疎遠になっていた兄弟が音楽でひとつに、兄弟3人でたくさん練習すれば
誰もやったことがないことができるんじゃないか!?
ー マイケルさんはプロのサッカー選手からミュージシャンへ、デイビッドさんは学生時代からモデルやCMの仕事をしていて、サンシローさんは薬科大学に在籍と、みなさんそれぞれ別々の夢や目標に向かっていたと思うのですが、2013年に3人で「YANO BROTHERS」を結成しようとしたきっかけは?
デイビッド:2013年の僕の誕生日会で、Facebookで声をかけたら200人くらい集まることになってしまい、これだけの人数が集まってただのパーティーではおもしろくない、みんなに何かサプライズをしたいなと思ったんです。兄弟3人がバラバラで4〜5年ほど会っていなかった時期で、父親からも「3人一緒に俺に会いに来いよ。おまえが声をかけろ」と言われていたのを思い出して、いい機会かなとダメもとで声をかけたんです。そうしたら意外なことに2人ともすんなり「いいよ」という返事で。
ー しばらく疎遠になっていたのは、ちょっと仲が悪くなっていたとか、そういうことだったんですか?
マイケル:まぁ、そういうこともなきにしもあらずで‥‥。男の3兄弟ですからね、小さいときからいろいろありましたよ。なっ。
デイビッド:それで「1回だけわがまま聞いて」と、誕生日会のサプライズに3人でライブをすることにしたんです。久しぶりなのにすごく自然な感じで、しかもパーティーは盛り上がり、これでまた以前にように疎遠になってしまうのはどうかなと、せっかくだから続けてもいいのにと思っていたら、これまた2人も同じ思いだったのと、まわりからの評判も良くて、じゃあ、このまま一緒にやっていこうよと。そう言えば父親からも「それぞれで音楽活動をやっているけど、3人一緒にやった方がいいんじゃないか? 3人一緒にやるのが一番の近道だと思う」とも言われていました。
マイケル:僕らがデイビッドにサプライズされました。
ー サンシローさんは誘われたとき、どうして断らなかったのですか?
サンシロー:デイビッドの話術もあったんですが、1回きりならいいかな、と思って。大学も忙しいから、まさかずっと続けるとは思ってなかったし。でも一緒にやるって決めたときは何回もミーティングをして、本気でやるなら、本当に一緒にやりたいと思っているなら、力を合わせてやってみようと思って。
マイケル:上から目線だなぁ。
ー 一回きりと思って誕生日会で歌っているときは、どんな気持ちだったんですか。自分でもいいなと思いました?
サンシロー:特別何かを感じたり考えたりはしなくて、自然にやっていた感じですね。
ー マイケルさんはどうでしたか?
マイケル:父親がデイビッドに言っていた「それぞれで音楽活動して」というのは、僕なんですよ。でもその活動も、やりきったという感じではなく、3人で思い切りやってダメなら国に帰ろうかなという気持ちでやってみようと思いました。国籍は日本ですが。
でも以前からイメージしていたんですよ。3人で同じところに住んで、いっぱい練習すれば、誰もやったことがないことができるんじゃないかと。そう思っていたことが実現したというか、どうしてもそうなりたいとは思っていなかったけど、自然と。デイビッドの話術に丸め込まれましたね。
日本語なのにアフリカっぽい音や響き、ジャンルにこだわらない故の
新たなジャンル「JAFRICAN(ジャフリカン)」
ー デイビッドさんはピアノの弾き語りをしていたり、マイケルさんはプロサッカー選手のあとでミュージシャンになったり、そもそも音楽は幼いころから身近にあったのですか?
デイビッド:僕らがいた児童養護施設が運営している中学校があって、半分くらいは児童養護施設の子どもたちが通っていたんですが、学校の方針として音楽の時間は全員ピアノを勉強したんです。毎年発表会もあって必ずひとり1曲ピアノを弾かなければならなくて、けっこう必死で練習しました。だからピアノの影響力は大きいですね。
ー 日本の児童養護施設って、みんなそういうものですか?
デイビッド:大人になって気が付きましたが、僕たちがいた児童養護施設はちょっと特殊だったと思います。一学年25人くらいしかいなくて、ひとりに一台電子ピアノがあって、音楽の時間は音楽室で1時間ずっと練習して、発表会が近づくと毎日みんな否応なく1〜2時間練習して‥‥、そういう学校でしたね。
ー YANO BROTHERSの音楽は、日本とガーナという2つのルーツを持つ「JAFRICAN(ジャフリカン)」ということですが、どの部分がアフリカで、どこが日本というのは意識してつくっているのですか?
マイケル:言葉とリズム、音のそれぞれの国独特のものが交差したときに、自分の中では「JAFRICAN」になると思っています。
サンシロー:何がアフリカっぽいかは難しいけれど、日本語なのにアフリカっぽい音や響きという表現はしていきたいのですが、「JAFRICAN」というジャンルをつくったもうひとつの目的は、ジャンルにこだわりたくなかったからなんです。
僕たちは3人とも曲をつくるのですが、それぞれタイプというかジャンルが違います。音楽をやっていると「どんなジャンル?」って聞かれたり、そこにこだわる人が多いなと感じていて、でも3人の共通点は、別にジャンルにこだわらなくてもいいじゃん、ってことなんです。
ヒップホップもバラードもR&Bもポップスっぽい曲も、いいと感じたもので、自分の表現したいことをやりたい。音楽のルーツを辿るとブラックミュージックだったり、原点って同じようなところから来ている部分があるので、だったら日本とアフリカを混ぜてジャンルの壁を壊し、新たな「JAFRICAN」というジャンルをつくれば、やりたいことができる。だから「JAFRICAN」がアフリカっぽい感じの音というだけの受け止め方はしてほしくないですね。
ー 歌を歌う時のそれぞれの役割は?
マイケル:僕はどちらかというとラッパー寄りですね。デイビッドは歌寄り、サンシローは両方やりますが、実は僕も両方やります。
デイビッド:声の性質としては、マイケルは幅が広く奥行きのあるワイルドな感じで、もっとも日本離れした感覚を持っています。だからマイケルがいることで僕らの音楽は表現の幅が広がっている。サンシローは心情を声にのせるのがとてもうまくてラップもできるという、安定性と音楽性の幅が広い。僕はそれに支えられているだけです。
サンシロー:マイケルとデイビッドはまったくタイプの異なるアーティストですね。
マイケル:がに股と内股です。
サンシロー:マイケルがパワフルな声質だとしたら、デイビッドは優しさとなめらさ、きれいさ。で、僕は、僕の考えですが、その架け橋をしているような感じですね。音楽に関しては、ですが。その他はデイビッドが架け橋かな。
三人三様の夢を追い、そして音楽へ
ー YANO BROTHERSの「One step」という曲では差別や歴史問題、「Dream」はタイトル通り夢に向かっている様を歌っていますが、自分たちが経験したことや願っていることを歌にすることが多いですか?
マイケル:中学生の頃やプロサッカー選手として夢を追いかけていたときに聴いていた、スティービー・ワンダーとかには元気づけられた曲があります。そんなに盛り上がる曲じゃないんですが、そういう曲に助けられてきました。だから自分もそういう曲をつくりたいと思っています。
日本に来てから、僕だけ少しの間アメリカに行ったんですよ。その時、父親の姉のところにお世話になって、伯母さんと揉めると、向こうのトイレは広いじゃないですか、だからトイレに入って自分がどれだけかわいそうかを泣きながらメロディにのせて歌っていて、でも途中で泣いていた理由も忘れて自分のメロディに没頭しちゃうときがあって、いつか音楽をやりたいな、とはずっと思っていましたね。
ー もともとの夢はサッカー選手だったんですか?
マイケル:夢というよりも、なれる可能性が高いものでした。サッカーも好きだったので、好きなサッカーをやってお金をもらえれば嬉しいな、と。
ー デイビッドさんはモデルや俳優をやっていましたが、自分からそちらの世界へ行ったんですか?
デイビッド:大学生のときにバーテンダーのアルバイトをしていたんですが、時給が650円だったんです。お金が貯まらないなぁと思っていたときに外国人タレント事務所で働いていた叔父と久しぶりに会って仕事の話になり、そうしたら仕事が入ればだけど、モデルなら1回で1〜2万円くらいもらえるかもしれないよ、と言われて。やってみようかなと思ったのがきっかけです。
でもモデルをはじめてしばらくして、フォトグラファーや照明、衣装の方が撮影した写真を見ながら「もっとこうしたらいい写真になるよね」なんていうのを見ていたら、撮られる側よりも表現者として作品をつくる方がおもしろいなと感じたんです。それを思った瞬間に、モデルじゃなくて表現しようと、でもただ前に出るだけじゃなくて話したい、話すならテレビに出たい、そして表現するなら自分に与えられたものは音楽なんじゃないかなと、将来は音楽とテレビの仕事をしたいなと思ったんです。
ー サンシローさんは今、薬科大学に通っていますよね。なぜ薬科大学を?
サンシロー:僕もマイケルと同じようにサッカーと音楽をやって、音楽でそこそこのところまでいったときに、いろいろなものが見えてきて、若かったこともあって仕事として音楽をやることに葛藤というか、好きな音楽をお金のためにやるのかと1〜2年くらい悩みながら曲づくりをしていて、最終的に出た答えは仕事のためじゃなく、音楽が好きだから曲をつくって、結果としてそれが成功したらいい。つまり音楽は仕事じゃないという結論が出たんです。そうなるとじゃあ、生きていくうえでの仕事って何なんだと。
そこでもう1度1から、自分は何をして生きていけばいいのか、どういうふうに生きていきたいのかを、今までは兄貴たちの影響でサッカーをやったり音楽をやったりだったけど、自分で何をしたいかを考えたときに、薬剤師に行き着いたんです。
バイトや音楽活動をはじめ、それまで生きてきた中で感じたことは、見た目の違いでいろいろ苦労するというか、たとえばアパートやマンションを借りるにも外国人と思われて話も聞いてもらえず拒否されるとか、もちろんそうじゃない人もたくさんいましたが、やはり見た目や、そのときはフリーターだったので信用もなく、すごく生きづらいなと感じていたんです。
だから見た目はどうしようもないけれど、生きていくうえで世の中に認められる仕事をしたいというのがまずあって、それからやりがい、そして不景気だったので、景気が良くなくても困らない仕事をしたい。そうやって考えていくと、人の役にも立つし、薬剤師の仕事をしたいなと思ったんです。何かあったとき家族にも役立つなとも思ったし、家族を想う気持ちで患者さんに接することができれば、いい仕事なんじゃないかなと思えて。いろいろ考えたんですけど、それしかやりたいと思えるものがなかった。大学を通い直すのは勇気というか、かなりの決心が必要でしたが、それしか考えられなかった。先日卒業試験はパスしたので、あとは来月の国家試験です。
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矢野マイケル(Michael Yano)
9歳までガーナで育つ。その後テレビ東京「流派-R」第一回Rバトル優勝。八代亜紀、MAXなどのフューチャリング。2006年、元横浜ベイスターズのマーク・クルーン投手の入場曲(161K)CDリリース。同年に元中日ドラゴンズのホームランバッター タイロン・ウッズ選手のテーマソング、そして日本アジアチャンピョン、アイスホッケーチーム釧路クレインズのテーマ曲等を手掛け、サッカー日本代表元セルティック中村俊輔選手の応援歌のCDもリリース。2011年、玉木宏(All my life)、後藤真希の作詞作曲。2012年から韓国ユニットグループ2PMや2AM、U Kissなどの作曲作詞活動など多方面で活躍しつつ、ラッパー&シンガーをこなすアーティストとしてライブ活動中。
矢野デイビット(David Yano)
20歳からモデルやCMの仕事を始め、「ユニクロ」「リカルデント」「エネループ」「インテル」などの仕事を経て、テレビにも仕事の幅を広げ、「スポルト」「世界ふしぎ発見」「FOOT×BRAIN」「5時に夢中!」などに出演。その傍ら、好きだったピアノを通して音楽活動をスタートし都内を中心にピアノの弾き語りを始める。また25歳の頃にガーナでとある少年との出会いをきっかけに、「誰にも守ってもらえない子供たちを守りたい」と、自立支援団体Enijeを設立。2011年に一般社団法人化、一層力を注ぎ、教育を柱にガーナで学校建設や教育する側の教育、運動会やサッカー大会を主催。精力的に活動している。
矢野サンシロー(Sanshiro Yano)
高校時代までサッカーをし、その後、兄マイケルと組みテレビ東京「流派-R」第一回Rバトル優勝。今は薬科大へ通っている努力家。知る人は少ないが矢野兄弟のなかで、もっとも才能があると古今に渡り周りから期待されている。
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