一流の選手が、一流の技術を次世代へ伝える
コナミスポーツクラブでは2002年頃から、水泳・体操の日本トップクラスの選手を社員として雇用することで、選手が思う存分、競技に打ち込める環境を用意している。そしてそれは、現役引退後のセカンドキャリアとして、インストラクター、コーチ、本社勤務などの道をも用意するとともに、その一流の技術を、さまざまなトレーニング方法で次世代を担う子どもたちへ伝え、世界に誇る選手の育成と、各競技の普及発展に貢献している。
水泳の大塚一輝選手もそのうちのひとり。しかし少々異なるのは、一度、引退を宣言し競技生活を終えたためインストラクターになったものの現役に復帰、現在はインストラクターをしながら、2016年のリオデジャネイロ オリンピックを目指している。
二度の挫折から引退、しかし現役復帰、三度オリンピックを目指す!
ー ケガから復帰してすぐに6月の「ジャパンオープン2014」でしたが、ケガの状態、そして手応えはどうでしたか?
今年4月に手首を骨折してしまい、治るまでの1ヵ月はまったく泳げず、陸上でのトレーニングを行ないました。とてももどかしい時間でした。今回は200m平泳ぎが15位と、順位や記録は納得できるものではありませんでしたが、ケガをしてからよくここまで戻ったなとは思っています。4月にケガをして1ヵ月はまったく泳げず、治ってすぐ6月には試合だったので、その中ではけっこうできたのかなと思っています。
ー 子どもの頃から、オリンピック出場を目標にしていたのですか?
そうですね。子どもの頃から夢はオリンピックに出ることでした。水泳を習いはじめたのは、確か2歳か3歳くらい。家族で市民プールに遊びに行ったときに溺れてしまい、泳げるようになった方がいいね、というようなことがきっかけだったと思います。しかし習いはじめの頃は、泣いてしまって全然プールに入れませんでした。溺れたから水が怖いということではなくて、僕の場合は親から離れられなかったんですね。インストラクターとして2〜3歳の子どものクラスも持っていますが、泣いちゃう子どもは、環境に慣れなかったり、水が怖かったり、僕のように親離れができなかったりと、いくつか原因があります。しかし親から離れるのが平気になって、顔を水につけられたり、バタ足ができるようになったり、泳ぎをどんどん覚えるようになると、水泳がとても楽しくなりました。平泳ぎやバタフライができるようになった喜びは、今でも覚えています。それからずっと、20年以上、水とは付き合っています。
平泳ぎに目覚めたのは小学2、3年生くらいのとき。他の泳ぎは一緒に水泳を習っていた子よりも遅かったけれど、平泳ぎだけは前で泳げていたので、自然と好きになりました。僕はヒザなどの関節が柔らかいので、それが平泳ぎに向いていたのだと思います。そのときからずっと平泳ぎですね。地域の試合があって、それで標準記録を切ると全国大会、今でもジュニアオリンピックというのがありますが、それに出場できます。僕は小学5年生のときに全国大会でメダルを獲ったので、これより大きな大会ってどんな大会だろうと、自然とオリンピックが目標になっていきました。
小学生くらいのときはオリンピックは漠然とした夢でしたが、水泳を続けているなかで、ちょっとずつ夢が近づいてきている実感がありました。そして大学1年生のときに日本学生選手権の200m平泳ぎで優勝したことで、その翌年に行なわれる北京オリンピック選考会で、オリンピック出場を狙えると思いました。結果的には4位でオリンピック出場を果たせず悔しい思いをしましたが、4年後のロンドンオリンピックを目指して、すぐに動きはじめました。
ー あと一歩のところでオリンピックの夢が叶いませんでしたが、気持ちはすぐに切り替えられましたか?
ショックで多少落ち込みましたが、挫折というほどでもなく、まだまだこれからという思いもあって、すぐにロンドンオリンピックに向けてスムーズに気持ちは着り替えられました。
ー しかしロンドンオリンピックの選考会でも、あと一歩のところでオリンピック出場を逃してしまいます。
ロンドンで終わりという気持ちでやっていて、そこでダメならこれ以上続けていてもしょうがないと思っていました。4年前の北京オリンピック選考会のときと比べて記録は伸びましたが順位は変わらなかったし、これが限界なのかなと思いました。それで、もう辞めようと、水泳から離れました。水泳を辞めてインストラクターになろうと思っていましたが、何をしていいのかよくわからなくて、ぼんやりしてましたね。会社の意向でそのまま残らせてもらったけれど、水泳はもうやることないだろうなと思って過ごしていました。
大塚一輝(おおつか かずき)
元水泳の日本代表選手。25歳。2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピック出場を目指したが、いずれもオリンピック選考会で4位となり代表を逃す。現在は「コナミスポーツクラブ所沢」で子どもたちに水泳を教えるかたわら、2016年のリオデジャネイロオリンピック出場に向けて再度トレーニングを開始。今年(2014年)4月の日本水泳選手権の前にプールサイドで転倒し骨折。しかし6月のジャパンオープン2014では健闘し、200m平泳ぎでは15位となった。
【戦歴】
・2010年FINA競泳ワールドカップ(リオデジャネイロ)200m 平泳ぎ金メダル
・2011年 ユニバーシアード競技大会(中国・深セン)200m 平泳ぎ銅メダル
・2014年6月 ジャパンオープン(50m) 200m 平泳ぎ15位
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