演技のミス、ケガをした2011年
しかし同時に、オリンピック出場への可能性も実感
ー 子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
体を動かすことが好きで、けっこう活発な子どもでした。
ー 体操をはじめたきっかけは、「お兄さんとお姉さんが体育館で体操をしている間、家で留守番をしているのが嫌だった」というのは本当ですか?
そうです(笑)。体操もやりたかったけど、ひとりで家にいる寂しさと怖さ、そっちの方が強かったですし、一緒に体育館に行ったら楽しそうだなと思いました。
でも体操をはじめたら、最初の頃は練習するだけ上達したので、すごく楽しかったですね。そのうちうまくいかないこともでてきましたが、それを乗り越えるとまた楽しくなって、と、その繰り返しでした。
ー 兄弟で同じスポーツをしていて、良いところはありますか?
兄も姉も目標でした。僕より先にはじめて、相当うまかったので、追いつこうと思ってがんばりました。あとは上を見ていると、怒られるポイントがわかってくるんですよね。アレをしたら怒られるんだなと、要領がよくなる。逆に、ああしたらうまくできるんだな、というのもわかってきます。けっこう兄と姉を観察をしていた気がします。そして、良いところは真似していました。
ー ご両親も体操の選手で、お父様は体操教室をしていますね。内村選手のご両親も体操選手で、体操教室を運営していて、とにかく“ほめて伸ばす”と聞いたことがあります。田中選手のお父様はいかがでしたか?
けっこう厳しかったと思います。練習の中ではなかなかほめてもらえなくて、大会で良い結果が出るとほめてくれたり、そうするとまたがんばろうという、ひとつのモチベーションではありましたね。ほめられると、やっぱり気持ちも乗ってくるし、次の練習が楽しみになってきます。親御さんは、お子さんが練習を継続できるための何か、声かけとかするといいかもしれません。移動中の車の中までは体操の話はしましたが、家ではまったくしませんでした。あまり触れてほしくないときもありましたし、でも良かったときはほめて欲しかったり、親からすると、そのあたりは難しいですよね。
ー オリンピックを目指そうと思ったきっかけは?
小学6年生の卒業文集に「オリンピックを目指す!」ということは書いていましたが、それはまだそれほど真剣ではありませんでした。中学3年生のときにアテネオリンピック(2004年)があって、それを観てオリンピックが憧れに変わり、自分も体操をやるなら、あそこまで突き詰めたいという想いが出てきました。特に冨田洋之選手には憧れました。オリンピックに“いけるかも!”と思ったのはロンドンオリンピックの前年、2011年に開催された世界選手権の後、自分にも可能性があると確信し、“出ないといけない!”という気持ちになりました。
ー しかし2011年の世界選手権は、床の演技で頭をぶつけてしまい、演技を続けられなかった試合ですよね? テレビで観ていました。あまり良い結果の出なかった大会でしたが、すぐに自分の可能性を信じることはできたのですか?
いえ。もうボロボロでした。でも自信が出たのも、その時でした。結果はダメだったんですけど、代表には入れた。試合内容については、「初めてなんだから、こういうこともある」と解釈することにしました。
ー でも2011年の世界選手権のあとは、一時スランプというか、少し体操から気持ちが離れましたよね?
凹んだんですよね。確かに凹みました。でも、せっかくこのレベルでいるんだからと思って、またがんばりました。まだまだ伸びしろがあるという実感もありました。
ー どうやって凹んだ気持ちから立ち直れたのですか?
まわりが励ましてくれましたし、姉はいつもは優しいんですけど、そのときは怒られて、メールで、けっこう厳しい言葉が帰ってくるなと思いました。「凹んでる場合じゃないよ。まだ先はあるよ」というような言葉だったかな。当時も練習はしていましが、あまり身も入らなかったし、首をケガしていたので、思うようにならない苛立ちみたいなものもありましたね。
ー しかしその翌年のロンドンオリンピックでは、3兄弟揃って出場しました。3兄弟揃っての五輪出場は、日本体操史上初でした。
嬉しかったですね。小さい頃から一緒に練習していたので。でもその分、兄や姉の演技が気になって、心配して見ちゃいました。
練習量と練習の質、そして経験が自信をつくり、プレッシャーを跳ね退ける
ー ご自身でも精神面の弱さを課題にしていましたが、今回の銅メダルや団体の演技では、見事に克服したように思います。どのように克服しましたか?
練習をコンスタントにできるようになったことが大きいですね。基本ができてきたので、毎日同じことができ、それを繰り返しやることで安定感が出てきました。体調管理も気をつけていたし、調子の良くなかった手首も、トレーナーの方にケアしていただいて良くなったのも大きいです。そのおかげで毎日同じ練習ができたので。練習量と練習の質、その両方がうまくかみ合いました。
気持ちの面では、練習や国内大会でうまくいっても、あまり自信はつきませんでした。やはり世界選手権で良い演技ができてから自信がついたと思います。2011年は調子が良かったのですが、床の演技で失敗して鼻っ柱を折られ、でも世界選手権などの大きな大会を経験するたびに強くなったと思います。2011年の世界選手権のミスで凹んだ分は、やっぱり同じ世界選手権の舞台で結果を出さないと、気持ちや自信は戻ってこないと思っていました。そのチャンスを掴むのも大変なので、それもモチベーションになりました。
ー 大勢の人が見ている、少しのミスも許されない場面では、どんな気持ちで演技に入るのでしょうか? 田中選手のやっているプレッシャー克服法があれば教えてください。
練習ですね。今までやってきた練習しかないです。自分自身でそれぞれ技のポイントがあり、そのポイントは、今までやってきた練習の中で正しいと思ってやってきたので、それができれば大丈夫だという気持ちを持って演技していましたね。
プレッシャーは、2011年の世界選手権では感じていましたが、今回はあまり感じませんでした。経験、経験ですかね。やっぱり。いろいろな大会をこなしてきた今までの経験、世界選手権が2回、オリンピックが1回と、団体総合も3度目ですから。
2016年のリオオリンピックでの “団体総合優勝”は、獲らなければならない!
ー コナミスポーツクラブでは、たくさんの子どもたちがオリンピックで金メダルを獲ることを目指してがんばっていると思いますが、田中選手が今思う、子どものときにやっておけばよかったと思うことはありますか?
ジュニアの先生が、けっこうしっかり基本をつくってくれたので、あまりないですね。高校生のときに手首の手術はしましたが、選手生命に関わるような大きなケガはしませんでしたし、大事に基本をつくって育ててもらいました。
小学生のときはバーを使ったバレエレッスンもしていましたし、体の基本的な操り方を教えてもらったので、今の体操ができています。これをちゃんとやっておくといいというのは、倒立、立ち姿勢、つま先とひざを意識することですね。
ー コナミスポーツクラブのファン感謝イベントなどで子どもたちに体操を教えていますが、子どもたちに教えるのは楽しいですか?
子どもたちと体操をするのは楽しいですね。教えるのが下手なので、これでちゃんと伝わっているかなと思うこともありますが、触れ合えるだけでも楽しんでもらえるかなと、補助をしたり、「良かったよ」と、ちょっとした声かけをすることが大事かなと思っています。教えるときに心がけているのは、そんなところですね。
ー 田中選手の体操の見どころは? どんなところに注目して見てほしいですか?
派手な技が入った演技ではないので、技のスムーズさや、ひとつひとつの倒立のキメ、美しい体操を心がけているので、ひざ、つま先までの美しさ、体線の見せ方などを見てほしいですね。あまり力は強くありませんが、吊り輪には自分の名前のついたオンリーワンの技もあるので、力ではない部分で魅せる滑らかな吊り輪の演技なども見てください。
ー 田中選手は吊り輪で自分の名前のついた技がありますが、新技はつくろうと思ってつくるんですか? 名前のついた技はほしいものでしょうか?
やっぱり憧れる部分はありますよね。でも新技をつくるためにがんばろう、というのはありません。新技をつくる努力よりも、今の美しさにもっと磨きをかける努力をします。新技は、原型の技があって、それを一工夫したら新しい技になるんじゃないかなとか、やってみたらできたみたいな、そんな感じですね。
ー どういう応援が嬉しいですか?
シンプルに「がんばれ」って言っていただけると嬉しいです。テレビも、観てくれている方が多ければ多いほどがんばろうと思います。年々注目していただいているので、会場の観客の方も増えてきています。会場に来ていただけるのが一番嬉しいので、ぜひ一度来てみてください。
ー リオ オリンピックでの団体総合「金」がひとつの大きな目標だと思いますが、今後の目標、将来の夢は?
競技人生の中では、リオ オリンピックで代表に入り、“団体総合優勝”というのが最大の目標です。リオが終わったあとのこともたまに考えたりしますが、東京オリンピックは30歳で、下もだんだん出て来ているから厳しいかなと思います。僕の中ではリオで一区切りをつけるつもりで、そこまでを全力でがんばる。東京まで考えちゃうとダラダラ行ってしまいそうなので、まずはリオ。東京はその後どうなるか、ですね。まずは団体総合での金が目標なので、リオでの個人も、そんなに考えていません。上位2人に入れたらもちろん出てがんばりますが、個人でがんばるんだ、という気持ちは、今はないです。団体総合を獲らなければいけないんです。
ー 今回の世界選手権では中国に0.1ポイント差でした。それを埋めるために今はどうしようと、練習や演技を考えていますか?
僕ひとりの力でどうにかなることはありませんが、今までやってきた方向性は正しいと思っています。美しい体操を極め続け、大きなミスをしない演技づくり、完成度にこだわって、新しい技を入れることも考えますが、その分安定性がなくなるのでそこが難しいですが、安定性と、それにともなう美しさを高めていこうと思っています。
インタビュー後記
ひとつひとつの質問に、とても丁寧に答えてくれた田中選手。静かで、落ち着いた雰囲気ながらも、その胸の内には、リオデジャネイロ オリンピックでの団体総合優勝への並々ならぬ熱い想いを感じることができました。
末っ子特有とも言うべき要領の良さに加え、常に自分よりも上手な兄弟を観察し、良いところは取り込もうという姿勢は、体操が上達するうえで大きな力になっていただろうと感じました。
プレッシャーを感じる大舞台で自身を支えているのは、それまでの練習量と練習の質であるという話は、とても説得力がありました。プレッシャーを感じてしまうのは、まだそこまで自身を追い込めていなということなのかもしれません。
2016年リオデジャネイロ オリンピックでの団体総合優勝、そして個人総合での活躍を楽しみにしています! 一番きれいなメダルと一緒に、またインタビューさせてください!
田中 佑典(たなか ゆうすけ)
1989年11月29日、和歌山県生まれ。順天堂大学出身。コナミスポーツクラブ所属の体操選手。体操一家に育ち、田中和仁、田中理恵との3兄弟の末っ子。7歳で体操をはじめ、高校2年の2006年に史上最年少16歳でナショナル強化指定選手に選出。2008年、1年生ながらインカレに順天堂大学のチームの一員として出場し、内村航平率いる日本体育大学を僅差でかわして優勝。2011年に世界選手権の初代表、初出場。2012年のロンドンオリンピックには兄の和仁、姉の理恵と日本体操史上初の3兄弟で出場、団体総合銀メダル獲得に貢献した。2014年の世界選手権では個人総合で銅メダル、団体総合で銀メダルを獲得。
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