登山からどこででも“生きていける”ということを学んだ
世界中のいろいろなところで、いろいろなものを見てみたい
ー 先生はどんな子どもだったんですか? 小さなときからイカに興味があったのですか?
普通の子どもでしたよ。子どものときからイカ・タコに興味があったわけではありません。今はもう62歳ですが、東京・中野の生まれで、すぐそばに新井薬師というお寺がありました。まだ舗装されていない道の方が多かったかな。原っぱがいっぱいあって、そういうところでコオロギやカナヘビを捕まえたり、それが当時の子どもたちの遊びでした。
その頃の子どもたちは、いろいろな虫の名前をよく知っていましたよね。コオロギだって少なくとも3種類は区別ができて、オカメコオロギ、ミツカドコオロギ、エンマコオロギ、あとは我々は便所コオロギって呼んでいたけど茶色いのがいて(カマドウマ)、バッタもショウリョウバッタにオンブバッタ、カワラバッタ、トノサマバッタ、でもそれは子どもたちの常識だったね。ひょうたん池というのがあって、そこにはザリガニやクチボソ、いろいろな生き物がいて、そういうところで遊んでいました。でも中学受験、高校受験というのもあって、勉強もしました。勉強はあんまり好きじゃなかったから、やらされました。進学教室とかも行かされてね。できない方じゃなかった。上位の方だったかな。小学生のときは級長とか、中学のときは生徒会もやったり。高校生までは東京にいました。
従兄弟が山が好きで、中学時代に連れて行ってもらって、それで山に登るのはいいなと、山登りが好きになった。東京近郊の山は中学生の頃からよく登っていました。それで高校時代は山岳部に入りました。今は山ガールとか、カジュアルできれいな感じだけど、その当時は山登りと言えば汚い格好で男臭くて、今とは全然違いますよね。山に登るというのは、普段の世界から離れていくことでした。頂上に立つとか、縦走するという目的があって、それを達成するには計画を立てる必要がある。1週間も山に入るとなれば、テントや調理器具、食料などの持ち物のほか、効率よく食べるための献立、そしてもし途中で天候が崩れたらどこに逃げるか、どう連絡するかなど、いろいろなことを想定して計画を立て、実行していく。そういうトータルのイベントなんですね。まったく知らない自然の中に入っていって、ちゃんと戻って来るということを山岳部で学びました。だから、どこで寝ても死なない。どこででも暮らせる。そういうことがわかった。それが私の核の部分なんですね。
ー 海に山に、興味の幅が広いですね。
いろんなところに行きたいんだよね。いろんなところでいろんなものを見て、たくさんの経験をしたいというのがあった。だから高校生のときには、世界のいろいろなところに行ける航海士になりたいと、東京商船大学(当時、現在は東京海洋大学)に行こうと思った。しかし航海士になるには、当時は裸眼で視力が1.2以上なきゃダメだった。目が悪かったから航海士はあきらめて、他に何かないかと探したら、海洋生物学ならいろいろな海に行けそうだった。その頃は、北杜夫の随筆「どくとるマンボウ」シリーズとか(「どくとるマンボウ航海記」は、水産庁の漁業調査船に船医として乗りこみ、5ヵ月間、世界を回遊した作者の興味あふれる航海記)、ジャック・イブ・クストー(1910年〜1997年 フランス 海洋探検家)の「沈黙の世界」という映画があって、海の中の生き物を、アクアラングという潜水具とカメラで撮影していて、私も山に登っている頃、カメラを持っていろいろと撮っていたので、海洋生物学者はおもしろそうだと、それで北海道大学の水産学部に入ったんです。でも、そこでもまだイカ・タコは関係ないんですよ。
大学に入って4年間、水産学部は函館にあるんだけど、最初の1年半は札幌でワンダーボーゲル部でいろいろな山に登り、その後、函館でアクアラングをはじめました。4年生になると浮遊生物学という、プランクトンについて調べる教室に入って、それで卒業論文を書いて、北海道大学の北洋水産研究施設という、今の大学院大学へ行き、そこの指導教官の辻田時美先生から北洋(オホーツク海、ベーリング海などの北洋海域)のイカを研究し、それをテーマに修士、博士になりなさいと勧められたんです。そこからイカの研究を始めたんです。
ー「イカか…」というような気持ちはなかったんですか?
辻田先生は、北洋の生態系、物理環境も含めて、生物がどういう関わりをもってひとつの生態系をつくっているのか、どう動いているのかを明らかにしたいという大きな目的を持っていました。だから大学院に来た学生たちに、君はスケソウダラを、子どもから親になるまでの生活史を研究しなさいとか、海鳥が何を食べているかを明らかにしなさいとか、トドなどの海獣類、サケやマスなど、いろいろなテーマがあって、学生たちに割り振って研究をさせていました。その中で、まだイカはまだ誰もやっていなかった。で、私がイカになったんです。好きとか嫌いとか、そういう問題ではなかったんですね。
ただ、イカってすごく重要な役割をしていて、サケ、マスが何を食べているのか、胃の中を調べてみると、特にベニザケは小さなイカをたくさん食べている。海鳥もそう。エトピリカやウミガラスは本当に小さなイカをたくさん食べている。イカが彼らの重要なエサであることはわかった。しかしそのイカが、どのような生活史を持っているか、どこで活動し、どうやって子どもを残しているのかなどは、わかっていなかった。そんなことから研究をはじめました。
ー その頃からイカ一筋なんですか?
一筋、というわけではないんですね。辻田先生は海の生態系という生物同士の大きな関わり合いを視野に入れていたから、私もそれを継いでいる。国立科学博物館で働くようになってからはイカ・タコの分類の研究、世界中にどんなイカやタコがいるかの調査・研究をしていますが、イカやタコがどういう生き物と関わりを持っているか、いろいろな生き物、たとえばサメや魚類や鳥の胃内容、誰に食べられてるか、イカが何を食べているか、そういう食物連鎖にも興味があって、その中のひとつがマッコウクジラなんです。
マッコウクジラは昔から研究されていて、イカをよく食べているのはわかっていました。しかし日本では1987年に商業捕鯨が禁止されてからクジラの研究ができなくなってしまった。それが2000年から調査捕鯨が認められ、日本周辺海域のマッコウクジラの調査ができるようになった。それで2000年から、特に北太平洋に分布しているマッコウクジラの胃内容を調べているのですが、これが本当におもしろい。ほとんどがイカ。95〜98%、99%と言ってもいいくらいイカを食べている。じゃあ、どんなイカかと言うと、クラゲイカとかサメハダホウズキイカ類をはじめとする33種類くらいのイカを食べている。たまに魚類も出てくるけど3種類くらいで、ほとんどがイカ。その中に数は少ないけどダイオウイカが出てくる。ダイオウイカは体が大きいから、重量組成としてはけっこう高く、20〜30%くらいあるということがわかってきた。中深層性のイカとマッコウクジラの関係、それが私の興味の中心になっていき、ダイオウイカを見つけるという目的のひとつになったのです。
大学院を卒業してからは、米オレゴン州立大学の海洋学部で研究助手を1年ほどしていました。節目節目にうまく就職できればいいんだけど、大学で「博士」をもらってから就職先がなく、北洋の生態系が専門のピヤシー教授に誘われてオレゴンへ行き、仕事をしていました。日本に帰ってきて北海道大学に戻り、そうしたら国立科学博物館にいた私の師匠の奥谷喬司先生が東京水産大学に移られるという。そこで博物館にイカ・タコの専門家がいなくなるということで、私が後釜に入った。1984年かな。で、その後はここで、イカ・タコをはじめ、毛顎動物(肉食性プランクトン)や有鬚動物(ゆうしゅどうぶつ:ヒゲムシなどの100〜数千mの深海底に生息する体幅0.1〜1mmくらいの糸のような細い動物体)、最初の頃はウニ、ヒトデなどの棘皮動物も研究していました。いろいろな先生も入ってきたので、今はイカ・タコなどの頭足類と、毛顎動物、有鬚動物を担当しています。
何がわからないのかを知り、興味を持つことが大切
まだまだ、世の中にはわからないことがいっぱい
ー ダイオウイカの調査・研究にはかなりの費用が必要だと思うのですが、研究費でまかなっているのですか?
基本、研究は、研究費でまかないます。科博の研究費で標本の登録や管理をしたり、分類の研究はあまりお金がかからないので、そんなに大きな金額ではありません。海での調査などは、国の科学研究助成費(通称:科研費)というものに応募するんです。何年間のプロジェクトで、こんなことを研究して明らかにしたいから、これくらいのお金がかかるというものです。全額は出ないけど、8割くらい出してもらえる。この科研費をとれるというのは、日本での研究者のステイタスでもあります。
最初は若手研究者を対象としたCランクからはじまって、3年で300万円くらい。Bランク、Aランク、特ランクとあって、支給される研究費も違います。私は当初、日本のダイオウイカには何種類かいると考えていたので、ダイオウイカの分類学的研究でCランクに申請をして、研究費をいただきました。次にBランクで中深層性大型頭足類の研究をしたいと、3年で500万円くらい、現在はAランクをいただいていて、4年で1,200万円くらい。「中深層性大型頭足類とマッコウクジラの共進化的行動生態に関する先駆的研究」という長いタイトルの研究です。マッコウクジラと、彼らがエサとしているイカがどう一緒に進化してきたかを調査するもので、今年が最後の4年目。これでまたお金がなくなります。今年申請しようかと思っているのですが、申請書類をつくるのは結構大変なんですよね。
2012年のプロジェクトは、NHKとディスカバリーチャンネルのプロジェクトなので、私の研究費ではありません。あれはNHKだけでも出せなくて、ディスカバリーチャンネルと共同プロジェクトにして、いくらかは知らないけど、かなりだよね。私の研究費では、ああいうことは到底できない。科研費には特ランクの上に“なんとかSランク”というのがあって、3億円くらいまで出ると聞いたことがある。それだったらあのようなプロジェクトもできるかもしれないけど、その申請は絶対に通らないね(笑)。研究費の多い少ないじゃなくて、できることを考える。それも研究なんですよ。
ー 窪寺先生のような研究に興味がある子どもに、今からどういったことをしたらいいかアドバイスをいただけますか?
私も最初から興味があったわけじゃないから、あんまりアドバイスめいたことはしたくないんだけど、「そうだよ、こういうことがあるんだよ。海っておもしろんだよ」ということを知ってもらいたいね。私は謎に包まれたダイオウイカのことが知りたくて、どうしてもこの眼で見てみたかった。実際に見て、わからなかったことがわかって、新しい発見をして、ワクワクしました。
勉強しろとか、何か目的を持ってやれとは言いたくない。もちろん勉強はしなきゃいけないけど、勉強って、わからないことが何なのかを知るために必要で、わからないことに興味を持つことが一番大切なんだよね。ダイオウイカじゃなくてもいい、まだ、いろいろなことが、わかっていない。その何がわかっていないのかを知るために勉強する。わかっていないからおもしろい。自分にとって何がおもしろいか、それをどうやって見つけていくかを考えて、そのわからないことを明らかにしていってほしいですね。
ー 今後の夢や目標は?
ダイオウイカの研究をはじめて10年、やっと自分の目で生きているダイオウイカを深海で見ることができたんだけど、それでダイオウイカのすべてがわかったわけではない。ダイオウイカのオスとメスがどこで出会い、どこで卵を産み、卵から孵化した子どもはどこで、どのようにして成長し、親になっていくのか。「生活史」と言いますが、子孫をどうやって残していくのかはまったくわかっていないんです。
ダイオウイカだけではなく、マッコウクジラが捕食している他のイカ類の生活史もまったくわかっていない。そのわかっていないところを、なんとか明らかにできたらと夢想しています。でも私ひとりではできそうにないので、その研究を引き継いでくれる若い研究者が育ってくれることが、私の夢でもあるのです。
ずっと日本周辺海域のイカ・タコの調査・研究をしていますが、まだ名前のついていないイカやタコっているんですよ。これに名前を付けてあげなきゃならない。定年になっても、イカの分類学的研究、これは大きなプロジェクトじゃなくても、自分の目で見て、観察して、これは新種だね、というのがいるから、名前を付けてあげたい。そういうことをやっていきたいかな。
【体験レポート】特別展「深海」- 挑戦の歩みと驚異の生きものたち-に行ってきた!
インタビュー後記
世界で初めて深海でダイオウイカの撮影に成功した理由についてお伺いしたとき、最後に「何よりも“持っている”んだろうね」と、ニコッとされた笑顔が、こう言っては失礼ですが、とても人懐っこい笑顔で、印象的でした。
しかし本文中にもあるように、窪寺博士は世界で一番最初にダイオウイカの静止画を撮影し、しかも生きているダイオウイカを釣り上げてもいる。10年にもわたる調査で、何年も成果が出ないときもあったけれど、なぜダメだったのか、その理由をひとつひとつ見つけ出し、ダイオウイカが出てくる条件というものを割り出していった。撮影に成功したとき、博士はその前に何度もエサとなるソデイカが海に沈んでいくスピードを、イカの中に入れた浮力材を調整しながら整えていたという。確かに“持っている”のだろうけれど、その一言で片付けられるものではなく、誰よりも考え、多くの挑戦をし、失敗を積み重ねたに違いない。そしてその原動力は、もっと知りたい、ということと、わかったときのワクワクする気持ちだろう。
広い海での調査は、想像を超えるような大変なことがたくさんあったはずだ。しかしそれを微塵も感じさせず、とても楽しそうにお話をしていただきました。ダイオウイカはまだ謎の部分の方が多く、研究ははじまったばかり。博士はまだまだ“持っている”はず。これかもみんなが驚くような発見をしてほしいですね。
1951年東京生まれ。北海道大学水産学部大学院を修了。水産学博士。米オレゴン州立大学海洋学部での研究助手を経て、1984年から国立科学博物館勤務。海生無脊椎動物研究グループ長などを務めた後、2011年から標本資料センター・コレクションディレクター。2002年から小笠原近海で中深海性の大型イカ類の調査をはじめ、2012年、NHK、ディスカバリーチャンネルなどと協力し、世界で初めて生きたダイオウイカの姿をとらえる。ダイオウイカ研究の世界的権威。2007年、米ニューズウィーク誌の「世界が尊敬する100人の日本人」の1人に選ばれた。窪寺恒己(くぼでらつねみ)
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