科学的な視点から忍者の謎に迫る「忍者展」!
ー 日本科学未来館で「忍者」の企画展、聞いただけでもワクワクします。
忍者(忍び)でおもしろいのは、それぞれの年代の方に、それぞれの忍者に対する興味や思い出があるということです。江戸時代以来、忍者については繰り返し物語がつくられ、それは今に続いています。だから親子でも、忍者についてならいろいろな話ができるんですね。
ー 忍者は超人やヒーロー的なイメージで捉えられることが多いと思いますが、江戸時代の方々も、今の子どもたちも、忍者に憧れるところは同じですか?
やっぱり“忍者ならこんなことができるかもしれない”という、アメリカなど海外のスポーツでも超人的なプレイが出ると“NINJA!”と表現されますよね、そういう人並みはずれたことができる、もしくはできるかもしれないというところが、今も昔も人々をワクワクさせていると思います。本当はできないかもしれないけど、できそうに感じさせているのは、まさしく“忍術”です。
ー 今回は日本科学未来館で開催される企画展「The NINJA」ですが、どのような内容になりますか?
いろいろなところで「忍者展」が開催されてきましたが、今までは忍者はこんな道具を使い、こんな歴史を持っていますというものでした。しかし今回は、忍術書や古文書に書かれている内容に対して、理科系の専門家の先生が現代の科学の視点から調査し、それは理に叶っていたものなのか、さらにその知恵を現代に活かすことができるのかなど、科学という視点から忍者に迫っているという点で、今までの忍者展とは大きく異なります。
ー 子どもたちが忍者修行を体験できたりもするんですか?
できます。たとえば忍者は音を立てずに建物内に忍び込みます。いわゆる「抜き足・差し足・忍び足」ですが、その歩き方の体験や、忍者は匂いに敏感だったので何の匂いかを当てたり、単なるパネルの展示だけではなく、忍者についてさまざまなことを体験し、忍者はこういうことができて、こういうことを知っていた人たちなんだ、ということを体感してもらいたいですね。
忍者の保存食「兵糧丸」、忍術を行なう前の「印」に隠された秘密が解明!?
ー 先生は総合監修をされていますが、具体的にはどのようなことをされていたのですか?
忍術書、古文書に書かれている情報を理科系の先生方に提供し、科学的な視点から調査をしていただきました。調査において行なわれた実験内容については、私は文系なので詳しくありませんが(笑)、調査結果と昔の記録を見て、それがどのような意味を持つか、どのように忍者たちに関係していたのかなどを考え、企画展に反映しています。
ー 理科系の先生方の調査で、今回新たにわかったことなど、何か発見はありましたか?
忍者の食べ物では「兵糧丸(ひょうろうがん)」という丸薬状の保存食がよく知られていますが、この成分について分析したところ、カロリーが高く腹持ちが良いだけではなく、体を活性化させるという側面もあり、何かことに望むときには非常に効果が高いことがわかりました。
また忍者は手や指を使って“印”を結びますが、忍者がやっている仕草や行動が、実際にどのような効果があるのか、いくつか実証することができました。たとえば印には、精神を落ち着かせたり集中力を高める効果がありました。
忍者はどこからさまざまな知識を得ていたのか? 忍術学校もあった!?
ー そのような知識を、忍者はどのように学んだり、調べていたのでしょうか? 科学や自然に関する知識もたくさん持っていました。
ひとつは修験道(しゅげんどう)※1 の影響が強かったと思います。彼らは山から山を歩きまわり、自然や薬草に関する知識が豊富でした。忍者は修験道からそれらの知識を学んでいましたし、自分たちでも創意工夫をしていたでしょう。星から方角や時刻を知ることは感覚的にわかっていたと思いますし、いろいろな道具をつくったり、忍術書の中にはさまざまな知識が記されています。
専門家はある部分はすごく詳しいけれど他は知らないということがありがちですが、忍者はいろいろな分野に精通していたのがすごくて、さらに知識だけではなく実践していたところが素晴らしいですね。
※1 修験道(しゅげんどう)
山を神様の住むところと考え、悟りや霊力を得ることを目的に山に籠って厳しい修行をする人のこと。山伏など。
ー そのように蓄積した知識や技術は、たとえばアニメ「忍たま乱太郎」のように学校のようなものがあって次世代に伝えていたということはあるのでしょうか?
17世紀後半に書かれた「伊乱記(いらんき)」※2 という本によると、忍者たちは午前中は農業などそれぞれの仕事をし、午後になると集まって訓練をしていたと書かれています。やはりひとりでは限界があります。たとえば織田信雄軍※3 が攻めてきたときにどうするかは、事前にみんなで訓練していないと対処できないですよね。ここから攻められたら落とし穴を用意しておこうとか、そのため毎日集まって戦略を練ったり、トレーニングをしていました。
※2 伊乱記(いらんき)
天正七年(1579)年に起こった「天正伊賀の乱」の顛末を綴った書物。
※3 織田信雄
伊賀の忍者は織田信雄と争っていて、「天正伊賀の乱」は伊賀国で起こった織田氏と伊賀惣国一揆との戦いの総称。天正6年(1578年)〜天正7年(1579年)の戦を第一次、天正9年(1581年)の戦を第二次としている。
日本を影で動かしていた忍者たち
ー まわりの人たちは、そこに忍者の村があるとか、忍者がたくさんいるとか、そういうのは知っていたんですか?
室町時代から戦国時代までは、みんなが半分農業、半分忍者をしていました。そこからだんだんと忍びに長けた人、適した人が専門家となり、織豊期(しょくほうき)※4 には専業の忍者が生まれ、傭兵として雇われるようになりました。江戸時代になると忍者の家として固定化され、その家に生まれた子どもは幼い頃から修行をし、術を授けられます。地図には家の名前が書かれていたので、ここの家はそういう人たちだというのは、みんなわかっていたでしょう。
※4 織豊期(しょくほうき)
織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代。永禄11年(1568年)〜慶長8年(1603)の安土桃山時代。織豊時代(しょくほうじだい)とも言う。
ー 忍者として有名な「服部半蔵」も、襲名していく名前だったようですね。
初代の服部半蔵保長(やすなが)は伊賀生まれで忍者だったようですが、二代目半蔵の正成は三河生まれの武将で家康のもとで活躍しました。4代目半蔵からは三重県の桑名で家老として仕え、明治初めまで代々「半蔵」を襲名しました。
ー NHKの大河ドラマ『真田丸』でも徳川家の忍者として服部半蔵、真田家の忍者として猿飛佐助が出てきますが、史実に近く描かれているのでしょうか?
微妙なところですね(笑)。それぞれの大名のもとに忍者がいたのは確かだと思いますが、当時の資料にそういう名前では出てきませんし、実際どこまでやったのかも書かれていません。でも忍者が情報のやりとりなどを行ない、家康を逃がすために関わっていたのは確かだと思います。
ー 教科書には出てきませんが、日本が大きく動いたときに、実は忍者が密かに活躍していたということはあるんでしょうね。
家康が天下統一に向けて、「大坂の陣」や、その前のさまざまな戦いにおいても伊賀者・甲賀者が情報を集めていたというのは書物からも出てきます。
江戸時代になってからの忍者の活動は、お城の門番や警備などで、江戸城の「半蔵門」は服部半蔵正成の屋敷がこの門の脇にあったことで有名です。そして何かあると頼まれて探索に行ったりもしていました。
たとえば幕末には多くの外国船がやってきていたので、その状況を調べています。長野の松本城に「芥川家文書」※5 という書物があります。芥川家は甲賀流忍者の家なのですが、これによると函館まで外国船の探索に行っています。当時、函館は開港されて外国船がやってきて居留地になっていましたから、その状況を調べているんです。
※5 芥川家文書
松本藩には甲賀流の流れを汲む忍者「芥川家」が実在しており、松本城では芥川家の古文書9点を展示している。
日本にはまだ忍者が残っている!? 和菓子からも忍者がわかる
ー 先生は何を手がかりに忍者についての古文書や書物を見つけ、研究しているのでしょうか?
忍術書自体はけっこうまとまって残っているんです。「伊賀流忍者博物館」※6 にはコレクターの人たちが集めたものがたくさんありますし、先ほどの「芥川家文書」、そして名古屋の「蓬左文庫」(ほうさぶんこ)※7 にも忍術書があります。
難しいのは古記録とか、そういうなかに忍者がどのように出てくるのか、これはもう全部のページをめくらないとわかりませんので、たまたま見つけるとか、そういうこともありますよね。
あとは、まだ調査されていない書物もけっこうあると思います。この前知り合った方が伊賀流忍者の末裔で、秘蔵の書物があるそうです。
伊賀や甲賀の末裔の方はけっこういらっしゃいますし、江戸に移ってきた方もいて、そのような家には未だに公開したことのない書物がけっこうあると思います。今回の企画展を機会に、そういうものも発掘されていくと、もっともっと忍者のことがわかっていいんですけどね。
※6 伊賀流忍者博物館
三重県伊賀市の上野公園内にある忍者に関する博物館。あちこちに防衛のための仕掛けがほどこされた屋敷をはじめ、本物の忍具の展示、手裏剣打ちや忍術の体験もできる。忍者ショーも開催。
※7 名古屋市 蓬左文庫(ほうさぶんこ)
尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫。
ー まさに、まだ日本には忍者がいる、ということですね。そういう末裔のような方々は、今、どのようなお仕事をされているのでしょうか?
お医者さんや和菓子屋さんだったり、忍者的な仕事ではないですね。
でも三重県の関というところに「関の戸」という和菓子屋さんがあるのですが、そこのご主人は服部さんという方で、忍者の末裔です。この和菓子屋さんは昔から街道沿いにお店があるのですが、怪しい人がいないかチェックして報告していたようですね。
私は和菓子の研究をすると非常におもしろいと思っているんですよね。たとえば先ほど忍者の保存食「兵糧丸」の話をしましたが、この中にはニッキ※8 が入っているんです。ニッキは京都の八つ橋に入っていますよね。おそらく戦国時代、八つ橋は“戦のための食”という意味合いでつくられていて、しかし江戸時代になって戦がなくなり、その需要がなくなったため一般庶民用の和菓子に変わっていったんじゃないかと思っています。先ほどの「関の戸」の服部さんもおそらくそうなので、和菓子を研究すると忍者についてもいろいろなことがわかるのではないかと思っています。
※8 ニッキ
ニッキには、鎮静効能(神経の興奮を鎮めリラックスさせる効能)や鎮痛への効能(痛みの病気・症状への効能)、腹痛、下痢の改善、発熱、おう吐の予防などの効果がある。
【体験レポート】企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」に行ってきた! お笑いトリオ「パンサー」も忍者修行体験!
企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」
クールジャパンの代表格として、映画やアニメなどで世界中に広く知られている「忍者(NINJA)」。しかし実在した忍者の姿は、いまだ謎に満ちています。
近年、三重大学などの学術的研究によって「真実の忍者」が明らかになってきました。忍者は日本文化を体現した存在であり、忍術は自然や社会に対する多種多様な実践的知識の蓄積だったのです!
企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」(忍者展)では、そんな忍者の能力に科学の視点から迫ります。いったい忍者ってナンジャ!? その謎が明らかになる画期的な企画展です。
山田雄司(やまだ ゆうじ)
三重大学教授(日本古代・中世信仰史)。静岡県生まれ、京都大学文学部卒、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。怨霊・怪異など日本人の霊魂観に関する研究のほか、三重大学伊賀連携フィールドで忍者研究に携わる。主要著書に『怨霊とは何か』(中公新書)、『忍者の歴史』(KADOKAWA)、共編著に『忍者文芸研究読本』(笠間書院)、監修に『忍者修行マニュアル』(実業之日本社)など。
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