世代を超えて世界中で愛されている絵本『おさるのジョージ』の原作者夫妻の知られざる波瀾万丈の人生を、かわいいアニメーションを交えて再現したドキュメンタリー映画『モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険』が2018年夏、シネマカリテにて限定公開ほか全国順次ロードショー! クラウドファンディングで2,000万円近くものお金を集め、26歳という若さでこの映画をつくりあげた監督の山崎エマさんに、映画、クラウドファンディング、そしてイギリスと日本のハーフという自らのアイデンティティについて、話をお伺いしました。(インタビュー:2017年11月13日(月) / TEXT:キッズイベント 高木秀明 PHOTO:大久保景)
小学校は公立、中・高でインターナショナルスクール
両方経験したからこそわかる、日本の小学校は素晴らしい!
– エマさんの背景など、ご自身について教えていただけますか?
私のお母さんは日本人で、お父さんはイギリス人です。小学校は大阪の公立に行き、中学・高校はインターナショナルスクールに通って、英語圏なら行きたい大学に行けるような教育をしてくれました。海外に行ったからこそよくわかるのですが、日本の小学校の教育は本当に素晴らしくて、両方のいいとこ取りをさせてもらったと思っています。
日本の小学校では自分たちで給食の配膳や掃除をしますが、これによって集団の中での協調性や責任感、友だちに対する思いやり、目上の人を敬う気持ちが、より養われると思っています。この経験をした人としていない人では、人間性が違ってくるかなと思うほどです。
また今は問題になっていますが、私にとっては組体操は一番いい思い出になっています。7段の組体操で、私は体が大きかったから一番下で、膝からは血がダラダラみたいな。危険なのはもちろん理解できますが、あれを目指す精神というのも理解できるし、“がんばればできる” という自信や達成感、団結力を養うにはすごくいいと思っています。でも組体操に限らず、みんなで準備や練習をする運動会や文化祭のような行事は本当に素晴らしいですね。
インターナショナルスクールにもアメリカの小学校にも運動会はなくて、スポーツフェスティバルみたいなのがあったとしても、みんなで練習なんてしなくて、当日行って、走って、みたいな。だから日本の運動会にある競う真剣さはとてもいいと思うし、親も一緒にできる二人三脚とか、そういうのが好き。自己主張などのアメリカ的な考え方は小学校のあと、12〜13歳からでも養えると思っていて、でも逆は無理ですよね。先に自由にさせちゃったら、もう言うこと聞かないですよ。
日本にはいいところがいっぱい
日本の良さを日本人にも伝えたい!
私は12歳までは調和を重んじる日本の教育、そして13歳の中学からアメリカ式の教育を受け、自分の意見を言える力や発想力を学びました。両方あるからこそ、日本でもある程度対応ができて、アメリカでもやっていける能力が身に付いたと思っています。
社会人になった最初のころは、どうしても人の言うことを聞くだけの仕事の時期があると思うのですが、アメリカだけの教育の人たちは、そこで挫折することが多いんです。だから和を大切にしながらも、自分のいいところを見つけていくというのは、日本とアメリカのいいとこどりができたからだと思っています。親のおかげですね。
日本で電車が時間通りに来るのは、日本の教育によって責任感のある人たちが育っているからです。日本人って一番日本の良さをわかっていない人たちかもしれないから、“これは本当は素晴らしいことなんだ” ということも伝えていきたいですね。
中学で自己主張には戸惑った
自分の子どもも、小学校は日本がいい!
– 家では日本語と英語どちらを使っていたんですか?
お父さんとは英語、お母さんとは日本語でした。そういうところは徹底していて、物心ついたときから、お父さんに日本語で話しかけるなんてあり得ないというか、そういう発想すらありませんでした。
日本に住んでいるから外では日本語の割合が多くなるので、家では親同士も英語で話をしていましたし、テレビもNHKは英語バージョン。逆にインターナショナルスクールに行きはじめたらニュースは日本語にしてと、そういうところはよく考えて環境をつくってくれていました。
– 中学からインターナショナルスクールだと、最初は自分の意見を言ったり、自己主張するのは苦労しましたか?
しました! 2年くらいは本当に辛かった。今からは考えられないほどシャイだったし、まわりに戸惑って自己主張の仕方も、言葉もうまくできなかったし、思春期ということもあったかもしれないですね。自分らしくいられるようになったのは高校からで、小学校も最後は生徒会でしたが、高校も最後はそんな活動をしていました。
両親は私のことをすごく考えてくれたけど、お父さんはイギリス、お母さんは日本の学校で育っているから、日本の小学校で育った私がインターナショナルスクールでどんな状況になるかということはわからなかったと思います。でも私も旦那もけっこう国際的になっているから、自分の子どもにはそういうこともわかってあげられるかなと思っています。
– 旦那さんはどこの国の方なんですか?
アメリカです。実家が古い映画を修復する仕事をしていて、小津安二郎や溝口健二の映画も修復しています。21歳のときに1年間、岐阜県で英語の先生をしていて、それで日本が好きになって日本の映画業界に入って映画をつくっていました。2017年11月に公開された坂本龍一さんのドキュメンタリー『Ryuichi Sakamoto: CODA』は、彼がプロデューサーをしています。
– 2017年にご結婚されて、少し気の早い質問ですが、お子さんの教育はどう考えていますか?
幼稚園はどこでもいいけど、小学校は日本がいいですね。中学校、高校は、私と旦那の仕事の関係にもよるけど、どこかに決めたら、そこを拠点に、大学までは動かないようにしたいと思っています。
英語ができるのはダメなこと?
狭間で揺れるアイデンティティ
– 日本、イギリス、アメリカと、さまざまな国と深い関係がありますが、自身のアイデンティティはどこの国になるんですか?
私は日本では外国人、アメリカでは日本人と思われるので、日本にいれば日本語が上手と言われ、アメリカに行けば英語が上手だと言われて、今となってはメリットだと考えられるようになりましたが、私は自分を日本人だと思っているので、昔はあまりいい気持ちはしませんでした。年齢を重ねるうちに自分の見られ方に対する反発も和らいで、自分に得のある受け止め方ができるようにはなりましたね。
でもずっとそういう狭間にいました。小さいときはもっともっと日本人として見られたかったけど、どれだけがんばっても、やっぱり外国人として目立ってしまったし、だから小学生のときは英語ができることはダメなことだと思っていたくらいです。お父さんが授業参観に来たときには、誰にも英語を聞かれないようにヒソヒソ話をしていました。
世界中どこもが居場所で、居場所じゃない
“国” はどんな存在で、自身の役割とは?
– レイ夫妻はユダヤ人で、ユダヤ人は国を持たない民族ですが、エマさんは日本、イギリス、旦那さんのアメリカと、たくさんの国とつながりがあります。グローバルに活躍もしていて、エマさんにとって国ってどんな存在ですか?
よく言えばワールドシチズンで、どこの国籍も持っているように感じるときもあれば、どこにいても完全に自分の居場所と感じられる場所はないというか。私は国籍は日本だし、“日本人” という説明が自分では一番しっくりするんですけどね。
10年前にアメリカに行って映画を勉強しながら大人になっていくなかで、この国はいろいろな面で私自身が自由の身になれると思って選んだ地だったんですが、そこでさえも政治的な状況が変わるとウェルカムではなくなるんだなって気がつきました。今、私が18歳だったらアメリカには行っていないと思うんです。
アメリカにずっといるには日本人としてビザの問題もあるし、それも乗り越えたけど、それも含めて私は外国人だと感じたし、でも居心地がいいのはアメリカだったり。いろんな国の知り合いがいて文化の違いもおもしろいし、だからこそ、今は日本を再発見して、それを伝えたいと思っています。
「サードカルチャー」は羨ましがられる存在
悩みは言えない、言ってもわかってもらえない
– 大学の卒業制作で「NEITHER HERE NOR THERE(故郷であり故郷にあらず)」という、ハーフや複数の国にまたがって国際的に育てられた人たちのアイデンティティ探しのドキュメンタリーもつくっていますね。
「サードカルチャー」「サードカルチャーキッズ」と言いますが、彼・彼女らにアイデンティティについてのインタビューをして、それを記録した作品です。
大学のときに “自分は誰なんだ“ と悩んだことがあって、つくりました。お母さんは純日本人でお父さんはイギリス人で、どちらの親を見ても自分と同じ外見じゃない。自分を自分と認めてあげるのに少し時間がかかっていたんです。この映画をつくる機会があったことで、早めに解決できたと思っています。
私みたいな立場は羨ましがられることが多いんです。英語もできるし、夏休みになれば外国、私の場合はイギリスに行ったり。今となればよい経験ですが、子どものときは日本の友だちと離れてイギリスの田舎のおばあちゃんの家でずっと過ごすのは退屈な部分もありました。友だちはみんな学校のプールに行っているのに。まだ世界が狭いですから。でも、そういうことで悩んでいるということを言える機会が少なかった。あまりにも「いいね、いいね」って言われるから。
■「NEITHER HERE NOR THERE(故郷であり故郷にあらず)」(35分)
2018年夏日本公開! ジョージをもっと盛り上げたい!
しばらくは日本を拠点に、2020年にも何かを発信したい
– ユダヤ人のレイ夫妻も、どこに住んでも外国人、という思いをされていたんでしょうか。映画では差別のことも少し描かれています。その映画ですが、日本では2018年の夏公開予定です。今の状況は?
配給会社がエスパース・サロウに決まり、2018年夏にシネマカリテで限定公開、順次全国公開する予定です。
アメリカでは他との連携はなくインディペンデントでしたが、日本では『おさるのジョージ』の絵本を出している岩波書店などと一緒に、ジョージをもっと盛り上げていこうと思っています。公開まではまだ半年以上あるので(2017年11月13日現在)、じっくり準備ができそうです。そのため、2017年の春から拠点をニューヨークから東京に移しました。
アメリカには9年くらいいましたが、やっぱり日本で育ったので、世界にもっと日本のことを知ってもらいたいし、逆に日本にも、もっと海外のことを知ってもらいたい。そういう気持ちが芽生えてきました。だからこそ若いうちに日本をもっと学びたいと思って戻って来ました。また『モンキービジネス』は、私がこれからたくさんの作品をつくっていくうえでの第一歩なので、私のことももっと知ってもらえたらなと思っています。
– 映画がこんなに広まると思いましたか?
全然! どうなるかなんてまったくわからなかった。もちろん、いいものができたら観てもらいたいし、たくさんの人に観てもらえる形にするというのは目標にしていたけど、具体的にどうすればいいかはわからなかったです。
早い段階でアメリカのテレビ番組に売り込んでいれば、資金面ではもうちょっと楽だったのかもしれないけど、自分のプロジェクトではなくなっていくだろうなと思って。だから自分でやってみようと。大きな編集の仕事もいくつかやって、タイミングもちょうどよかったし、レイ夫妻が魅力的だったから、これに人生をかけなくて、何にかけるんだろうって自然に思えました。プッシュしてくれたり協力してくれた仲間と、レイ夫妻に感謝ですよ。運命だと感じたから、なんとかしてやりたいと思ったんです。
– 次の作品も楽しみにしていますね。
次の作品は日本をからませて、特に2020年には東京オリンピック・パラリンピックがあるので、これは私にとってはチャンスだと思っています。そのときに向けて発信する側の人でありたいですね。
ここ3〜4年は日本のことを中心にして、その後、それをグローバルに活かしたいと思っています。将来的にはニューヨークと東京を行き来しながら仕事をして、独特な背景、育ち方をしているので、自分だからこそ気がつくこと、伝えられるストーリーがあると思っています。
インタビュー後記
子どもたちを、エマさんのように若くして軽やかに世界中で活躍できるように育てるにはどうしたらよいのか、今回のインタビューではそのポイントも探りたいと思っていました。
エマさん世代(20代)にとっての幸せのバロメーターは、好きなことに対してどれだけ近いことができているかだそうです。おばあちゃん世代は食べていくことで精一杯だったので、そんな状況を “贅沢” とししつも、ご自身は今、そのど真ん中近くにいて、それはいろいろなことを試させてくれた親がいたからと感じているそうです。小さいときに、自分が何が好きなのかを探ることができる、いろいろなことを試せる機会があればあるほど、将来的にはハッピーな人たちが増えると思っていると話してくれました。
幼いころからいろいろなことにチャレンジさせる、ということはひとつの方法のようです。自分の子育てを振り返ると子どもに申し訳ない気持ちにもなりましたが、何でもやらせてあげることに限界があることも事実です。ある程度は親の取捨選択は必要ですし、それに加え、「目標」や「やりたいこと」が見つかるかどうか、これもとても重要のようです。
しかし夢を実現させるのに、今は以前と比べていろいろな手段があります。クラウドファンディングのように、人の想いに協力したいという人を見つけられるツールがあること、そしてそういう人がたくさんいることは、とても希望の持てることだと感じました。
次回作、そして2020年の東京オリンピック・パラリンピックのときに、エマさんが何を発信するのかがとても楽しみです。映像を “無関心をなくすツールに” というエマさん。マザー・テレサも「愛の反対は憎しみではなく“無関心”」と言っていました。争いのない平和な世界というのは誰もが望むこと。そこに向かうエマさんの活躍をこれからも楽しみにしています。ぜひまたインタビューさせてください!
映画『モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険』
絵本『おさるのジョージ(ひとまねこざる)』の原作者は、ハンス・レイとマーガレット・レイというユダヤ系ドイツ人の夫婦です。夫のハンスが絵を描き、妻のマーガレットがお話を書いていました。パリに住んでいた2人は1940年6月、ナチスの侵攻から逃れるため、自転車に乗って戦火のパリを脱出します。極限まで切り詰めた荷物の中にはジョージの原稿がありました。映画『モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険』では、ジョージとともに戦争をくぐり抜けた2人の波瀾万丈な人生を、たくさんの資料とかわいいアニメーションで描いています。2018年夏、シネマカリテにて限定公開ほか全国順次ロードショー!
http://curiousgeorgedocumentary.com/japanese/
モンキービジネスファンクラブ
「モンキービジネスファンクラブ」は、絵本『おさるのジョージ』の生みの親、ハンスとマーガレット・レイのことをもっと知りたいと思う人たちのために、映画『モンキービジネス:おさるのジョージ著者の大冒険』の情報をいち早くメールで配信するほか、会員限定コンテンツも提供していく、レイ夫妻、『おさるのジョージ』ファンの方のための場です。
山崎エマ
神戸生まれ。日本人の母とイギリス人の父を持つ。19歳で渡米し、ニューヨーク大学映画制作学部に進学。ドキュメンタリー制作に目覚める。英国放送協会BBCと数々のエミー賞受賞番組を手がける制作会社で研修を重ねた後、ドキュメンタリー界の巨匠サム・ポラード氏の編集助手として2本の長編映画制作に参加。卒業制作「NEITHER HERE NOR THERE(故郷であり故郷にあらず)」が大学、インターナショナルスクールで教材として使用され、アメリカ、フランス、タイ、日本などの学会でも採用される。卒業後はCNNやHBOなどでドキュメンタリー映画やノンフィクションのテレビ番組製作に携わる。
2014年より初長編ドキュメンタリー作品「MONKEY BUSINESS: THE ADVENTURES OF CURIOUS GEORGE’S CREATORS(モンキービジネス おさるのジョージ著者の大冒険」を製作。人気絵本シリーズ『おさるのジョージ』の原作者 ハンス・レイとマーガレット・レイ夫妻の半生をアニメーション、アーカイブ映像、インタビューを交えて描く。2016年夏にクラウドファンデングで18万6,000ドル(2,000万円弱)を集め、監督、プロデュース、編集を手がけ、海外では2017年に公開、日本では2018年夏の公開予定。
また2017年放送のNHKのBS1スペシャル「巨匠スコセッシ “沈黙” に挑む 〜よみがえる遠藤周作の世界〜」ではディレクターとして、スコセッシ監督のインタビュー役も務める。
日本人の心を持ちながら外国人の視点からも物事を見ることができるポジションを活かして、ニューヨークと日本を行き来しながら、さまざまなプロジェクトに携わっている。
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