『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』公開記念!
『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』スペシャル応援団「ウンタカ!ドラドラ団」棚橋弘至選手、真壁刀義選手インタビュー!
『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』の見どころは?
真壁刀義選手
この『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』は、1989年に公開された『のび太の日本誕生』を新たなステージへと進めた作品で、子どものころに『のび太の日本誕生』を観た人が、今はお母さん、お父さんになっている。
「ドラえもん」って、子どもが楽しめるのはもちろんだけど、大人になって観るとまた違う視点で楽しめるんですよ。だからね、そんな大人には、やっぱり、かぁちゃんがいいんですよ。のび太のママがね。最初の方からもう“グッ”ときた。
俺たちって、さも“ひとりで生きてきました”って顔をしてるけど、本当はそうじゃないじゃない。ずっと親が守ってくれていたからこそなんですよ。家もある、飯も食える、学校にも行かしてくれる、いろいろなものを用意してもらっての今なのに、勝手にテメーひとりで生きてきたような顔をするじゃないですか。のび太のママからは、改めてそういう、家族の陰の思いやりとかを気が付かせてもらったね。
お母さん、お父さんは実感すると思うよ。子どもはまだわからないだろうし、そんなことに気が付いてもらう必要はないんだけど、のび太のママの言葉とか表情とかは心に残ると思うんだよ。だから何年かしてもう一度観てほしいね。子どもたちにも新たな気づきがたくさんあると思うよ。
この映画はリアルにハートに響くから、今の子どもたちには少しでも何かを持って帰ってもらって、辛いときなんかに頑張る気持ちとか、夢を持ってもらいたいね。
棚橋弘至選手
ドラえもんたちはピンチになって、道具に頼ろうと思ってもダメで、でもそこであきらめずに頑張るんです。そして最後は道具じゃなくて、ドラえもんやのび太、ジャイアン、スネ夫、しずかちゃんたちが、自分たちの力で頑張る姿がお子さんに響くと思うんですよね。だから何か悔しいことや辛いことがあったときに、僕も、私も頑張ろうと、あきらめない気持ちを感じてもらえればと思います。その部分はプロレスにも通じる部分があって、僕も観てて感動しました。
2人ともドラえもんたちの敵となる「クラヤミ族」の一員として出演しています。棚橋さんはプロレスではヒーローですが、悪役はどうでしたか?
棚橋弘至選手
新鮮でした。プロレスでもこの原始人ルックをコスチュームにして悪役をやろうかな。スーパー・ストロング・マシン的に「いやぁ〜!」って。でも、クラヤミ族になりきれない自分もいて、声優の仕事では悪役なのに声が上ずってしまいました‥‥。
真壁刀義選手
「せ、精霊大王!」というセリフがあるんですよ。でもこんなキーの高い声の悪役ってないでしょ。映画を観てても、すぐに棚橋の声だってわかりますよ。
悪には染まれなかったんですね。
棚橋弘至選手
はい。クラヤミ族の中でも割と良い方というか‥‥。
真壁さんはプロレスでもヒールですが、クラヤミ族はいかがでしたか?
真壁刀義選手
俺はもう生まれもってのヒールだよ。“オギャー”って生まれたときからヒール!
でも好感度はめちゃめちゃ高いですよね? ヒールなのに憎まれない、嫌われない、その秘訣は?
真壁刀義選手
それは教えられないなぁ。というかね、映画のジャイアンと同じですよ。そういうことです。やるときはやるんです。大事なところはバッチリ決めるんです。
真壁さんは先ほどの「ウンタカダンス」イベントで子どもたちに、「ドラえもんを観て夢を叶えてきた」とおっしゃっていましたが、子どもの頃の夢はプロレスラーになることだったんですか?
真壁刀義選手
全然夢じゃなかった。というか、なれると思っていなかった。
俺がガキの頃、小学4、5、6年生くらいかな、プロレスはタイガーマスクやハルク・ホーガン、アントニオ猪木、長州力がいて大ブームだった。毎週金曜日の夜8時にプロレスのテレビ放送があって、土曜日の学校は男女関係なくプロレスで盛り上がり、そんな少年時代だったからプロレスは自分の根幹にバッチリ根づいている。プロレスラーはあこがれの存在で、俺なんかがなれるわけがないと思っていたんだな。
で、俺はあの、ちょっと屈折した時期があって、大人になって、さぁ働こうかなと思ったときに、ちょっとだけ夢を見てみたいなと思った。それで就職活動なんかしないで体育館の角でずっとスクワットをやって、100回だったのが200回できるようになり、200から300、そして1,000回が普通にできるようになって、体力もついて新日本プロレスの入門テストに受かることができた。でも、そこからがまた地獄、地獄、地獄だった。10年くらい続いたかな。
プロレスを辞めようとは思わなかったんですか?
真壁刀義選手
もうね、自分の中であきらめかけてた。あぁ、もうこんなもんでいいかなって。試合中にアキレス腱も切っちゃって、俺のプロレス人生はこれでもう終わりだなって思ってた。でもそこで美しい話があるんだよ!
アキレス腱のケガで入院していたとき、プライベートの友だちがお見舞いに来てくれたんだよ。そしたら俺の診察中にプロレスラーの友だちも病院に来てくれて、診察が終わって診察室から出たらすごいきれいな西日が差す中にプライベートの友だちとプロレスラーの友だちが、すげぇ和気あいあいと話しているんだよ。それを見たときに、なんか一瞬時間が止まって、「あぁ、俺はこいつらのためにもう一回がんばらなきゃダメだな」って思った。そっからだよ、もう一回初心に戻って闘いはじめたのは。本当に夢を叶えはじめたのは、そこからだよね。
棚橋さんはどうですか?
棚橋弘至選手
僕はそのときどきで夢中になることを全力でやってきたというか、子どもの頃はプロ野球の選手になりたくて一生懸命野球をやっていて、体力がついてきたから筋トレも覚えました。大学でプロレスラーになりたいと思ったときは、その筋トレがすごく役に立った。プロレスラーになってからは、大学で勉強してきたことが役に立って、クイズ番組とかに呼んでいただけるようになって、それで今回みたいな企画にも声をかけていただいて。飽きちゃったり挫折とかで夢はどんどん変わっているんだけど、でもそのときどきで真剣にやってきたことは全部自分の中で財産になっている。挫折した経験も、決して無駄になってないんですね。
お2人の今後の目標や夢は?
真壁刀義選手
変わらずですよ。プロレスラーとして王座を目指す。俺は今ベルトを持っていないので、どんなベルトでも狙っていく。うち(新日本プロレス)の看板ベルトなのか、ほかのベルトなのか、ベルトもいろいろ分けられているけど、今の俺にはどれもが金メダルに値する。そしてプロレスラー真壁刀義を通して「プロレスっておもしれぇんだよ、見に来いコノヤロー!」というのを伝えていきたいね。
プロレスってね、俺らもそうだったけど、人生の教科書なんですよ。乱入してきたヤツらから仲間を助けたり、努力して競い合って頂点を目指したり、いろいろなことがあって、人生と変わらないんですよ。だからプロレスを見た人に、何か自分の人生の糧になるようなヒントを得てもらえたら嬉しいね。
棚橋弘至選手
ベルトをもう一度とってプロレスを盛り上げていくというのはもちろんですが、プロレスって日本全国を巡業するんです。で、プロレスラーって体が大きいから老人ホームや介護施設とか、福祉関係の施設に顔を出すと、とても喜ばれるんです。だからプロレスラーが全国を回る、この巡業システムを活かした社会貢献もしていければいいなと思っています。お年寄りだけじゃなくてお子さんも喜んでくれるので、いろいろなシチュエーションのお子さんのところにも行きたいですね。
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