フランスでも大評判!
笑って、泣いて、おっこをもっと観ていたい!
ー 劇場版『若おかみは小学生!』、90分の中にいろいろなエピソードが詰まっていて本当に泣いたり笑ったり、もうちょっと長く観ていたいと思いました。
高坂希太郎監督
僕も途中からそう思いましたが、予算もなくなってくるし、エピソードも削らなきゃいけなくて、大変でした(笑)。原作ファンの方の中には不満に思う方もいるんじゃないかと心配ですね。でも盛り込めるものは盛り込もうと、エピソードをたくさん入れてつくりました。
【映画レビュー】劇場版『若おかみは小学生!』を観た感想はこちら!
【映画紹介・予告編】劇場版「若おかみは小学生!」2018年9月21日(金) TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー!
ー アヌシー国際アニメーション映画祭2018※1、結果は残念でしたが、評判はとても良かったですね。日本とフランスで映画の感想や意見で違うところはありましたか?
高坂希太郎監督
フランスは柔道人口も日本よりも多くて、嘉納治五郎※2の志を継いでいるのは日本人よりもフランス人なんじゃないかと言われるくらい日本文化に精通しています。その国でこの映画がある程度よろこんでもらえたというのは、正直ほっとしました。
ー 15年ぶりの劇場公開作品で、初の長編映画となりますが、「若おかみは小学生!」を選んだのはなぜですか?
高坂希太郎監督
きっかけは声をかけていただいたということですが、旅館は接客業なので、自分を抑えることができないと成り立たない職業です。それは今の流行とは違うドラマ性があるし、“自分以外のものになることによって問題を解決していく” という物語は最近あまりないので、やりがいがあるなと思いました。
おっこのさまざまな姿から
どんな振る舞いが立派かを感じて
ー 人には表面からではわからない、いろいろな事情や想いを抱えて生きているというのがよく伝わって来ます。監督は子どもたちに、この映画を通してどんなことを感じてほしいですか?
高坂希太郎監督
小学6年生の主人公おっこ(関織子)の姿勢から、何かを感じてもらえればいいなと思っています。背筋が伸びた “ピッ” としたところとか、行き詰まったときでも、どのように振る舞えば立派な(カッコイイ)のかということだけでも感じてもらえたら嬉しいですね。
ー 小林さんはいかがですか?
小林星蘭さん
おっこちゃんは真っ直ぐで思いやりがあって、お客さんのために一生懸命がんばる子です。誰に対しても思いやりを持てるところが伝わってくれればいいなと思っています。
劇場版が大人も楽しめる理由
両親とおっこの物語も
ー おっこの両親をはじめ、たくさんの人の死が出てきます。映画を観る小学生低学年くらいだと、まだ死というものをしっかりと捉えられていないと思います。実際におっこも途中までは現実を受け入れられていませんでした。死を描くことについては、どのように思われながら制作されましたか?
高坂希太郎監督
“死” って必ず訪れるものだし、お子さんにしても曾祖父母や祖父母など、身近な人の死に接することはあります。そういう意味では、特別なものとしてはあまり意識はしませんでした。それよりも、もう少し広い意味での人間を含む “自然観” のようなものを感じてもらえたらなと思いました。
原作やテレビシリーズ※3は小さなお子さんがひとりで読んだり観たりするため描いていませんが、劇場版はかつての読者で今は大人の人も対象としていますし、小さなお子さんは親御さんと一緒に観に来るので、その部分については親御さんから説明していただくことで、それなりに心の手当はできるんじゃないかなと思って、あえて描くことにしました。
ー それともつながりますが、“許し” の物語でもありますよね。とても難しい問題で、正直、ここまで踏み込むんだと驚きました。
高坂希太郎監督
究極のおもてなしと言いますか、自分を抑えて客を想うという究極の選択として、おっこにぶつけた壁なんですよね。おっこは小学6年生の自分には解決できないことを、最終的には自分の感情を抑えて、若おかみとして解決しました。最初にお話した「自分以外のものになることによって問題を解決していく」ということです。
これはわりと昔の伝統的社会にはあった話なんです。ジャレド・ダイアモンド※4さんの言うことそのままですが、数十人から数百人規模の集団で死ぬまで付き合わなければならない間柄の人たちに対して、極端な感情の表出をすると関係がこじれてお互い気まずい思いでずっと過ごさなければならないという中から生まれた知恵で、自分の感情を抑えて、問題をどう丸くおさめるかが伝統的社会にはあった、という考え方も少し参考にさせていただきました。
神社でのお神楽シーンがありますが、集団をまとめるうえでお祭りはとても大切なもので、その集団の中で、おっこがどのように育まれるかという描写も含めて、ひとつのキーワードとして盛り込みました。
表情豊かな絵に負けない
微妙な気持ちも声で伝えたい
ー おっこは笑ったり泣いたり感情の幅も大きくて、難しい役ですね。
小林星蘭さん
大好きな作品に主人公のおっこちゃんで関わらせていただいて、全力でやろうと決めていました。自分の両親が亡くなっちゃったことを受け入れたり、それは私は体験していないことだし、演じるのは難しいと思いましたが、おっこちゃんはこういう性格だから、こう考えるかなとか、自分なりにずっと考えました。
最後はおっこちゃんもちょっと泣いちゃったりするんですが、私も一緒にセリフを言いながら泣いちゃったりして、そういう部分では、おっこちゃんに入りきれたかなと思っています。
ー おっこを演じるうえで気をつけていたこと、工夫したことはありますか?
小林星蘭さん
おっこちゃんは元気で前向きで、お客さんのためにすごく一生懸命になるんだけど、テレビシリーズの方では、笑うときも怒るときも思いっきり、何に対してもその感情100%という感じでやっています。
でも劇場版の方では、怒っているのと悲しいの間という複雑な心境や、常に前向きなだけではなく、ちょっと立ち止まったりとか、100でも0でもない50、60の気持ちを表現できるように心がけました。絵がとても細かくて表情豊かなので、その絵にあった気持ちの声を伝わりやすくしたいなと思ってがんばりました。
高坂希太郎監督
それすごいね(笑)
ー 高坂監督が、星蘭さんのすごいなと思ったところは?
高坂希太郎監督
演技の質を極端に変えられるんですよね。つまずいて転ぶシーンで、最初は「あっ!」ってリアルに倒れる感じで演じてくれたんですが、もっと漫画みたいに「どわぁ〜!」って言ってとお願いすると、すぐにその通りやってくれて、それでOKでした。
今の仕事にも役立っている
小学校の国語の授業、放送委員
ー 声優は今、子どもたちにもとても人気のあるお仕事です。小林さんの小学校生活で、今のお仕事に役に立っていることはありますか?
小林星蘭さん
小学生のときに放送委員をやっていたので、原稿を読んだりするのはすごい好きで、ナレーションのお仕事をいただいたときは、放送委員をやっていたときと同じように読んでみればいいのかな、と思いました。
国語の授業での音読も、この人のこの一言ってどんな意味があるのかとか、いろいろな考え方や受け取り方があるので、そういうのを考えることって、たぶん、声優さんが台本を読むときに、このセリフはどう読んだらいいんだろうと考えるのと同じだと思います。
「このときのこの子の気持ちは?」という人の気持ちを考えることも国語の授業にはあるので、他の人の意見も聞けるし、いろいろな方向から考えることができて、今の仕事にもすごく役立っているんじゃないかなと思っています。
うまくいかないときは
次はこうがんばろうと考える
ー 劇中でおっこは落ち込むことがありますが、小林さんが落ち込んだとき、どうやって元気になりますか?
小林星蘭さん
すごく負けず嫌いの完璧主義というか、なので何かでつまづくと悔しくて、立ち止まるより “やってやるぞ” という気持ちの方が強くなります。
だから特に何かをして立ち直るというよりも、ダメだった原因や、次にどうすればいいのかを考えて、次はこうがんばろうとか、こうやろうとか、そういうふうに考えるようにしています。
高坂希太郎監督
楽天主義なので、なんとかなるなって思いますね。でも星蘭さんと一緒で、いかにして克服するかを考えるのは好きですね。スタッフにできたところまで観てもらって、出てきた意見をどう解決するか、電車のなかで考えて、アイデアをiPhoneにメモったりしています。
劇場版『若おかみは小学生!』の舞台挨拶のときにも話したんですが、おっこのお母さん役の鈴木杏樹さんに「両親はあまり旅館のことを考えていなかったのに、おっこに対して、“立派な女将になってくれ” っていうのは都合良すぎるんじゃない」と言われたんです。
僕としては、亡くなってからの両親は、おっこがつくりあげているイメージなので、そこでの両親のセリフは、おっこが両親にかけてもらいたい言葉であり、僕の中ではそういう意味で整合性はとれていたんです。
でも確かに母親を演じる人にとっては、それは違うイメージなんだなと。なのでセリフを変えて、そういう作品を良くするための意見やアイデアが出てきて、良い解決策を考え、より良い作品にしていく作業はすごく楽しかったですね。
観てくれる人がいるからがんばれる
おっこたちの真っ直ぐさ、やさしさを観て!
ー おっこは人のために尽くしていくことで、自らも成長しています。そういう経験はありますか?
小林星蘭さん
今回の映画は今までの中で一番全力で、観た人が楽しかったとか、いろいろな感想が言えるようにがんばろうと思って、観ていただく人のためにがんばったというか、それでおっこちゃんが成長したように、私もいろいろ経験させていただいて、同じように成長できたかなと思っています。
高坂希太郎監督
制作がとにかく大変で、後半は近くにアパートを借りてそこから通っていました。1日17時間、かなり追い込まれました。でも、観て喜んでくれる人がいると思うと、力が湧いてくるんですよね。それは昔からよく経験してきたことで、以前テレビシリーズをやっていたときも、視聴者の方から感想をいただくと元気が出ましたからね。そういうときって、自分を抑えられているというか、観てくれる人のためにと思うと力が出ますね。
ー 劇場版『若おかみは小学生!』の見どころを教えてください。
小林星蘭さん
おっこちゃんの真っ直ぐさと、ユーレイたち、松木さん、おばあちゃんそれぞれの個性、やさしさを観てほしいし、自分だったら、この場面はこう考えるなと思いながら観ても楽しいので、そういうふうにも観てもらえればと思います。
高坂希太郎監督
成長過程にある星蘭さんの今の声、輝きという魅力もぎゅっと詰まっているので、そういうところも楽しんでいただければと思います。
【映画レビュー】劇場版『若おかみは小学生!』を観た感想はこちら!
【映画紹介・予告編】劇場版「若おかみは小学生!」2018年9月21日(金) TOHOシネマズ 日比谷他全国ロードショー!
高坂希太郎(こうさか きたろう)
1962年生まれ。1979年、OH!プロダクション入社、アニメーターとしてのキャリアをスタートさせる。1986年にフリー転身後、多数のスタジオジブリ作品に作画監督や原画として参加。2003年『茄子 アンダルシアの夏』で監督デビュー。同年カンヌ国際映画祭に出展され高く評価される。ジブリ作品以外では「YAWARA!」「MASTERキートン」等のマッドハウス作品にキーアニメーターとして参加。2014年、東京アニメアワードフェスティバル・アニメーター賞受賞(風立ちぬ)。
小林星蘭(こばやし せいらん)
2004年生まれ。2009年カルピスのCMで芸能界デビューし注目される。同年5月『サマヨイザクラ』でテレビドラマ初出演。さまざまなテレビドラマ、CMに出演し人気子役となる。現在は俳優、タレント、声優、ナレーターとしても活動中。
※1
アヌシー国際アニメーション映画祭
1960年にカンヌ国際映画祭から独立したアニメーション部門。フランス南東部の都市アヌシーで開催され、毎年、国内外の約230作品が上映され来場者は約12万人を記録する、アニメーション映画祭としては世界最大規模を誇る映画祭。
劇場版『若おかみは小学生!』はフランス現地時間2018年6月11日〜16日まで開催された「アヌシー国際アニメーション映画祭2018」のコンペティション長編部門に正式出品。945席を埋め尽くした観客は、おっこのひたむきな姿に時に笑い、時に涙して作品を堪能。約90分の上映後には拍手が鳴り響いた。
※2
嘉納治五郎(かのう じごろう/1860年〜1938年)
講道館柔道の創始者であり、柔道・スポーツ・教育分野の発展や日本のオリンピック初参加に尽力するなど、明治から昭和にかけて日本におけるスポーツの道を開いた人物。1909年、アジア初のIOC委員にも就任。「柔道の父」「日本の体育の父」「日本オリンピックの父」とも呼ばれる。
※3
テレビシリーズ『若おかみは小学生!』
2018年4月8日(日)よりテレビ東京6局ネットで放送開始。おっこの声は劇場版と同じ小林星蘭さん。
https://www.waka-okami.jp/tv/
※4
ジャレド・ダイアモンド
1937年ボストン生まれ。1958年にハーバード大学で生物学、1961年にケンブリッジ大学で生理学を修めたのち、進化生物学、鳥類学、人類生態学へと研究領域を広げる。鳥類の研究で訪れたニューギニアでのフィールドワークでニューギニアの人々との交流から人類の発展にも関心を深め、その研究成果が『銃・病原菌・鉄』(2012年)として結実、ピューリッツァー賞を受賞し世界的ベストセラーとなる。おもな著書に『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの』『昨日までの世界 ー文明の源流と人類の未来』などがある。
高坂監督が参考にしたのは、『昨日までの世界(上)文明の源流と人類の未来』の第2章「子どもの死に対する賠償」にある「交通事故と伝統的な紛争解決法」。ニューギニアなどの伝統的社会(昔ながらの生活をしている社会)では、人々は国家政府の司法制度の助けを借りずに独自の伝統的方法で正義を行ない、諍いを平和裡に解決している。それは「お互いの感情をどう処理し、関係をどう修復するか」に重きを置いたもので、日本やアメリカなど先進国の社会で重視する「どちらが正しいか」とは異なる。
パプアニューギニアで公営スクールバスが飛び出してきた児童と接触し、その児童は亡くなってしまった。事故の翌日、亡くなった児童のお父さんがスクールバスの事務所にやってきて、「今回の事故は故意でないことはわかっている。息子の葬式を出すにあたり、親族にふるまえる少々の食事とお金を工面していだだけないか」とていねいに依頼した。事故から4日後に葬式が行なわれ、親族はもちろん、事務所の代表・幹部も出席し、全員が亡くなった児童への弔辞を延べ、悲しみを共有し食事をともにした。
以下は「交通事故と伝統的な紛争解決法」について語っている『ほぼ日刊イトイ新聞』のインタビュー記事。「ジャレド・ダイアモンド×糸井重里 ジャレド・ダイアモンドさんのおどろくほどクリアな視点」の「第5回 「対立」が起きたとき、私たちは。」を参考に要約。
「社会の規模が小さく、一生を数百人以下のコミュニティで暮らす “伝統的社会” においての「対立」の相手は知り合いだったり、知っている誰かと親しかったりと、何かの関わりがあるという存在。そうした社会で「対立」が起きてしまったときに大切なことは「関係をどう修復するか」となる。
一方、日本やアメリカなど先進国の社会で「対立」が起こったときに大切なのは「どちらが正しいか」。たとえば交通事故を起こした際、その相手はほとんどが知らない人。そのため相手の感情を無視して「どちらが正しいか」の考えのもとに「対立」を解消する。警察や裁判所の考え方も「どちらが正しいか」となり、感情の処理のことは考えていない。
ニューギニアで起きた交通事故の事例で紹介している伝統的社会では、「対立」が起こったときに「お互いの感情をどう処理し、どう落ち着かせるか」に重きをおく。一緒に食事をし、その場でお互いに泣くことによって互いの痛みを共有して解決した。」
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