きっかけはちょっとした偶然
グループの解散、独り立ちでプロ意識に芽生え
ー 子どもの頃になりたかったものは?
子どもの頃は保育士になりたいと思っていました。小さな子がケーキ屋さんになりたいとか、消防士になりたいとか、そういうのと同じ感じの夢なので、それほど真剣に考えていたものではありませんでしたけど。
小さい頃は歌やドリフターズなどが大好きで、よく観ていました。自分がテレビに出る仕事をするとは思わなかったし、出たいとも、それほど思っていませんでした。14歳くらいのときにオーディション情報誌『月刊デビュー』が流行って、姉がミスセブンティーンのオーディションに私の履歴書を送ったのが、この世界に入るきっかけでした。歌の選考で落ちちゃって、全国には行けなかったのですが、スカウトされて。事務所に行ったら歌のレッスンをしていたり、とても楽しそうだって思ったんです。それで事務所に入ったのですが、それでも自分がテレビに出るというのは、あまり想像していませんでした。その後、フジテレビ系列で放送していたバラエティ番組「夕やけニャンニャン」のオーディションに通り、テレビに出る仕事をすることになるのですが、そのときはまだ学校の延長のような感じで、クラブ活動みたいでしたね。
「夕やけニャンニャン」が1987年8月に最終回を迎え、そこで、その後の進路をどうしようかと思いました。すでにソロでもデビューしていましたし、音楽や歌を歌うことが好きだったので、この仕事を続けていきたいと意思表示をし、初めてプロ意識が芽生えたように思います。高校を卒業したら大学進学という道もありましたが、「大学と両立できるほど甘い世界じゃない」なんて言われたりして、今考えると、勉強しておけばよかったかな、とも思います。今だったら、両立という道もありますね。
アイドル卒業でMCに挑戦、行った意識改革とは?
ー 独り立ちをして、何か意識の変化はありましたか?
ひとりになって、もう前に進むしかなくて、不安はもちろんありましたが、大勢の中の1人ではなく、ソロのイベントなどにファンの方が来てくれて、応援してくれるのは、とても嬉しかったですね。
でも、本当の意味でこの仕事をやっていくんだな、と思ったのは、今から思えばもう少し後、20代半ばくらい、そろそろアイドルでもないだろう、というのが見えてきたときですね。司会やバラエティという方向に行った方がいいんじゃないかと考えました。それまでは、実はまだ“楽しい”という延長だったんです。歌やライブなど、自分の好きな世界を形にしていくのが楽しかった。アイドルから脱却するとき、初めて“仕事だな”と感じました。
自分に司会なんてできるのかなという思いもありました。若いときって、好き嫌いがはっきりしている方がかっこいいとか、こだわりがある方がかっこいいと思っていて、そうすると、興味のないものにはまったく興味がないんですね。でもMCをはじめてからは、いろいろな方と話をする必要があるので、それではダメだと思ったんです。視野を広げる必要があるなと。それで、積極的に人のいいところを探すようにしました。メディアを通してだけ見ていると苦手なタイプだなと思っていた方も、いろいろ調べてみると、こういう素敵なところがあるんだと、たくさんの発見がありました。いろいろなことに興味を持たないと、と思いましたね。
もともとサービス精神みたいなものが少なくて、それまでは相手から話しかけてもらったり、聞かれたりすることが多かったのですが、それではいけないと、自分からコミュニケーションをとるようにしました。本当にコミュニケーション下手だなと実感しましたが、そういう意識の切り替えをすることで、話のきっかけづくりができるようになりましたし、仕事はもちろんですが、個人的な趣味なども広がりましたね。
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渡辺満里奈
1970年11月、東京生まれ。86年デビュー。清潔感あふれる明るいキャラクターで、テレビ、CM出演などで活躍するほか、旅行や健康、自身の趣味などに関する本も多数出版。2005年に結婚、2007年12月に長男、2010年6月に長女を出産。
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