手塚治虫の子育て、親御さんへのメッセージ
ー 手塚先生は会社が倒産しても借金があっても、漫画でまだまだ盛り返せると考えていました。それだけの才能と努力もありましたが、手塚先生に挫折や失敗というのはあったのでしょうか?
最後の体を壊したときくらいですよね。1989年のお正月にテレビ番組に出る予定だったんです。今年(1988年当時)は病気ばっかりでいいことがなかったから、来年はいい年にしたいと。それを宣言するために、ぜひ出演したいと言っていたんですが、結局、体調がどうしようもなくて出られませんでした。
挫折はほとんどないというか、すべてバネになっていたかな。だって私がマネージャーをはじめた頃でも、新人のように100ページくらいの漫画を描いて出版社に持ち込んで、そういう意欲が常にあった。『ブラック・ジャック』の連載も最初は4〜5回の予定でした。だから最初は復讐のためにお金をとっているという設定でしたが、連載として続くうちに、そんな設定はなくなってしまった。
『ブラック・ジャック』は毎週20ページ、全部読み切り。こんなことを毎週続けられる漫画家はなかなかいないですよ。それを200話以上描きました。できあがりに納得できなくて、まるまる書き換えてしまったときもあるんですよ。
ー 手塚先生が子育てで大切にしていたことは?
家族はとても大切にしていましたね。家で仕事をすることもありましたし。家にはお父さん、お母さんもいらっしゃって、お子さんが3人いて、奥さんは大変だったでしょうね。滅多に家に帰れないし。家に帰ってどう過ごされていたかはわかりませんが、家族をとても大切にしていたと思います。11月3日は手塚の誕生日なのですが、その日は家族で食事をするんです。「どこかお肉の美味しいところはありませんか?」と言われて、お店を探したこともありましたね。
ー 漫画の中で子どもたちへのメッセージは描かれていますが、育てている親御さんにはどんなメッセージを残していますか?
学校の先生やPTAの方に話をする際には、「絵を描きなさい」とよく言っていました。上手下手ではなくて、似顔絵を描くと子どもたちはすぐに興味を持ちます。だから学校の先生も教科書を教えているだけじゃなくて、ちょっと絵を描いてみると、子どもたちは先生の方に集中してくれる。だから下手でもいいから絵を描くと、興味を持ってくれるので、伝えたいことがより伝わるんじゃないですか、と言っていました。だから手塚は漫画ほど、子どもたちに何かを伝えるのに素晴らしい表現媒体はないと思っていたんじゃないですかね。アニメーションはもっとです。『鉄腕アトム』で、動かないアニメシリーズを最初につくりましたけどね。
ー アニメももちろんいいですが、やっぱり紙の漫画もいいですね。何度も何度も読み返しました。でもiPhoneやiPadにも「手塚治虫マガジン SHOP」のアプリを入れて、楽しませてもらっています。
手塚がiPhoneやiPadのような機器を使うかはわかりませんが、機能を知っていれば、iPhoneやiPad用の漫画を描いたと思いますね。40年くらい前に漫画を文庫本化することが流行ったんですが、「絶対ダメです」と言っていました。「この大きさの週刊誌用に描いているんです」と。だから手塚治虫全集をつくるときも、新書サイズではなく、もう少し大きいB6サイズくらいになりませんかと、そのサイズでつくっています。当時は紙質も印刷技術も良くなくて、小さくすると緻密な線は潰れちゃうんです。今は紙も印刷技術もよくなりましたから大丈夫ですが、年寄りには読みづらいから、できれば週刊誌の大きさで読みたいけどね。
アプリでは拡大できるけど読むのは面倒だし、本来漫画は見開きで、右ページの一番上のコマから左ページの最後のコマまで、展開を考えたうえでコマ割りをして描いています。だから一コマずつ、場合により拡大しながら読む媒体なら、それに合わせたものを手塚は描いたでしょうね。
手塚治虫の精神を引き継ぎ、手塚の心を世界に広め続ける
ー 松谷社長が子どもたちにおすすめする手塚漫画は何ですか?
『火の鳥』もいいけれど、小学生だと『火の鳥』はちょっと難しいかな。未来と過去3,000年くらいから交互に描き、だんだん現代に近づいていく。あの描き方も当時は斬新で、とんでもない発想ですよね。
『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』『ブラック・ジャック』、それはそれでもちろんいいんだけど、短編シリーズ、ライオンブックスやタイガーブックスシリーズの中には本当に秀作があります。いろいろ読んでもらって、いいなと思う作品を見つけてもらえればと思います。
ー 今後の手塚プロダクションの活動は?
社員にもよく言いますが、金儲けはするなと。そんな社長いるかと社員にもよく言われますが、手塚治虫はお金にまったく執着しませんでした。手塚治虫の精神を引き継ぎ、手塚の心を世界に広めようとするなら、もちろんお金は必要ですが、お金を儲けることが目的になってしまうと間違えた道に行ってしまう。「手塚治虫マガジン SHOP」のアプリをOKしたのも、これをきっかけに紙の漫画も読んでもらえればと思ったからです。手塚プロダクションは、これからも手塚の心を世界に広めていきたいと思っています。
「手塚治虫ワールド」というテーマパークをずいぶん前に考えてやろうとしましたが、行政と折り合いが付かず、途中で辞めてしまいました。しかし機会があれば、子どもたちが親子で楽しめるものをつくりたいと思っています。親子が一緒に遊ぶということは、とてもいいことだと思います。
私は今、あまり現場を見ていないからよくわからないところもありますが、私らの子どもの頃の学校の先生は、なんだか一生懸命、一緒にやってくれました。先生が足りないとどこかの親が出て来て手伝ってくれたり、戦争があったからかもしれないけれど、みんなで子どもたちのことを大切に考えていたと思います。こんなことを言ってはおかしいかもしれないけれど、戦争があったから日本人は学んだところもあるだろうし、でもそれが戦後70年近く経って、忘れはじめているところもある。だからもう一度、思い返さないといけないんじゃないかなという気がします。
ー 松谷社長の目標は?
ボランティアの人たちがたくさん活躍しているけれど、私も社会貢献と言うか、子どもたちの精神的な成長において役立つことができたらいいなと思っています。手塚プロダクションもそうありたいですし、そういう気持ちは、常に持っていなければいけないと思っています。
インタビュー後記
『鉄腕アトム』は小学生のとき、仲のよかった友だちの家のお兄さんが持っていて、遊びに行っては読みふけっていました。ケガをしたこともあって『ブラック・ジャック』を心待ちにし、『三つ目が通る』『どろろ』『七色インコ』『ドン・ドラキュラ』、少し大きくなってからは『火の鳥』『アドルフに告ぐ』『ブッダ』『陽だまりの樹』などなど、たくさんの手塚作品とともに育ちました。手塚先生の伝えたかったことを、幼い私はそれほど汲み取ることができなかったと思いますが、ブラック・ジャックが真剣に命と向き合い救っていく姿、時に理不尽にも奪われてしまい己の無力さに打ちひしがれる姿は、私の脳裏に深く刻み込まれています。
とても残念なことに、手塚先生はすでにお亡くなりになってしまい、今はもう直接その言葉を聞くことはできません。16年に渡り一緒に仕事をされてきた松谷社長が手塚先生に関する本を書かれたことで、手塚先生の言葉を、どうしても伝えたいと思いました。そして松谷社長のお話をお伺いし、手塚先生は今なお漫画を通して、普遍的なメッセージを伝え続けていると感じました。
子どもたちをどんな大人に育てたいか、子どもたちに残したい未来はどんな未来なのか、手塚作品には、その多くのヒントが描かれています。そしてそのメッセージは、大人の方に、より切実に伝わると思います。今の子どもたちは、昔ほど漫画を読まなくなっているのではないでしょうか。他にいろいろな楽しみがあり、また子どももけっこう忙しい。しかし、ぜひ親子で手塚作品を楽しんでみてください。得るものが、感じることがたくさんあると思います。
松谷孝征(まつたに たかゆき)
株式会社手塚プロダクション代表取締役社長。「漫画サンデー」(実業之日本社)で手塚治虫の担当編集者になったことが縁で、1973年、手塚プロダクションに入社し、手塚治虫のマネージャーになる。手塚作品のアニメのプロデュースを手がけながら、1989年、手塚治虫が亡くなるまでの16年間マネージャー役を務めた。1985年4月に同社社長に就任。手塚作品の著作権管理とアニメーション制作を行ないつつ、手塚治虫の遺志を継ぎ、アニメや漫画を世界に普及させるための活動を続けている。
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