差別との向き合い方、まずは自分自身の良さを見つけ、理解すること
ー 3人がそれぞれの考えで差別に向き合っています。マイケルさんは自分の力を高めて認めてもらおうと、デイビットさんは反発せず、言葉や文化を学んで日本社会に溶け込んで共存しようと、サンシローさんは幼い頃はあまり気にしなかったようですが、差別とはどのような向き合い方が良かったか、答えはありましたか?
マイケル:漫画で『ドラゴンボール』ってあるじゃないですか。そこに「ピッコロ」っていう、緑色の宇宙人みたいなのが出てくるんです。で、みなさんの目の前に突然ピッコロみたいな奴が現われたら、ぶっちゃけ平気なふりをしようとしても無理だと思うんです。僕も無理です。なので僕は、そう感じる人の気持ちはわかるんです。だから自分の見た目はどうしようもないけど、それ以外のところで、どうすればその人に嫌な人だと思われないか、そういう工夫をしました。
あと、中学生のときに学校でケンカをしたんですよ。そうすると、みんな見るんです。指を指したりして。嫌な気持ちだったけど、そのとき気が付いたんです。「目立つんだ」って。だから、これでスゴイことができたら、もっと注目されるなと。最初はサッカーもすごくやりにくかったんです。ボールを持った瞬間にみんながわからない言葉で何か言い始めたり、指を指されたり。でもあるとき「よしっ!」と気持ちを切り替えて思い切りやったら予想以上に良い結果が出たんです。そうやって、プラスに変えていこうと思いましたね。
デイビッド:僕は共存はするんだけど、そこで潰されたり流されたりしちゃいけないとは強く思っていました。大切なことは、自分の価値を探すということと、自分の良さを信じることだなと思いました。
僕は3人の中でも一番劣等感が強かったと思うんですよね。小さい頃にはお母さんから「もっと前を見て歩きなさい」って言われていて、人の視線が嫌だったし、みんなきっと僕のことをネガティブなふうに見ているんだろうなと思って育ってきたんです。でもそんな気持ちのままじゃあ、単純に自分が幸せになれないと思い、どういう人だったら、僕が“こんなふうに生きられたらいいな”と思うか、まわりを見てみたんです。そうしたら自分に自信を持った、自分の良いところをひとつふたつ知っている、自分のことが好きな人だったんです。それである日を境に、まわりが自分をどう思っているのかを探すんじゃなくて、自分が自分を好きになるものを探していく、自分自身の良さを探し、誰が何を言っても気にせず、自分の中で育てているものにしっかり目を向けて、日々それを育てるということを考えるようになりましたね。
そこにいるときには気が付かないんだけれど、高校までの世界ってとても狭いと思うんですよ。大学に入って世界が一気に広がって、そのとき、今までいろいろ関わったきたものってとても小さな世界で、それはそこでしか通じないものだったんだなと感じたんです。この世の中には多様な価値観がたくさんあって、それぞれの環境で通用するものと通用しないものがあって、ある意味、ほとんどの価値観って、実はそんなに大したことなくて、そこに自分が一喜一憂していること自体がもったいないと感じて、まずは自分でそのレールから外れたんです。
でも昔から、自分が自分らしくいられる場所があったらいいなとは思っていたんです。それがガーナでした。そこで実際に行ってみたんですよ。でも「あっ、僕はここでも外国人なんだ」と気が付いた。僕は自分のことを、他人や社会、コミュニティの価値観に左右されたくない、自由な人間だと思っていたんだけど、どこかで自分は“この国の人間”ということに固執していて、そこからは脱却できていなかったんだなと気づかされました。自分が100%自分らしくいるためには、人種や国境、国籍からも自分を開放する方にシフトしていかなければいけないなと思った。だからどこの国の人とか肌の色じゃなくて、自分自身の価値観で、自分はどういう人間なのかを判断していきたいし、僕という人間を見てくれる人により共感を覚えるし、そういう人をキャッチできるようになりたいなと思いました。
サンシロー:僕たちはたまたま日本とガーナの血を受け継いで、こういう見た目で生まれ、日本で育っていろいろありましたが、見た目とか文化、宗教だけじゃなくて、たとえば同じ日本人同士でも障がいがあったり、何か人と違うものがあったときに、同じようなことを感じたり、嫌な思いを経験すると思うんです。そういうのも含めて同じだなと思うのですが、差別にどう向き合っていったらいいかは、自分のことを良く知って、こういう自分だからこそこんなメリットがある、こんなデメリットがある、ということを自分で良く知ることが大事だと思います。
昔、嫌な経験をすると、こういう見た目だから人に見られるんだ、黒いって言われるんだと感じていましたが、見られることとか、黒いことは悪いことじゃない。ただ違うというだけで。でもそれをネガティブに受け取ってしまっているんです。さっきマイケルも言ったように、ポジティブに受け取れば目立つことでもあって、失敗すれば見られるけど、何もしなくったって、普通にしているだけでも注目されるんです。成功すればなおさらです。
見た目のことに対して「それをプラスにすればいい」って言ってくれた人がいたんですけど、まさにそうだなって。そのときはまだ素直に受け取れなかったんですが。でも実際に大学や社会で、僕らはすぐに覚えてもらえますよね。今の大学でも、1〜2年生のときは「あの子、日本語わかるの?」とか「勉強できるの?」とか心配ばっかりされていましたが、普通にやっていたら3年生くらいからまわりが勝手に評価してくれるんですよ。「真面目にやっている」とか、担任からも「君は評判いいね」「勉強がんばっているね」とか。でも僕としては普通にみんなと同じことをしているだけなんです。マイナススタートなぶん、普通にしているだけでほめられるっていうメリットもあるわけです。だからそういうことを自分で理解できれば、すごく生きやすくなる。
僕たちの経験が、誰かの生きる力になれば
ー 昨年11月にはNHKでも紹介され、2月2日発売号の週刊誌『女性自身』でもインタビューが掲載されています。デビューの頃は自分たちの背景はあまり表に出していませんでした、今、少しずつみんなに知ってもらおうとしているのはなぜですか?
マイケル:Jリーグでサッカーをやっているとき、観客席を見て「こんなにハーフっていたんだ」と思うことがあったんです。今まではサッカーなんて見に来なかったけど、僕が出ているから試合を見に来てくれるという。これって、僕が中学のときにスティービー・ワンダーなどの音楽に助けられ、求めていたものに自分が近づいているのかなって思ったことがあって。僕らみたいなヤツらでも乗り越えてここにいる、そういう見本になれればいいなと思っています。
サンシロー:今まで出さなかったのは、自分たちの中で、それが良いことではないと思っていたからです。別に輝かしい過去じゃないし、あえて自分たちから出したいとは思わないですよね。辛い思い出だったり、やっぱり家族のことなので。
でもデイビッドが出演した「ハーフ」※1というドキュメンタリー映画があるんですが、そこに興味を持つ人がいるんだな、そしてそれを伝えることで何かが変わる人たちがいるんだなと知って、僕らがいろいろな人の力になればいいなと思いましたね。
デイビッド:最初は100〜150人くらいのハーフにロングインタビューをして、その人のバックグラウンドを掘り下げたうえでミックスのアイデンティティに関する本を出す、というものでした。でもそれを映画化したいから出演してと言われて、最初は断ったんですよね。これを受け止める人がいるということを想像できなかったから。
でもそのとき、「日本でもミックスカルチャーの子どもたちが増えてきていて、デイビッドは今、前向きに生きているけど、前向きに生きられないまま大人になっている人がたくさんいる。デイビッドがどうやって前向きに生きられるようになったのかをロールモデルとして世に出せば、それを見て生き方を見つけられる人がいるかもしれない。必ず誰かの力になる」と言われて。
そういうものを出すことに対して良いイメージはありませんでした。でも今の日本では、既存の価値観や生き方が、ハーフに限らず多くの人たちを生きづらくしている、苦しめていると感じます。僕らはいろいろあるマイノリティのうちのひとりでしかありませんが、いろいろなマイノリティが自分たちの経験を声に出すことによって、マイノリティであろうがなかろうが、それを見た人の生き方を新しい方向へ導くヒントになれば、僕たちがバックグラウンドを公表する価値はあるかなと思うようになりました。
※1 長編ドキュメンタリー映画『ハーフ』
みんな“人と違うもの”をひきずっている
マイナスの気持ちを持っている人たちの気持ちをプラスに
グローバルに活躍したい!
ー ガーナから日本に来るとき、お父さんはみなさんが日本で嫌な目に合わないか、おそらく心配されたと思うんです。お父さんからアドバイスだったり心がけるようにと言われたことはありましたか?
デイビッド:唯一覚えているのが、ある日お父さんに呼ばれて、日本人がたくさん写っている本や写真をいっぱい見せられて、「デイビッド、今から君が行く国は、こういう肌、髪質の人たちがいる場所だから、今のうちに見慣れておいて」って言われたんです。僕はそれを見たときにすごく怖かったんですね。“僕たちと全然違う”って。泣いたのを覚えています。
ー でも、お父さんは日本人ですよね?
デイビッド:そうなんです。で、お父さんが「でもねデイビッド、お父さんも同じだぞ」って。そのとき初めて、そういえばお父さんと僕は肌の色が違うなって気が付いたんです。これって自分でもとても不思議なんですが、ホントなんですよ。
サンシロー:それおもしろいね。
ー 他のお2人も同じ感覚なんですか?
マイケル:同じではないけど、父親を人種としては見ていないってことかなぁ。
サンシロー:ん〜、考えたこともなかった。3才で日本に来たから、日本に来てからの記憶しかないですし。
デイビッド:僕はそのとき本当に驚いて、「ホントだ、お父さん違うね」って。
マイケル:でもこういうインタビューって、自分たちでも知らなかったことがわかっておもしろい。おまえらも大変だったな。
デイビッド:本当に、お互いのいろいろなことを知るよね。こんなこと話さないもんね。
ー 歌でこれからどんなことを伝えていきたいと思っていますか?
サンシロー:今、僕たちの音楽には苦しんでいる人や困っている人たちに、がんばる力、生きていく力を伝えるというイメージがあると思いますが、音楽ってすごく生活の中に溶け込んでいて、生きていくうえでなくてはならないものだと思っています。だから応援するだけじゃなくて、喜びや悲しみ、いろいろな人生の局面に寄り添うような音楽をつくっていきたいですね。僕らの音楽が生活の、人生の一部になれば嬉しい。
ー ライブもよく開催していますが、反響や感想は?
デイビッド:他のアーティストと比べたことがないからわからないけど、「元気になった」「勇気をもらった」「考えさせられた」という感想は多いかな。
僕らはそれぞれがすごく特殊な人生を歩んで来ていると思うんです。幼少期の頃から、自分で自分の答えを見つけなければならない人生を歩んできました。だから価値観も全然違う。だけど、自分たちから相手の気持ちを考え、理解しなければならなくて、常に「おまえが間違っている」というところからのスタートというのは同じでした。
いろいろと考えさせられる中で自分の答えを見つけるという人生を歩んで来て、それで今、音楽で表現するという立場にいます。つくった曲に共感してもらえれば嬉しいけれど、それだけを考えているわけではないし、求めてもいない。自分の人生でこれは大事だよね、ということを歌い、それがたまたま共感を得ていると思っています。
ー YANO BROTHERSとしての今後の夢は?
マイケル:日本でハーフの存在が少しずつ大きくなってきていて、人種に対する考え方が変わる時を向かえているのかなと思っています。音楽的なものだけじゃなくて、思った以上に僕らみたいなのが求められているんだなと。みんな“人と違うもの”をひきずっていて、僕らはそれがハーフだったり肌の色だったりしますが、でもみんな同じなんじゃないかって思うんですよね。だからマイナスの気持ちを持っている人たちの気持ちをプラスにできるようなアーティストでいたいなと思います。日本だけじゃなくて、グローバルに行けるところまで行きたいですね。
■ YANO BROTHERS オフィシャルサイトはコチラ!
インタビュー後記
先日、とある哲学者の先生に話を聞く機会があり、哲学書って難しくてわからないって話をしたら、「わからないことを考えるということに意味があるんです」とおっしゃっていました。簡単な例では「幸せとは?」「生きるとは?」など、答えのないことをずっと考え続ける。そうすることによって、自分という人間は、どういう考えをするのか、知っているようで実は知らなかった自分を知ることができると。デイビッドさんの「幼少期の頃から、自分で自分の答えを見つけなければならない人生を歩んできた」というのは、まさにこの状態で、だから3人ともものすごく自分を理解していて、自分の考えを伝えたり表現することが上手なんだと感じました。
サンシローさんは3月にマイケルさんと一緒に初めてガーナに里帰りするそうです。「まだ行きたくない。めちゃめちゃ不安」と言っていましたが、マイケルさんは「生まれた土地は特別で、パワーを感じる。サンシローには、自分たちのもうひとつの文化やリズムを取り入れてもらいたい」とおっしゃっていました。お母さんとも久しぶりに会う予定だそうで、ガーナへの里帰りによって、考えがどう変わったか、変わらなかったか、ぜひまた話を聞かせてください!
矢野マイケル(Michael Yano)
9歳までガーナで育つ。その後テレビ東京「流派-R」第一回Rバトル優勝。八代亜紀、MAXなどのフューチャリング。2006年、元横浜ベイスターズのマーク・クルーン投手の入場曲(161K)CDリリース。同年に元中日ドラゴンズのホームランバッター タイロン・ウッズ選手のテーマソング、そして日本アジアチャンピョン、アイスホッケーチーム釧路クレインズのテーマ曲等を手掛け、サッカー日本代表元セルティック中村俊輔選手の応援歌のCDもリリース。2011年、玉木宏(All my life)、後藤真希の作詞作曲。2012年から韓国ユニットグループ2PMや2AM、U Kissなどの作曲作詞活動など多方面で活躍しつつ、ラッパー&シンガーをこなすアーティストとしてライブ活動中。
矢野デイビット(David Yano)
20歳からモデルやCMの仕事を始め、「ユニクロ」「リカルデント」「エネループ」「インテル」などの仕事を経て、テレビにも仕事の幅を広げ、「スポルト」「世界ふしぎ発見」「FOOT×BRAIN」「5時に夢中!」などに出演。その傍ら、好きだったピアノを通して音楽活動をスタートし都内を中心にピアノの弾き語りを始める。また25歳の頃にガーナでとある少年との出会いをきっかけに、「誰にも守ってもらえない子供たちを守りたい」と、自立支援団体Enijeを設立。2011年に一般社団法人化、一層力を注ぎ、教育を柱にガーナで学校建設や教育する側の教育、運動会やサッカー大会を主催。精力的に活動している。
矢野サンシロー(Sanshiro Yano)
高校時代までサッカーをし、その後、兄マイケルと組みテレビ東京「流派-R」第一回Rバトル優勝。今は薬科大へ通っている努力家。知る人は少ないが矢野兄弟のなかで、もっとも才能があると古今に渡り周りから期待されている。
記事が役に立ったという方はご支援くださいますと幸いです。上のボタンからOFUSE経由で寄付が可能です。コンテンツ充実のために活用させていただきます。