていました。特に、昨年(2012年6月〜7月)にはNHKのプロジェクトに参画し、深海でダイオウイカの動画を撮影することに挑戦していたので、もし撮影に成功すれば、すべてがうまくいくように特別展の構成を考えていたら、本当に撮影できちゃった。今年の1月からNHKがダイオウイカの深海での撮影成功のニュースや特別番組を流していたので、それによってみなさんの目に触れ、多くの方に興味を持ってもらったんでしょうね。
ー もし撮影に成功していなかったら、特別展の内容は変わっていましたか?
特別展「深海」の最後のコーナーで、ダイオウイカの撮影に成功した様子を大きなスクリーンに映しているのですが、それはできなかったですね。しかし、JAMSTEC(海洋研究開発機構)もNHKも、深海でいろいろな生物の撮影ができるようになりました。それはここ25年くらいという最近のことなんですよ。だからこの特別展では、標本と、生きている映像の両方を見ていただきたいというのが私のコンセプトのひとつでした。
特別展には「深海生物図鑑」というコーナーがあり、深海生物の標本が380点ほど並んでいるのですが、そこでは今までに撮影された生態映像も流しています。標本がグロテスクという方もいらっしゃいましたが、標本というのは、こういう生物がいたという証拠なんです。そしてそういう生物がどういうふうに生きているのか、そういうことが最近わかってきて、それを映像で見られるようになっています。だから標本と映像、両方を合わせて見てほしいですね。標本では色も変わっていますし、それが生きているときはどんな姿か、どう泳ぐか、そんなこともわかるようになっています。そういうところを感じていただけると、嬉しいですね。
ダイオウイカ撮影成功の裏には、10年にもわたる挑戦があった!
ー しかし、ものすごいタイミングでダイオウイカの撮影に成功しました。本などを読むと、その前の2年間はまったく撮影できていませんし、プロジェクトの最終年で、しかも潜水艇を使った撮影も初めてでした。なぜ撮影できたんでしょう? みなさんの情熱と執念が呼び寄せた奇跡としか思えません。
なぜ撮影できたのか、という答えは難しいのですが、もう10年近くダイオウイカの調査を続けていて、ダイオウイカを撮影できない理由がわかってきていました。
私は2002年から「たる流し縦縄漁」という、小笠原諸島の漁師の方が400〜700mの深海からソデイカやアカイカなどの大型のイカ類を獲る漁の仕掛けを参考にした調査用縦縄に、30秒間隔で5時間ほど撮影可能な「ロガー」と呼ばれる記録計とカメラをとりつけ、ダイオウイカの撮影を試みていました。小笠原諸島にはマッコウクジラがいるので、そのエサとなる大型のイカ類、つまりダイオウイカもいるはずだという想定で、マッコウクジラの行動を研究している東京大学 海洋研究所の天野雅男先生と一緒に調査をはじめました。百回以上もロガーを下ろし、いろいろな深海生物を撮影できましたが、2年間はダイオウイカの撮影はできませんでした。しかし調査をはじめてから3年目の2004年、NHKがこの調査をおもしろいと興味を持って取材が入っていたとき、水深をマッコウクジラの潜るところに絞り込んでから4日目となる9月30日、ロガーを取り付けた縦縄の針に太いロープのような長いイカの腕がついていた。まぎれもないダイオウイカの触腕でした。触腕が針についているということは、撮影もできているかもしれない。撮影した約600枚のうち、200枚以上にダイオウイカが写っていたのです。世界ではじめてダイオウイカの撮影に成功しました。
ダイオウイカは、ヨーロッパでは「クラーケン」と呼ばれ、18世紀の終盤あたりから船乗りたちの間では船を沈める超巨大な伝説上の生物でした。1857年、北西大西洋の海岸に打ち上げられた巨大なイカの死骸から研究がはじまり、ダイオウイカと名前が付けられてから150年以上たっても、生きて泳ぐ姿は確認されていませんでした。その撮影に成功し、はじめて科学的に解明されたとあって、海外からの反響の大きさはすごいものでした。
その後、2006年には調査用縦縄と同時に仕掛けていた漁業用の縦縄で、偶然ダイオウイカを釣り上げてしまった。次はいよいよ、ダイオウイカが深海で動いている様子を撮影したい。NHKと一緒にアイデアを出し合い小型のビデオカメラを開発し、大型の調査船を使って大規模な調査、撮影を20回以上も行ないましたが、さっぱりダイオウイカの姿を見ることができなくなってしまった。しかしこのとき、ダイオウイカ撮影のヒントを得ていました。
深海では強い明かりがないと撮影ができないのですが、強い光ではダイオウイカが逃げてしまう。しかし、赤いフィルターをかけた、赤い光のときだけは、イカが明かりに気がついていないように自然にしていたのに気がつきました。ダイオウイカも、赤い光なら気がつかないかもしれない。ここからダイオウイカ撮影のための機材の改良がすすめられました。ダイオウイカには見えない、特殊な赤いライトが開発され、さらに暗闇でもきれいに撮影できる超高感度ハイビジョンカメラを使用できることになった。
2009年10月、NHKはディスカバリーチャンネルと共同で大きなプロジェクトを立ち上げました。深海でダイオウイカの撮影をするだけではなく、深海調査ができる特別な潜水艇「トライトン」(透明の強化アクリル球の運転席を持ち、海の中をほぼ全方向見ることができる乗組員3名の潜水艇。深海1,000mまで潜水できる)を使い、ダイオウイカと人間を遭遇させるというものです。実際にダイオウイカを人間の目で見る。そのため世界中の研究者を集め、私が日本代表の研究者として参加しました。他にはアメリカのエディス・ウィダー博士、テキサスA&M大学のランドール・デイビス博士、そしてニュージーランドからスティーブ・オーシェー博士が参加し、それぞれ異なる手法でダイオウイカの撮影に挑戦することになりました。
どうしたらダイオウイカを撮れるのか? カメラの前に出てきてくれるのか? 今までもロガーの前にエサを下ろし、エサに誘因されたダイオウイカを撮影してきたので、私はエサを使う方法で挑戦しようと決めました。しかし、ただエサを置いておけばいいわけではない。エサとなるソデイカが自然と深海へと沈むよう考えました。
ウィダー博士は、イージェリーという擬似的に生物発光するクラゲのような装置でダイオウイカを引き寄せる方法を、オーシェー博士はダイオウイカをすりつぶしたジュースをまいておびき寄せるフェロモンを用いた方法、ランドール博士はマッコウクジラに吸盤でカメラを取り付ける方法で挑戦しました。
最初に撮影に成功したのはウィダー博士のイージェリーでした。30時間にもわたって自動で撮影できるカメラ「メドゥーサ」に、イージェリーを取り付けたものです。しかし、目の前にダイオウイカが出てきたのは、私のエサを使った方法でした。なんで撮影できたかは、2002年からずっとカメラを使って調査をしてきて、これじゃなきゃ撮れない、こうしないとダイオウイカは出てこないという状況がだんだんわかってきていて、ダイオウイカが出てくる条件を絞り込み、整えることができたからだと思います。
私とジムという潜水艇のパイロット、杉田さんというカメラマンの3人がトライトンに乗って4回目、私がこの状態ならダイオウイカが出てきてもいいんじゃないかな、と、本当にそう思える状況をつくり出せたときに出てきた。いろいろ考えて、やってみて、ようやく出てきてくれた。私の想定が当たったということだけど、何よりも“持っている”んだろうね(笑)。こう言うと自慢みたいになっちゃうかもしれないけど、世界で一番最初に深海にいるダイオウイカの静止画を撮影したのも、生きているダイオウイカを釣り上げてビデオに記録したのも、今回潜水艇を使って深海で動画を撮影したのも、全部私なんだよね。やっぱり、何かあるんだよ。何かないと出てこないよね(笑)。
ー ダイオウイカが目の前に現れたときというのは、夢のような感じでしたか?
夢というか、想定をつくって、この状態なら出てきたもおかしくないだろうと思ったら、“ドっ”と出てきた。「出てきちゃった」という感じでしたね。
やさしく言うと、考え方は“釣り”なんですよね。海の中にいるものを、どうやってアトラクトして、エサのところに引き寄せるかなんですね。
ー カメラを開発したり、いろいろと工夫されていましたが、これからの深海調査にあたり、どんな技術的な進歩があると調査が進みますか?
基本的な技術はもうあると思います。あとはそれをいかに数多く、予算をかけずにできるかだと思います。最初は自動車も高くてほんの一握りの人しか乗れなかったけど、今は誰もが買うことができるし、タクシーのように必要なときに手軽に利用することができる。それと同じで、トライトンのような潜水艇も、もっといっぱいできて、タクシーに乗るくらいな感じでちょっと1,000mの深海へ、ということになれば、そしてライトもLEDが本当に良くなっているし、モニタも進化しているので、肉眼で見えなくても、深海の様子をモニタでちゃんと見られれば、深海の調査はもっと進みますよね。
ー 宇宙旅行はだんだんと現実味を帯びてきましたが、深海旅行という可能性もありますか?
可能性はあるでしょうね。そういうふうになればいいね。
ー 2006年にダイオウイカを釣り上げていますよね? それもものすごいことだと思うのですが、釣り上げてしまうのと、深海で見るのとは、意味合いとして、どのような違いがあるんですか?
意味は全然違いますね。釣り上げるということは、その時点で彼らは自由の身ではないわけです。本来の600〜700mなどの深海から引き上げられているので、本当の姿ではない。白い太陽光の下では色も違う。捉えられて苦しんでいる状態を見ているだけです。
深海に潜ってそばで見るというのは、彼らの自然な姿を見ることなんです。エサをどう捕まえ、どう抱え、どのように潜るのか。彼らの生息するところで直接見るのと、無理矢理引っぱり上げて見るのとでは、まったく次元の違うことなんです。
■ 次はいよいよ窪寺博士の子ども時代、そしてダイオウイカの研究へ至った秘密に迫る!
【体験レポート】特別展「深海」- 挑戦の歩みと驚異の生きものたち-に行ってきた!
深海の怪物 ダイオウイカを追え!
窪寺恒己著/ポプラ社/1,365円(税込)
深海に生息し、最大で全長18mを超えると言われるダイオウイカ。海洋生物学者の窪寺博士は、そんな幻の怪物を10年以上にもわたって調査し続け、2012年、NHK・ディスカバリーチャンネルなどのテレビと協力し、ついに世界で初めて、その生きて深海を泳ぎまわる姿を撮影することに成功した。謎に包まれたダイオウイカを追い続けた窪寺博士の挑戦を追う!
1951年東京生まれ。北海道大学水産学部大学院を修了。水産学博士。米オレゴン州立大学海洋学部での研究助手を経て、1984年から国立科学博物館勤務。海生無脊椎動物研究グループ長などを務めた後、2011年から標本資料センター・コレクションディレクター。2002年から小笠原近海で中深海性の大型イカ類の調査をはじめ、2012年、NHK、ディスカバリーチャンネルなどと協力し、世界で初めて生きたダイオウイカの姿をとらえる。ダイオウイカ研究の世界的権威。2007年、米ニューズウィーク誌の「世界が尊敬する100人の日本人」の1人に選ばれた。窪寺恒己(くぼでらつねみ)
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