コンセプトは、子どもがタダで楽しめる、子どもが出ている作品
自主制作で、最初は連ドラ、紆余曲折を経て映画に
ー いよいよ明日が『ハロー!純一』の公開ですね。今の気持ちは?
雪が降っちゃってるから(取材日は東京が今年2度目の大雪となった2014年2月14日)、どうかなぁ? でも、楽しみです。子どもがたくさん来てるんだろうなとか、子どもがどんな感じかなとか。朝9時頃から新宿バルト9で舞台挨拶があるので、朝ちゃんと起きないと、と思っています。
ー 映画『ハロー!純一』は、石井監督のお母さんが書かれた絵本『ぼくのかみさまありがとう』(2011年4月1日発行)が原案です。この本を映像化しようとしたのはなぜですか?
たまたま実家に帰ったら、母親と弟が『ぼくのかみさまありがとう』のイラストが締め切りに間に合わないとケンカをしていて。この絵でいいとか、こんな未完成な絵はダメだとか。それで夜、みんなが寝てから描いたんです。と言っても、弟の描いた絵がおもしろかったからあまりいじらず、影をつけたり、ちょっとだけ手を入れて完成させました。絵を描きながら何度か読んでいたら、主人公の弱虫な純一と、ガキ大将の中山君の関係がおもしろいなと思いましたが、その時は特に映像化などは考えていませんでした。
3.11の大地震があって、地震直後は映画『REDLINE』※1 をつくったスタッフとイラストを大量に描き義援金に換金するなどのボランティアをしていました。映画『スマグラー おまえの未来を運べ』※2 の編集作業をしていた頃だったのですが、正直「こんな大変なときに映画をつくってていいのかな?」という思いが出て来て、でも今度つくるなら、子どもの映画がいいなと思ったんです。
3月は後半になってもまだ電車が止まっていたり、会社も4月までは閉めていてちょっと時間ができたときに、『ハロー!純一』の共同監督のひとり芳岡篤史君が実家の三重に行くと言うので、もうひとりの監督の川口花乃子さんと3人で伊勢神宮に行きました。その時2人に、「子どもの映画を撮りたいね」って話をしました。
でもその時に考えていたのはテレビドラマでした。NHKの連続テレビ小説『ちりとてちん』(2007年10月〜2008年3月放送)がすごい好きで、DVDを全巻揃えて何度も涙しながら観ているんですけど、15分のドラマってテンポがあっておもしろいなと思っていました。うちにはテレビがないんですけど、こんなのをテレビで流したらみんな観るんだろうなと思って。今だったら『あまちゃん』みたいな感じかな。それで、子どもが主人公で、子どもばっかり出て来て、1本15分で1クール(11話、12話)くらいの自主制作ドラマをつくったらおもしろいんじゃないかと思ったんです。東京のキー局は扱ってくれないだろうけど、地方だったら意外と流してくれるんじゃないかといろいろリサーチしたら、1話2万円くらいで買ってくれるらしいと。「2万円かぁ」と思ったんだけど、“流してくれる” “観てもらえる”ということがポイントだから、やってみるかと思って。
3月後半のあたりは、誰がいくら寄付をしたというのが話題になっていた時期で、でも僕はそんなにお金もないし、集めたお金を寄付をしてもたかだか知れている。だったら集めたお金でドラマをつくって観てもらって、明るい気持ちになってもらった方がいいんじゃないかと。特定の地域だけじゃなくて、全国の子どもたちが楽しめて、それで自分たちも楽しめればいいなと。
ちょうど芳岡君と川口さんも短編映画をつくったあとで、それがシャッター商店街のおじいさんたちをテーマにした話の映画で、出てる人たちもその商店街の方たちが主演で、なかなかやるなぁという感じでおもしろかった。それで一緒にやってみないかと声をかけたんです。『スマグラー』で忙しかったこともあって他の仕事はお断りしている状況だったんだけど、声をかけていただいた仕事は全部やってお金は準備するから、芳岡君と川口さんは取材して、ネタ集めして、という感じでスタートしました。
世界観としては「ドラえもん」や、僕は「ちびまる子ちゃん」が好きなので、そんな世界観で子どもの映画をつくろうと。そこでざっくりどんな話がいいかなと思ったときに、『ぼくのかみさまありがとう』の純一と中山君を思い出したんです。
彼らに子どもの頃の思い出や楽しい話を集めてもらい、50個ほどネタができた段階で、「北の国から」の全シナリオと、シド・フィールドの脚本の書き方、僕も『鮫肌男と桃尻女』※3 をつくる前に読んだ脚本に関する本をいくつか読んでもらって、あとは『がんばれ! ベアーズ』※4 がすごい好きだったから、ああいうテンポがいい子どもたちのリアルなやりとりを観てもらって、そこから彼らに1本15分で11話か12話の脚本を書いてもらいました。それを地方で流して、話題になって、逆輸入みたいな感じで東京でも流れればと思っていました。スタッフにも「子どもたちに“一杯おごるか”、みたいな感じでドラマをつくるのはどう?」と話したら、みんな「やるやる」とのってくれました。ほとんど全員『スマグラー』のスタッフですね。
ー そのときは、まだドラマを考えていたんですね?
そう。まだドラマでした。出演者も、満島ひかりさんが出てくれたらいいなと当て書きでは入れていたんですが、忙しいだろうから無理かなと思いつつも一応脚本を送ったらOKという返事をいただいて。「おぉ! 来た! これはみんなノってくれる」と思いましたね。それで森下能幸さんにも声をかけて、子どものオーディションをはじめて。子どもたちは3ヵ月くらい稽古をしなければならなかったので、稽古場も会議室もある、僕がこの映像の世界に入るきっかけとなった東北新社にも協力してもらうことになりました。
しかし、そこでいろいろ打ち合わせをしていたら、15分で1クールだと3時間くらいの撮影素材が必要だが、そこまでは予算的にも日にちもないので撮りきれないということがわかった。撮影できるのは20日くらいで、全員大人なら撮れるかもしれないけど、子どもは20時までしか働くことができない。すると1時間30分か2時間くらいの作品にした方がいいんじゃないかと。「それって映画かぁ…」。映画をつくるつもりではなかったので、機材も集めていなかったし、それよりも時間と気持ちの問題が大きかったですね。
CMは予算があるから、人とお金を使って“ガッ!”っと集中して速攻でつくるんです。一方、映画は1年くらい前から準備をして、じわじわじわじわ気持ちを入れていくんです。僕は絵コンテを描いたところからスタートするんですが、ひとりの大工さんで長い時間をかけてつくる、そんな感じだと予算もそんなにかからないから、少人数でコツコツやっていくのが映画なんです。だから時間がないと映画のクオリティにもっていくのは難しいんじゃないかなと思ったんです。でも、もともとのコンセプトは、タダで子どもが楽しめる、子どもが出ている作品をつくるということ。昔はけっこう子どものドラマもあったけど今はないから、やる意義はあるんじゃないかと。おもしろそうだし、子どもたちもノッてるし、映画でやってみることにしました。でも映画に変更したら満島さんに断られちゃうかなと思ったんだけど、脚本を映画用に書き直して送ったら「やる」って返事が来て。嬉しかったですね。
芳岡君と川口さんの絵コンテが撮影当日にできあがって、それをもとに撮影しながら、毎晩次の日の絵コンテを描いていました。撮影が20時に終わるっていうのがすごくよくて、ホテルに戻ってから描く時間が十分あるんですよね。毎日すごく楽しかったですね。
ー 自主映画が全国95館で公開されるのもすごいですね。
撮影はスタートしたのですが、どういう風に公開するかは全然考えてなくて、最初は1館ずつ交渉していけばなんとかなるかなと思っていたんだけど、撮影に入ったら、子どもたちは予想できましたが、満島さんがかなり本気モードで、すごいんですよね。自主映画で、合宿していた楽しいノリでやろうみたいな感じだったのがピリッとしてきて、“ちゃんとやるか”と。そこからみんなの意識も変わって、たくさんの人に観てもらいたいよねってことになってきたんです。
それだったらと、日本一のプロデューサー スタジオジブリの鈴木敏夫さんに相談しました。鈴木さんだったらどうするかを聞きたかったんです。いくつか方法を教えてくれたんですけど、映画の製作・配給を行なっているティ・ジョイの紀伊宗之さんに聞いてみたらおもしろいかもと、その場で連絡していただいて、次の日に会って『ハロー!純一』を観てもらったんです。そうしたら、ちょっとやってみようかという話になって、全国95館で上映できることになったんです。ここに至るまではとにかくすごい流動的で、どうなるか全然わからなかったけど、たくさんの方にご協力いただいて、なんとかここまでこられました。それだけに公開に至ったことは、本当に嬉しいですね。
■ 次はいよいよ石井克人監督の子どもの頃の夢、そして映画監督になるには!? プレゼントも!
ぼくのかみさまありがとう
文:石井紀子/イラスト:石井克人・潤二/文芸社/1,260円(税込)
背が低くてやせている純一は、自分のことを弱虫だと思っていました。だからいつも人の後についていくのが当たり前でした。ある日の放課後、純一はガキ大将の中山くんに連れられて、みんなが怖がる「おばけ屋敷」へ向かったのですが、そこで起こった奇跡とは? “やればできる”、勇気さえあれば誰だってヒーローになれることを教えてくれる物語。
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石井克人(いしい かつひと)
映画監督、アニメーション監督、CMディレクター。1966年、新潟県生まれ。武蔵野美術大学卒業後、1991年に東北新社に入社、翌年CMディレクターとしてデビュー。1995年、短編『8月の約束』で映画監督としてデビュー後、『鮫肌男と桃尻女』(1999年)、『PARTY7』(2000年)、『茶の味』(2004年)、『山のあなた』(2008年)、『スマグラー おまえの未来を運べ』(2011年)などの話題作を次々と発表。また2003年には、クエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビル』でアニメパートのキャラクターデザインを担当したほか、長編アニメーション映画『REDLINE』(2010年)では企画・原作・キャラクターデザイン、音響監督を兼任。最新作は2014年2月15日(土)公開、小学生以下無料の自主制作映画『ハロー!純一』。
※1『REDLINE』(2010年10月9日公開)
宇宙最速を決めるカーレース“REDLINE”の優勝を目指して繰り広げられる、ルール無用の熾烈な争いを描く。主人公JPに木村拓哉、JPの初恋の相手ソノシー役に蒼井優、JPの幼馴染で天才メカニックのフリスピー役に浅野忠信など夢のコラボレーションが実現! CG全盛の時代にあえて手描きにこだわった、製作期間7年、作画枚数10万枚という究極のアニメーション映画。コンピュータでは計算できない手描きならではの「誤差」と「歪み」が空間にリアリティを与え、キャラクターに命を吹き込み縦横無尽に走り出す。ひとつひとつのシーンに合わせてつくられた楽曲が「REDLINE」の世界をひとつにまとめ、今まで経験したことのない“体感型”アニメーションとなっている。
■『REDLINE』オフィシャルサイト
※2『スマグラー おまえの未来を運べ』(2011年10月22日公開)(PG12)
原作は「闇金ウシジマくん」で2011年小学館漫画賞を受賞し、大きな注目を集めた真鍋昌平の同名コミック。借金返済のため日給5万円の高額バイトをすることになった俳優志望のフリーター 砧涼介。しかし、その仕事内容は死体などのヤバイ荷物を運ぶ闇の運送屋だった…。妻夫木聡、永瀬正敏、安藤政信、松雪泰子、満島ひかりら豪華キャストが演じるアクの強いキャラクターが、それぞれの思惑を秘めた緊張感のある駆け引きを繰り広げる。ハイスピードカメラ“ファントム”とCGを駆使した、石井監督ならではの刺激的なバトルシーンは圧巻!
■『スマグラー おまえの未来を運べ』オフィシャルサイト
※3『鮫肌男と桃尻女』(1999年2月6日公開)
「バタアシ金魚」「ドラゴンヘッド」などの人気漫画家・望月峯太郎の同名コミックの映画化。退屈な生活から抜け出したい女と、組織の金を持ち逃げした男が繰り広げる死を賭けた逃避行を、スタイリッシュな映像で描き出した。浅野忠信、小日向しえ、我修院達也、鶴見辰吾、岸部一徳ら個性豊かな登場人物も見どころ。
※4『がんばれ! ベアーズ』(原題:The Bad News Bears)
1976年公開のアメリカ映画。日本では1979年10月から1980年3月まで同名のテレビ番組として放送。アメリカ西海岸の町にある、問題児ばかりを抱えた弱小少年野球チーム「ベアーズ」を、かつてはマイナーリーグで活躍、しかし酒飲みに落ちぶれてしまった中年男バターメイカーが、ひょんなことから率いることに。子どもたちを相手に奮戦しながら勝ち抜いていく姿を描いた、大ヒットスポーツコメディ作品。
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