2018年11月10日(土)シアター・イメージフォーラムにて公開!
「障がい者へのタブーを潰さないと、次のヒントにつながらない」映画「地蔵とリビドー」笠谷圭見監督トークイベント
「アウトサイダー・アート」の魅力
そして作品以上に彼ら自身が魅力的
CMや広告をつくる仕事をしていて、そのスキルを活かして障害者アート「アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)※」の魅力を伝えていきたいと、2011年から活動をはじめました。
【映画紹介・予告編】地蔵とリビドー 2018年11月10日(土)シアター・イメージフォーラムにて公開!
最初は障害者アートを路上で展示したりゲリラ的なところからはじまり、写真集を出版したりしているなかで、やまなみ工房 施設長の山下完和さんから次は映像でもつくりませんかと、実は映像作品は今回で2作目になるのですが、つくりました。
活動をはじめた7年前は「アウトサイダー・アートってすごいんだ!」ってけっこうムキになっていて、「なんでみんなわからないんだ!」って思っていました。最近はちょっとずつ世間の理解も深まってきたこともあって、それほどムキになることもなくなりましたし、アートだけじゃなくて、彼らが本当に魅力的だなと思っています。
もともとこの映画は彼らの創作物の魅力を伝えるためにつくりはじめたんですが、撮影しているそばでずっとラーメンの袋をいじっている人がいたり、個人的には作品にはそれほど魅力は感じなかったけれど、山際正己さんは30年間ずっとお地蔵さんをつくり続けていて、その集中力や執着心がカッコイイなと思えてきました。彼らのアートへの想いが薄れたということではなく、他に目が向くようになったのは、はじめてからこの7年間で変化したことですね。
だからこの映画もアートを見せるというより、彼らが作品をつくっている過程をずっと写していて、それが他の人には真似できない集中力やパワーを感じさせる映像になったと思っています。
映画のタイトルは、編集をしていたらいろいろな人が「衝動」とかそれに近い意味の言葉を発していて、「リビドー」は「性的衝動」と言われますが、それはフロイト以降で、本来のラテン語では「人間が生きるうえでの根源的なエネルギー/衝動」でした。やまなみ工房で撮影しているときに感じたことそのものだったので、それをタイトルにしました。
※アウトサイダー・アート
正統な美術教育を受けていない人が制作したものではあるが、アートとして扱われている作品のこと。フランスのジャン・デュビュッフェが1945年に「アール・ブリュット(生の芸術)」と呼んだことがはじまりで、「アウトサイダー・アート」はその英語版。2010年代には日本のアウトサイダー・アートとして障がい者の芸術が海外で展示され好評を得たことから、日本でもその認識は高まっている。
他者からの評価を気にしない
それが彼らのカッコよさ
僕もデザインや創作の仕事をしていますが、彼らをすごいな、かなわないなと思うのは、集中力もそうですが、基本的に、彼らは誰かに評価されるために作品をつくっていないんです。
障がい者のなかには1枚の絵を描くのに2年かけるなんて人がザラにいて、細かい緻密な絵を描くんです。制作途中はものすごく集中しているんですが、完成しても達成感とか、見てほしいとか、僕はこの映画を観てほしいと思ってつくっていますが、彼らは完成した瞬間にその創作物への興味を失くすんです。明らかに評価してもらうために作品をつくっているわけではなく、その純粋さには絶対にかなわないと感じます。
彼らのなかで作品の完成はそれぞれです。映画の中の吉川秀昭さんは、粘土をピアノ線で削り、「目 目 鼻 口」とつぶやきながら割り箸で点をつけていきますが、時間とともに粘土が硬くなって点をつけなくなったら完成です。
またある人は、画用紙いっぱいに塗りつぶして、それ以上描くと破けてしまうから完成。破ける前に施設の職員の方が引き上げる場合もあります。そして完成したらもう興味がなくて、それは “ゴミ” 同然なんです。
やまなみ工房 施設長の山下さんも、「つくった本人が興味を失っているから、自分たちがその作品をどのように扱い、どう評価していいかわからない」とおっしゃっていました。山下さんはユニークな方で、「ずっとゴミだと思っていたら、ある日、美術評論家が来て、“これは素晴らしい” と言ったから、それ以来額装してます」と冗談を言っていました。
でも外から評価してもらったり、見てくれた人が「すごい」と言ってくれたり、そういう作品に映ったものを受け止めることで作品が完成する、と言っていますね。
僕は今だにアートの定義付けができなくて、誰かがアートと言えばアートでいいかなと思っていますが、同じ美術業界の人でも、現代美術とアウトサイダー・アートをわけて考えている人もいるし、そういう区別なくアートとして評価する人もいます。それは映画の中でも描かれていますが、何が正しいとか正解がないからおもしろい世界なんだなと思います。見た人が決めればいいと思いますね。
障がい者だからと全員を平等には扱わない
カッコいいなと思ってもらえる人を選ぶ
作品でいうと、寝そべって墨で絵を描く岡元俊雄さんの作品は、いまだに絵を見るとゾワゾワします。生で見ると本当にすごくて、ものすごい迫力です。絵を見た現代美術家の半数は嫉妬して、批判して帰っていきます。強烈すぎて勝てないですよね。
この映画で扱った作家さんは、やはり映像作品なので、映像映えする人を選んでいます。それは、観た人に興味を持っていただかないとつくる意味がないと思うからです。
僕は展覧会のキュレーションや洋服のブランドのプロデュースもしていますが、絵画としてそれほどおもしろくなくても、洋服の柄を想像したとき、すごくカッコよくなるんじゃないかと、アウトプットによって選ぶ目線を変えています。
やまなみ工房 – PR-yプロデュース ファッションブランド「DISTORTION3」
http://nudemm.tumblr.com/
よく「障がい者全員を平等に扱わなけれダメじゃないか」と言われるんですが、一番避けたいことですよね。それほど良くない作品を見せて「障害者アートってすごいでしょ?」って言っても、何も知らずに見に来た人は、「やっぱり障害者のアートってたいしたことない」「気持ち悪い」「ようわからん」ってなりますよね。本当に自分がカッコいいな、これを人に伝えたいなと思うものだけを集めて展覧会をしたり、洋服をつくったり、今回の映画も、映像を見てカッコいいなと思ってもらえる人、という目線で選んでいます。
活動しはじめた頃はけっこうな反発があって、いじめみたいなメールもたくさん来ました。「平等に取りあげてほしい」とか、「障がい者を利用して金儲けしている」とか、気に入った人の絵をフランスに持って行ったら売れて、日本ではバカにされるけど海外では買ってくれるんだと思って積極的にフランスに行って紹介していたら、美術業界のディーラーさんから「何もわからん素人が何を勝手にやっているんだ」と説教されたこともあります。
洋服のブランドをつくったときも最初は怒られました。「絵画を洋服にプリントするなんて美術を冒涜している」とか、「何年も続ける気があるのか、覚悟はあるのか」とか。でも世界に向けて発表しはじめてから2019年に発表するコレクションで7シーズン目なので、ここまでくると批判されなくなりましたね。やっぱり続けないとダメなんですよね。
障がい者への接し方に進歩がない
タブーを潰さないと、次のヒントにつながらない
映画の最後にもありますが、以前、スタイリストとヘアメイクを入れて、ファッションフォトグラファーに彼らのポートレートを撮ってもらうという企画を持って行ったとき、やまなみ工房もさすがに、これは親御さんが何と言うかわからないからと説明しに行ったんです。
最初は「う〜ん」と即答できない親御さんもいらっしゃったんですが、「そういえばこの子の写真は1枚もない」ということに気が付いて。言葉は悪いけど、恥ずかしくて写真に残したくなかったと。でも、プロが撮影してくれるならぜひ撮ってほしいとなりました。何人か撮影しているうちに他の家族の方たちも撮ってほしいとなって、最終的には誰からもNGがなく、すごい人数になりました。
撮影したのはベルギー人のロブ・ワルバースという海外ではけっこう売れっ子のフォトグラファーなんですが、1回撮影にストップがかかったとき、「障がい者の顔を出して何が恥ずかしいんだ!」とキレたんです。日本人ってとにかく障がいはなかったことにしようとか、恥ずかしいから外に出さないようにしようとか、実は身内が一番差別しているんじゃないかと感じました。
障がいが重度の人はコミュニケーションもとれないし、触れられただけでパニックを起こす対人恐怖症の人もいるんですが、撮影現場ではすごくイキイキしていて、次はこの革ジャンを着たいとか、着たら対人恐怖症の人がものすごい厳つい顔をつくって、歩き方とか姿勢とか全部が一瞬で変わったんですよ。そのとき、ファッションの力ってすごいなとも思ったけど、障がい者だからこの人には触れたらいけないとか、まわりが勝手に腫れ物に触るようなことをして、接し方に進歩がなかっただけで、違う形のコミュニケーションをしたら彼らはすごいイキイキするんだってわかって、そのときに、タブーとされていることを潰さないと、次のヒントにつながらないというか、次のステージに行き着かないということを体感しました。
いろいろなアーティストやタレントを撮影しているロブも、「ここまですごい被写体を撮ったことがない、こんなにオーラのあるポートレートははじめてだ」って感激して泣いていました。僕らが勝手にタブーだと思って触れてこなかったところに、おもしろいことがあるんじゃないかと感じたし、彼らにも新しい気づきや変化がありました。映画には出ていないけど、70代の女性が撮影のためにはじめてお化粧したことをきっかけに、翌日から化粧をするようになりました。
僕は福祉業界の人間ではなく、やまなみ工房の魅力をデザインの力で発信するという立ち位置なので、しばられていたら新しいことは何もできません。ダメなときは他の人に止めてもらえばいいかなと、そういう役割だと思っています。
映画では障がい者の方の実名と顔が出ていて、これはとても珍しいことだと言われますが、彼らをアーティストと定義するなら必要なことですよね。ポートレート写真もあった方がいいと思っています。
障がい者は “かわいそうな人”?
以前はそういう思いもありましたが、障がい者がひとくくりに社会に順応できない人、無能な人というレッテルを貼られているのは違うなと、この活動を通して感じるようになりました。
アート目線でいうと、確かにすごい絵もあるけど、大半はそうでもありません。でもそれって健常者の世界でも同じで、センスの悪いデザイナーだっています。それと同じことなのに、障がい者の絵は全部良いとか、全部ダメとか、そういう風潮は根本から間違えていますよね。
障がい者の中にもすごい人がいて、でもなかなかそこにはスポットが当たらない。何か事件や困ったことを起こしたときだけニュースになったりして、そうするとやっぱり障がい者って怖いよね、危ないよねって言われる。でもそういうのは良くないなと、だから魅力にスポットを当てたら、彼らに対する見方が変わるかなと、実際に自分もそうだったし、そういうことを、いろいろな手段を使って伝えていきたいなと思っています。
【映画紹介・予告編】地蔵とリビドー 2018年11月10日(土)シアター・イメージフォーラムにて公開!
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