毒の世界へようこそ!
科博が取り上げるにふさわしいテーマ
ー “毒” には魅惑的な響きがありますし、怖さや強さの象徴でもあり多くの人が興味を持っていると思うのですが、今回 “毒” をテーマに特別展を開催しようと思ったのはなぜですか?
国立科学博物館(科博)は幅広いサイエンス(科学)に取り組んでいるところで、部としては「動物」「植物」「地学」「人類」「理工学」という5つの研究部があります。そしてこの5つの研究部すべてに関係している要素って意外とないんです。たとえば「理工学」は技術のことなので進化は関係ありませんし、鉱物もやはり生物(動物・植物)が外れてしまいます。しかし、“毒” って全部に関わっているんです。それで、全部の部が参加できるような展覧会が企画された、というのがひとつの背景です。
もうひとつは、“毒” への取り組みは人間の科学に対する取り組みとまったく同じだからです。人間も最初は毒にあたって死んでいました。動物の場合は毒で死んだらその動物がいなくなってしまうだけですが、人間の場合は「あいつはこれを食べて死んだんじゃないか?」という情報共有が行われます。それによって、後にそれが本当に毒かを確かめていきます。これはまさに科学的な取り組みで、科博が普及するべき方向性です。それで、こういう材料はまさに国立科学博物館でとりあげるにふさわしいということから “毒” がテーマに選ばれたんです。
ー 特別展「毒」の監修をされていますが、どんなところに注意をしたり工夫されていますか?
毒をどのようにまとめ、展示しようかなと思いました。私の専門はカビなどの目に見えない菌類で、見えないという意味では毒と同じです。しかしカビは集めることで見えるようになりますが、毒は本当に目に見えないんです。見えても透明な液体だったり白い粉、ガスだったりで、展示しても見栄えがしません。
毒を扱っている人の話を集めようかと思ったのですが、話はとてもおもしろいんですが散漫な感じになってしまい、毒をどのようにまとめて体系化するか、ストーリーにするかが、一番難しいところでした。
ー 毒だと触ったり体験することもできませんね。
味わっていただくわけにもいかないし、“痛み” は電気で疑似体験ができそうという案もありましたが、結果的には、本物の毒ではありませんが、匂いを感じていただくところに落ち着きました。
ー 開催まで1ヵ月をきりました。今はどのような準備をしていますか?
特別展はテーマが異なるとそれぞれでアプローチから準備、進め方も異なり、決まったやり方がありません。しかしどの特別展でも普通は展示の品目、それを説明するパネル、図録、音声ガイドの4つがあります。そして特に重要なのが品目を選ぶことと、それを補助的に説明するパネル、そして品目の横に置いてあるキャプション。いまはそれがほぼ揃い、原稿の修正などをしているところです。
展示って実は表現がとても自由なんです。たとえば小説は挿絵はあってもいいですが、すべてに絵をつけたら漫画になってしまいます。映画は一定期間お客さんを集めて、一定の時間で終わる映像をつくらなければなりません。でも展示では嗅覚に訴えたり、音を聴いていただいたり、触覚でも経験でもなんでもよくて、ひとつの物事に対していろいろなアプローチができるんです。それをどうするかを決めるのが大変で、これが展覧会の難しいところですね。
ある程度の制約の中で何をやるかを決める方がやりやすいですが、展示にはその制約がないので、これは映像を付けた方がいいとか、いや違う方がいいとか、デザイナーさんも含めた意見の調整をするのも僕の仕事で、そういう意味では総合演出のような立場と思っています。大変ですがおもしろさもありますね。
特に今回は自分の専門外で手を出せないところもいっぱいあるので、少なくとも僕がわかるようにするというのを心がけているのと、国立科学博物館の篠田謙一館長もよくおっしゃっていますが、「何を語るか、何で語るか」を大切にして品目を選びました。
ー 子どもと大人でも伝わりやすさ、受け取り方は異なるので、最適なアプローチを探るのは大変ですね。
そうですね。
【イベント紹介】特別展「毒」2022年11月1日(火)~2023年2月19日(日)に国立科学博物館で開催!
【イベントレポート】“毒” をわかりやすく、楽しく伝える 特別展「毒」イベントレポート!
われわれは毒を吸って生きている!?
漫画「風の谷のナウシカ」との共通点も
ー 特別展「毒」のパンフレットを見ていて改めて思ったのですが、毒を持つ生物は毒々しい姿形をしているものが多いです。巨大模型もあるそうですが、毒々しい姿の爬虫類や虫が苦手な人も大丈夫でしょうか?
苦手なものはやっぱり見るのは嫌かな(笑)。特に先端恐怖症の方は「イラガ」の幼虫のトゲなどは要注意ですね。飛んできそうです。
でも今回の巨大模型は、ハチ、ハブ、イラガの幼虫、イラクサなどのリアルさがすごいんです! これは “さすが国立科学博物館!” という感じで、それぞれの監修者の強い想い入れもあり、ものすごく精巧につくられています。「うわっ! こんなふうになっているのか!」と、苦手な生物が大きくなったというだけではなく、もっと別な形、知的好奇心をかき立てたり、自然がつくり出した仕組みを芸術のように見てほしいですね。
ー 巨大模型も見どころのひとつですが、他にはどのようなところに注目するといいでしょうか?
今回は5つの章にわかれています。最初の第1章は身近にある毒、ジャガイモやコーヒーなど食卓にのるものの中にも毒になるものがあるので、ここでは「何が毒になるのか?」ということを考えていただくきっかけになります。
第2章はこの展覧会の本丸。生き物から無生物まで、ありとあらゆる250点以上もの毒を集め、「動物」「植物」「菌類」「鉱物(無生物)」「人工物」にわけて体系的に毒というものが何かがわかるよう展示しています。さらにフグの「テトロドドキシン」のような有名な毒については深掘りしています。
第3章は国立科学博物館の得意分野と思いますが、“進化” という切り口から毒を見ています。毒があることでいろいろな生物が進化するきっかけになった、そういうエピソードをいくつか集めています。
この章で最初に登場する毒はとても意外な、どこにでもあるもので、「それって毒なの?」というものなのですが、なんだかわかりますか?
ー 身近というと植物の種類でしょうか?
植物ではないんですね。でも植物からつくられるもの、「酸素」なんです。
ー えっ!? 酸素? いま吸っている、この “酸素” ですか?
酸素ってわれわれには必要なものですが、太古の地球に酸素はなく、藻類が光合成でつくり出したものなんです。酸素はその名の通り物質を酸化させるので、海中のすべてのものを酸化し尽くすと、大気中に放出され満ちていきました。これがいまに続く酸素です。そして当時のほとんどの生物は、この酸素によって死んでしまいました。しかし、その酸性環境でこそ生きられる生物が生き残っていきます。
もうひとつは、その酸素が大気に満ちることによって、大気圏の上層部(成層圏)でオゾン層ができ、太陽から降り注いでいた有害な紫外線が入りづらくなりました。そのおかげで、生物が陸上にあがれるようになったんですね。
でも、酸素は今でも毒なんですよ。私たちの体にも余計な酸素を壊して除去する機能が備わっています。しかし、それでも残ってしまう酸素が「活性酸素」となり、老化や病気の原因になることがわかっています。
ー これはすごい話ですね!
ですよね(笑)。宮崎駿監督の描いた漫画「風の谷のナウシカ」を読んだことはありますか?
ー 映画は観ましたが、漫画は読んでいません。
※漫画「風の谷のナウシカ」のネタバレを含みます。ご注意ください。
漫画の最後の方は、まさにこういう話なんです。生物は吸えば死んでしまう瘴気※が満ちた世界に生きていているんですが、長い年月をかけて気づかぬうちに、それに対応するよう体が変化するとともに、多少の瘴気がないと生きられないようになっていた。人間も同じ、毒とともに生きて行かなければならないということがわかってしまう。それでも “生きなきゃ” 、という感動的なエンディングなんです。まさに酸素に囲まれたいまのわれわれも同じなんじゃないかなと思います。
※瘴気(しょうき):古代から19世紀ごろにかけて、病気を引き起こすと考えられていた「悪い空気」をさす言葉。「風の谷のナウシカ」の場合は腐海から発生する猛毒ガスのことで、5分で人間の肺を腐敗させ死に至らしめる。
毒の想像以上の広がりがすごすぎる!
新たな地質学的時代区分にも関係
第4章は人間の世界で毒がどのように認識され使われてきたかを歴史的に振り返ります。ここで大事なのが、昔は毒と知らずに食べた人は亡くなっていました。でも、どうやらあの葉っぱを食べると死ぬぞ、というのがわかってきて、「あの葉っぱは食べるな」となります。そして逆に、食べさせれば死ぬので、気に入らない相手を殺すのに使われるようになります。
さらになんでこれが “毒” なんだと考え、毒の作用がわかってくる。ここからが、知って、利用して、という科学的な態度で向き合うことになります。最終的にはそれを良い形で利用すれば薬になり、悪く使えば毒となります。毒には二面性があるんですね。この章では日本人が毒の解明にどのように関わってきたのかも紹介しています。
そして4章の最後で、毒が文化として根付いていく様子を紹介しています。これで一通り毒と向き合ったことになります。
終章はもう一度、いままでのことをまとめて「毒ってなんなのか?」をみんなで考えます。世界征服に毒が使えるかもしれないと考えた「鷹の爪団」が特別展に視察に訪れているので、一緒に考えてみてください(笑)。
毒は、次々と新たに生み出されてしまうものです。人間もつくっていますし、今まで毒として認識されていなかったものが毒になることもあります。たとえば「スギヒラタケ」というきのこは、20年前くらいまでは食べられていました。しかしあるとき、腎障害の人が食べると亡くなってしまうことがあることがわかりました。それによって急に毒きのこになってしまいました。
また昔の建物に耐火素材としてよく使用されていた「アスベスト(石綿)」も、その繊維が極めて細く、吸い込むことで肺がんを引き起こす原因となることが、使用されるようになって何十年も経ってからわかりました。さらに人間が新たな毒となる化学物質をつくり出していることもあり、われわれは決して毒から逃れることはできないんです。だからちゃんと向き合うことが必要なんです。
毒ってなんなのかを考えると、毒という絶対的なものがあるのではなく、毒性という性質があり、その性質が強調されると毒になり、また薬になる場合もあり、相対的なものだということがわかります。したがって、毒から逃げることはできないので、ちゃんと向き合い、その性質を場合によっては利用する。人間はそういう技術を持っているので、正しく、賢く利用して生きていこうではないか、ということです。
ー 毒は新たにつくられているとおっしゃっていましたが、先ほどの「スギヒラタケ」は、今まで持っていなかった毒を持ったという可能性もあるんですか?
「スギヒラタケ」の場合は、おそらくもともとその毒性はあったんですが、腎障害を持っている方しか発症しないので確率的にとても低く、認知されていなかったんだと思います。
しかしいま激しさを増している気候変動によって毒生物の分布が変わったり、人間の移動に伴って「ヒアリ」のように新たな毒が海外から運ばれてくることもあるんです。こういうのを「侵略的外来種」と言いますが、今までいなかったものが海外から持ち込まれる。自然に入ってくるわけではなく、人間が運んでくるんですね。
たった一種のホモサピエンスという動物が70億個体も増え、その動物の活動によって地球の環境が変わってしまったというのは、46億年の地球の歴史の中でかつてなかったことです。それで最近はこれを「人新世※(じんしんせい/アントロポシーン)」という時代として、地質的にも区別しようという考え方が出てきています。海外のある大学ではアントロポシーン学部があり、学問、研究対象になっています。人類はそれだけ大きなことをやってしまったんですね。“毒” を知っていくということは、人間の活動ってなんなのか、ということも考えるきっかけになっているんです。
※人新世(じんしんせい/アントロポシーン・アントロポセン):人類の活動が、数百万年という時間が経過した後においても地球規模で観測されうるような痕跡を残すようになった時代、またそのことを意識すべき時代、という意味で使われつつある言葉。「人類の時代」とも言える新たな地質学的時代区分。
ー 毒からまさかここまで広がるとは想像もつきませんでした。すごいですね。
幅広いんですよ。
青酸カリの100万倍! 最強の毒とは?
毒にあたってまず最初にやることは?
ー 漫画などで忍者が「幼い頃からさまざまな毒を摂取し耐性をつけているから毒を盛られても大丈夫」と言っていることがあるのですが、それは可能でしょうか?
それはどうですかねぇ(笑)。ノーコメントというか、少なくとも、良い子は真似しないでね、ですね(笑)。
ー 野生動物では、たとえばマングースはハブ、ラーテルはコブラの毒の耐性はありますよね。
耐性はあります。だからある程度その可能性もありますね。僕ははじめてビールを飲んだときは1杯で酔っ払ってしまいましたが、今はジョッキ1杯でも大丈夫です。それはアルコールに対する耐性ができているんです。
ー でも、あらゆる毒に効くというわけではないですよね。特定の毒には耐性があっても種類が異なる毒の耐性はできません。
そうですね。ちなみに図録でも紹介していますが、“最強の毒” って何だと思いますか?
ー フグのテトロドドキシンや青酸カリ、トリカブト、ヒ素などはニュースなどでもよく聞くので有名ですが、最強の毒はわかりません。
「ボツリヌストキシン」です。食中毒のボツリヌス菌が生産する毒で、1キログラムあたり0.000001ミリグラムを与えただけで半数の実験動物がポックリ逝ってしまいます。もう40年くらい前になりますが、辛子レンコンの食中毒事件があり、その原因がボツリヌストキシンでした。真空パックされていたのですが、ボツリヌストキシンは酸素がない環境が好きなので、加熱が十分でなかったために増えてしまったんです。一方、けいれんの治療や、顔のシワを目立たなくする美容に使われるボトックスには、このボツリヌストキシンを加工して利用しています。
ー ボツリヌス菌も身を守るためにボツリヌストキシンをつくり出しているんでしょうか?
身を守るための毒というよりも、単純に何かの代謝物を出していたらそれに毒性があった。しかし、毒によって自分たちを食べる生物がいない、自分にとって住みやすい環境にしていることも考えられます。ピーナッツに生えるカビにも毒をつくるものがいますが、ピーナッツはそのカビの食べ物であると同時に自分の居場所なので、ピーナッツを食べられなくした方がいいだろうということで、結果的にそういう菌が蔓延するということですね。
ー きのこは毒を持っているものが多いという印象です。きのこもそれほど身を守らないといけなかったということなのでしょうか?
広い意味では身を守るためですが、胞子の発芽に必要なので食べられた方がいいきのこもあり、ホントのところはまだよくわかってないんです。しかし、きのこの場合は単純に代謝でたまたま毒性のあるものが出てきていると考えた方が正しのではないか、と言っている研究者もいます。今回の監修者のひとりで、きのこ専門の保坂健太郎先生(国立科学博物館植物研究部菌類・藻類研究グループ研究主幹)も、きのこの毒は合目的的ではなく、たまたまつくっている、“ただそこにある毒” ではないか、とおっしゃっていますね。
一方で、フグは毒を持つことで実際に捕食されづらくなっています。これは最近わかったことで、NHKの「ダーウィンが来た!」※でやってました(笑)。だから聞き齧った知識ですが、クサフグの稚魚は母親フグから与えられた毒が体表にあり、ヒラメやメジナなどの捕食者に食べられても吐き出されるので、毒がちゃんと身を守るために使われているそうです。
※参考:「さかなクンと大研究!フグ最強伝説」(初回放送日:2021年1月10日)
https://www.nhk.jp/p/darwin/ts/8M52YNKXZ4/episode/te/YVVJ9J1PR6/
ー 人間はいろいろな工夫をして、わざわざ毒のあるものを食べようとします。たとえば「フグの卵巣の糠漬け」、そしてベニテングタケも毒抜きをして食べる地域があると聞いたことがあります。それは人間ならでの探究心がそのようにさせるのでしょうか? それとも食べた人は死んでしまったり、痛い目にあいましたが、そのおいしさが忘れられずなんとか食べたい、もしくは科学的に毒を分解する挑戦をした結果として食べるということでしょうか?
これは、私は探究心・好奇心からだと思います。それこそアントロポシーンの食あまりの時代には考えられないことですが、以前は飢餓状態がスタンダード、ですからなんでも食べようとしたのでしょう。その中で、「うまい」「食べられる」「うまいけど毒」「食べられるけど毒」「食べる気にもならない毒」みたいな仕分けがなされて、「うまいけど毒」はどうやって毒を抜くか、に落ち着いたんだと思います。フグの卵巣の粕漬なんて、どう考えても通常のセンスではありませんね。でもフグはうまいので、なんとかして食べようとしたのではないかと思います。
ー もしなんらかの毒にあたってしまったと思った場合、すべての毒に万能な初期対応というものはあるのでしょうか? まず水を飲みましょうとか、患部を水で洗っておきましょう、とか。
「毒にあたったらどうしましょう」という項目をこの特別展でも入れようと考えていたんです。でも食中毒とハチに刺されたときと、ヘビに噛まれたときでは対応が全然違うんですね。なので毒にあたったと感じたら、“とにかく早く病院へ行く” ということになります。
消去法で “菌類” の研究へ
16年におよぶ民間企業勤めから科博へ
ー 先生は「毒」というよりも菌類の研究が専門です。どのような研究をされているのでしょうか?
菌の姿が鋲に似ていることからつけられた「ビョウタケ」という名前のきのこがいて、それらの研究をしています。とても小さなきのこなんですが非常に多様性が高く、いろいろな種がいて、日本ではこの研究をしている方が全然いないのと、植物の根にも存在し植物と何か関係がありそうだということがわかってきていて、それに対する興味があります。「ビョウタケ」のような小さなきのこをあちらこちらから採取して試験管の中で培養し、DNAを採取してどのような性質があるかを調べています。毒をつくる種類もあるので、その代謝物を調べたり、そういうことをやっています。
ー 菌類の研究に進もうと思われたきっかけは?
実は、もともとは生物そのよりも生化学(生物体の構成物質および生物体内での化学反応を解明して生命現象を解明する学問)の方が好きで、大学は遺伝子工学がやりたくて入りました。しかし実際に勉強をはじめると難しいのと、僕にとってはちょっとややこしく感じられて(笑)、こういうのは向いてないと舵を切ることにしました。生物に関わることをやるなら生物のことをたくさん知っておいた方がいいので、身のまわりにたくさんある植物を考えましたが、植物を好きな人はたくさんいるし、科もたくさんあって複雑だなと。虫もそうですよね。それで海藻を思いつきましたが、海藻はわかっている種が多いんです。そうすると消去法で “菌類” が出てきたんですね。
また大学3年生のときに筑波大学 山岳科学センターの菅平高原実験所で、1週間ずっとカビなどの菌類を見る実習があったんです。カビってけっこう単純な姿をしているんですが、そこからどのようにして胞子をつくっているか、形から情報を読み取るというのがすごくおもしろくて、それでこの道にハマっちゃったんです(笑)。
ー でもそのまま研究者の道には進まず、製薬会社に就職されていますね。
菌類の場合は培養による応用研究が進んでいて、自然界から採取して培養すると、そこから「ペニシリン※」のような薬がつくれるようになるわけです。そういうのをやっている会社があるので、勉強した専門知識が活かせるんです。なので就職してやってみようと、会社に所属する研究者になりました。
※ペニシリン:1928年にイギリス・スコットランドのアレクサンダー・フレミングによって、アオカビに属する種類のカビから発見された抗生物質。
14年ほどしたら本社への転勤となり、糖尿病の薬の企画販売の部門に配属されました。そうすると、まったく研究ができなくなってしまったんです。もちろん、民間の会社ではずっと研究できることは少なくて、いずれは管理職になることが多いんです。でも「ちょっと自分には早すぎる、もう少し研究したいな」と思ったところに運よく国立科学博物館があり、これまた運よく入ることができた、というわけです。
研究者になりたい子どもたちにアドバイス
いろいろな経験をすることもとても大切
ー 国立科学博物館で研究は続けられることになりましたが、収入面はいかがですか?
それはやはり多くの場合、維持するのは難しいですよね。でも製薬会社にいたら今のような研究や、今回の特別展のような経験はできなかったでしょうし、なかなか行けないところにも行けたりするので、それだけの価値はあると思っています(笑)。
ー 昆虫や恐竜が好きだったり、研究が好きな子どもたちはたくさんいますが、それで食べていくのはなかなか難しいのが現実です。どうしたら好きなことで食べていけるか、先生からアドバイスをいただけますか?
まずは飽きずに続けることが大事だと思います。そして職業として選んだ場合、やりたくないこともやらないといけない、ということはたくさんありますので、その覚悟も必要です。
僕の場合、国立科学博物館での最大のミッションは標本庫の管理を復活させることだと認識していました。僕が来る前、国立科学博物館で菌類の研究をしている方はひとりしかいなくて、データベースなどが時代にあっていませんでした。標本というのはいろいろな方からの貸し出しに応じたり、こんな標本があるということを世に広げてこそ意味があるのですが、そこの部分が十分機能していませんでした。それをアップデートするというのが僕の仕事の第一だったので、研究よりも優先する必要がありました。そしてそれを数年かけてやっているうちに、最初に手掛けた特別展の話が来て、その準備にも3年くらいかかり、と、もちろんやると得るものも大きいんですが、職業にすると自分のやりたいことだけをやっていればいいわけではないし、与えられたことに対しても、それなりの責任が出てくるということは覚えておいてほしいですね。
そのうえで、やりたいことだけをやり続けられる趣味として続けることも考えてみてください。他の仕事でお金を稼げば趣味にもお金をかけてより深く楽しむこともできます。やりたいこともできるけれど、やりたくないこともやらなければならない職業にするのとどちらがいいかを天秤にかけて選ばなければなりません。
しかし子どもたちには、ひとつだけに絞らないで、まずは幅広い視野でいろいろなことを考えてほしいなと思います。僕の場合は民間企業にいたことが何よりの強みです。16年製薬会社で働き、そのうち13年半は研究職、2年半はビジネスマンでした。国立科学博物館は3社目のような感じで、それくらいそれぞれ違いがあるということを経験したおかげで、いま、さまざまなことができています。いろいろな経験をするというのは、とても大事なことだと思っています。
ー ビジネスマンの経験も、いま活きていますか?
ものすごく活きています。会議のやり方、議事録のつくり方、そういうのは社会生活の基本だと思うんですが、アカデミアだけにいるとあんまり学ばない人が多いんですよね(笑)。
ちなみに自分の名誉にも関わるのでお話しますが、標本庫は活動を開始し、いまや世界的にも認知され、貸し出しも頻繁に行なっています。そして保有している標本の数は日本で最大です。しかし、めざしているのは “日本で最大かつ最良の標本庫” で、数だけではなく一番良い菌の標本庫です。最大は達成したので、いまは最良もめざして続けています。それが達成できたら、僕の国立科学博物館でのミッションは終わり、と思っています(笑)。
ー 子どもたちは今回の特別展「毒」から、どのようなことを学んでほしいですか?
“毒” のように、ひとつのものを多様な切り口から見ると、いろいろな情報を得られるということを知ってもらいたいですね。今回の特別展を見ると、自分が思っていた毒のイメージとはまったく異なる印象を持つことも多いんじゃないかなと思います。それを体感してもらいたいです。
特別展の最初で「毒とはなにか」を仮に定義して進みますが、展示を見ていくうちに、その定義で十分なのか疑問が湧いてくると思います。そのため最後にはもう一度、他の人は毒をこう言っていたけど、自分はどう考えるのか、この特別展をきっかけに、“自分で考える” ということも学んでほしいですね。
細矢剛先生が監修を務めた特別展「毒」は、2022年11月1日(火)~2023年2月19日(日)まで国立科学博物館で開催!
細矢剛(ほそや つよし)
国立科学博物館 植物研究部長。1963年東京生まれ。製薬会社の研究員を経て、2004年から国立科学博物館勤務。専門は菌類で、製薬会社では薬のもとになる物質を探す探索研究をしていた。国立科学博物館では、菌類の研究の基礎となる分類学の研究を行っている。
インタビュー後記
「毒」というテーマから、46億年にもおよぶ地球の歴史と太古の地球環境、生物の進化、さらに数百万年後にも地球規模でその痕跡を確認できる新たな時代「人新世(じんしんせい)」にまで話が広がるとは、まったく想像していませんでした。細矢先生のお話を聞き、特別展「毒」がより楽しみになりました。このインタビューを読んでいただいた方にも、そう感じていただけると嬉しいですし、ぜひお子さんと一緒に特別展に足を運び、楽しんでいただければと思います。
細矢先生は菌類の研究に至った経緯、収入面、好きなことを仕事にする苦労などについても、とてもフランクにお話ししてくださいました。特に消去法で菌類の研究をはじめたことは、現在第一線で活躍されている多くの方に共通していると感じました。誰もが最初の夢や目標を叶えられないことは多く、しかしそこからやりたいことに近い次の目標、そしてまた次の目標と、壁に当たったら曲がりながら新たな目標を見つけて近づいていきます。そのためにも、先生のおっしゃる「さまざまな経験」が子どもたちには必要だと改めて感じました。
国立科学博物館に来たときに「きのこ展をやってほしい」と言われたそうなので、「きのこ展」開催の際には、ぜひまたお話をお伺いできればと思います。「地球はきのこに操られている」などということも最近耳にしましたし、「1日1きのこ」を信条としているので、きのこのお話し楽しみにしています!
特別展「毒」のイベントレポートも予定しています。こちらもお楽しみに!
2022年11月1日(火)~2023年2月19日(日)国立科学博物館で開催!
特別展「毒」
動物、植物、菌類、そして鉱物や人工毒など、自然界のあらゆるところに存在する「毒」について、動物学、植物学、地学、人類学、理工学と多角的な視点から、各研究部門のスペシャリストが徹底的に掘り下げ、国立科学博物館ならではの貴重な標本資料を用いて解説。「毒」とともに進化してきた生物の歴史や、古代より毒を、時には武器、時には薬として使用してきた人間と毒との関係も紹介します。
自然界、そして人間の社会にはさまざまな毒が存在します。毒とそれに関わる生物との関係を知ることは、自然界の神秘と驚きに満ちた一面を知るとともに、現代社会を生きるうえで大きな助けとなります。
さまざまな「毒」世界を探求することにより、私たち人間のこれからの未来も考えていく特別展です。
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