特別展「ポンペイ」は2022年4月3日(日)まで東京国立博物館で開催!
2000年前の人々の暮らしぶりから
ローマ帝国の凄さを実感!
大噴火により埋没した古代都市ポンペイをテーマとした特別展「ポンペイ」が、東京国立博物館で開催! 2022年1月13日(木)に開催された内覧会に行ってきました!
【イベント紹介】特別展「ポンペイ」2022年4月3日(日)まで東京国立博物館で開催!
入口を入ってすぐのところにある映像でヴェスヴィオ山の噴火を見ることができる。現在のヴェスヴィオ山は山頂が2つあるように見えますが、噴火前はひとつでした。山の形もだいぶ変わりました
イタリア・ナポリ近郊にあった古代ローマの都市ポンペイは、今から2000年ほど前の紀元79年、ヴェスヴィオ山の噴火によって発生した火砕流により一夜にして街全体が飲み込まれました。
女性犠牲者の石膏像。噴火物の堆積層に人間の遺体の形で空洞があり、そこに石膏を流し込み固まってから掘り出したもの
18世紀に発掘されるまで街はほぼ噴火当時の状態を保ったまま埋まっており、それはまるで当時の暮らしを伝えるタイムカプセル。特別展「ポンペイ」では、ナポリ国立考古学博物館所蔵のモザイク画、壁画、彫像、工芸品の傑作から豪華な食器、調理具といった日用品まで、同館が誇る名品を日本初公開含めて約150点を展示しています。
「バックス(ディオニュソス)とヴェスヴィオ山」。噴火が起こる前の山の姿が家の壁に描かれていました
さらにポンペイ最大の邸宅「ファウヌスの家」をはじめ、「竪琴奏者の家」「悲劇詩人の家」の3軒でそれぞれの一部を再現、当時の豊かな暮らしぶりを感じることができます。
紀元79年は日本では弥生時代。集落で米をつくり狩などをして生活をしていました。一方ポンペイではすでに水道が引かれ、パン屋があり、テルマエと呼ばれる公衆浴場、劇場や円形闘技場などの娯楽施設もありました。ローマ帝国の凄さを実感します。
2000年前の人々の暮らしぶりを見ることで、今の私たちの暮らしを再認識することができます。そして人間の本質は、あまり変わっていないことに改めて気付かされます。
水流を調節するバルブ。こうしたバルブが広く普及していたことは、ローマ人が水力学の高い技術を持っていたことを証明している
ちなみに、『バイオハザード』シリーズのポール・W・S・アンダーソンが監督を務めた映画に『ポンペイ』があります。ヴェスヴィオ火山の大噴火により火砕流に呑み込まれた古代都市ポンペイを舞台に、ひとりの男の愛と勇気を描いた歴史スペクタクル大作です。史実については定かではない部分もあるかもしれませんが、700度にも達する火砕流と300度以上もの火砕サージ※が一瞬で押し寄せてくる映像はなかなかの迫力。大量の灰が舞い岩も降り注ぎ、絶望しか感じられなかっただろうと思います。
映画『ポンペイ』
http://pompeii.gaga.ne.jp
※参考:「ポンペイで発見された「首なし遺体」本当の死因」(ナショナルジオグラフィック)
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/070300292/
また、日本にもポンペイのように火山によって埋まってしまった村があることを、特別展「ポンペイ」を見ていて思い出しました。高校生のときの遠足で訪れたところです。
1783年(天明3年)8月5日に浅間山が噴火、火砕流が発生し12キロ先の鎌原村が埋まってしまいました。鎌原村の鎌原観音堂は50段の階段を上ったところにありましたが、現在残っているのは15段のみ。その下の35段は火砕流に埋まっています。発掘調査をしたところ、下から11段目に若い女性がお年寄りの女性を背負うような格好の遺体が見つかり、娘が母を背負って逃げる途中で火砕流に襲われたものだと推測されています。
特別展「ポンペイ」では2000年前の人々の思想にも触れられる感覚を覚え、まるでタイムトラベルをしたかのようでした。特別展「ポンペイ」は、2022年4月3日(日)まで東京国立博物館で開催。中学生以下は無料です。
ポリュクレイトスクレイトス「槍を持つ人」。この大理石像は、ポリュクレイトスの有名なブロンズ像「槍を持つ人」(前450〜前440年)の数あるコピーの中でもっとも保存状態の良いものの1つ
擬アルカイック様式のアポロ
アレクサンドロス大王のためにリュシッポスが制作した「食卓のヘラクレス」のコピー
沐浴する直前のウェヌスの姿を表現した「ビキニのウェヌス」
1762年に発見された、市内の劇場付近の住宅の庭園入口に飾られていた俳優の彫像。住宅の装飾美術に劇場に関連するものを置くことが流行していた
新喜劇の仮面をかぶった4名の楽師の姿が描かれたオプス・ウェルミクラトゥムによるモザイク「辻音楽師」。メナンドロスの喜劇『神に憑かれた女』で演じられるキュベレ崇拝の行列を描いたものと考えられている
モザイクとは、石やガラスを切ってつくった小さなかけらを寄せあわせてつくった絵や文様のこと。ポンペイでは家の床をモザイクで飾っていました。最高品質もモザイクは、専門の工房でプロの職人たちがつくっていた
ポンペイの円形闘技場、市壁、大パラエストラ(列柱廊に囲まれた空間で、中央にプールや公衆浴場のある)を忠実に描写している「円形競技場での乱闘」
広い会場にモザイク画、壁画、彫像、工芸品をはじめ食器、調理具といった日用品まで約150点を展示
フレスコ画「マケドニア王子と哲学者」。中央の帽子をかぶり槍を持っているのがマケドニア王子
ギリシャ人にとって「哲学」は、人生の意義の探求だった。このモザイク「哲学者たち」の主題は、古代ギリシアの雄弁家や哲学者に典型的なヒマティオン姿の知識人たち
この「哲学者たち」はプラントの学園「アカデメイア」であると考える研究者もいて、もしそうなら、左から2番目はリュシアス、3番目はプラトンとなる
家父長制のローマと同じくポンペイでも女性の地位は高くなかったが、活躍した女性もいた。写真の肖像「エウマキア像」もそのひとり
ナポリ国立考古学博物館の中でももっとも有名な作品のひとつ、肖像画の「書字板と尖筆を持つ女性(通称:サッフォー)」
ローマ社会では、どの社会階層の者にも死が平等に訪れることを強く意識していた。モザイク画の「テーブル天使」は「メメント・モリ(死を忘れるな)」という通称がつけられている
裕福な家庭の貴重品を保管するための金庫(実際には鋼鉄版で補強された長櫃)
ポンペイには30軒ほどのパン屋があった。「パン屋の店先」では、当時の様子を伺える
噴火で焼けてしまったが、そのまま炭化したパンも見つかっている
「猛犬注意」のモザイクは、帝政期に大いに好まれた主題のひとつ
ポンペイ最大の邸宅「ファウヌスの家」で発見された「踊るファウヌス像」
「ファウヌスの家」で発見された「スフィンクスのテーブル脚」
「ファウヌスの家」で発見された品々を展示
「ファウヌスの家」で発見された「ナイル川風景」
「ファウヌスの家」で発見された「アレクサンドロス大王のモザイク」。345×585cmの大画面に、広大な帝国を築きながらも32歳で早逝したアレクサンドロス大王と、アケメネス期ペルシャの王ダレイオス3世との戦闘場面が描かれている。絵画と見紛うほどの細かなモザイク(写真は映像)
2,296平方メートルという広さがある大きな邸宅「竪琴奏者の家」の中庭のひとつを再現。「イヌとイノシシ」「ヘビ形噴水」などがある
「悲劇詩人の家」の一部を再現。「ファウヌスの家」や「竪琴奏者の家」に比べるとはるかに小さい家で、ポンペイ全体の中でも中の上あたり。しかし例外的に多くの神話画で彩られていた
キヅタの冠、ヤギ皮のマント、左手の小さなヒョウとブドウの房は、この男性が酒神バックスであることを示している