特別展「深海」が2013年10月6日(日)まで開催中!

ダイオウイカ研究・窪寺恒己博士(国立科学博物館)インタビュー!

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士インタビュー
「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士
2013年10月6日(日)まで、東京・上野の国立科学博物館で開催中の『特別展「深海」- 挑戦の歩みと驚異の生きものたち』。2012年の世界初となる深海でのダイオウイカ撮影のニュースも手伝い、今や深海ブームと言っていいほどの人気。そこで今回は、世界で初めて深海で生きたダイオウイカの姿を見た、ダイオウイカ研究の第一人者、国立科学博物館の窪寺恒己博士に、ダイオウイカの研究に至った経緯、そして世界初となる撮影に成功するまでの挑戦について、お話をお伺いしました。(インタビュー:2013年8月22日 / TEXT:キッズイベント 高木秀明 PHOTO:水町和昭)

特別展「深海」は10年以上前から構想、3年前にスタート!
今わかっている「深海のすべて」を、みなさんに見ていただきたかった

ー 特別展「深海」はもちろん、深海生物を取り上げたテレビ番組も大人気ですね。今、ちょっとした「深海」ブームですが、これを見越しての特別展だったのでしょうか?

今回の特別展「深海」の企画が持ち上がったのは3年ほど前ですが、国立科学博物館(通称:科博)には7名ほど海の生物の研究をしている先生がいて、10年以上前から「深海展」をやりたいと思い、どういうものができるのかということを考えていました。

我々は20年以上にわたり日本周辺海域の「深海性動物相調査」を行なっています。駿河湾にはじまり、4年ごとに土佐湾、南西諸島、東北沖、そして今は日本海の調査をしていて、ちょうど20年です。だからこの節目に、日本の周辺海域にはどのような生物がいるのか、それを科博として明らかにしていこうと、最初は深海性動物の企画展をやろうと考えました。しかし、それじゃああまりおもしろくない。「All About 深海」。人間がどうやって深海に挑戦してきて、今一番進んでいる研究を通して深海の何がわかってきていて、どんな生物がいるのか、そういう、今わかっている「深海のすべて」を、なんとかみなさんに見ていただきたいと思ったのが3年前です。

「深海のすべて」となると、国立科学博物館が持っているものだけでは実現できません。日本で海の一番深い場所の調査をしているのは海洋研究開発機構(JAMSTEC:ジャムステック)です。そこでJAMSTECの藤倉克則博士に協力をお願いし、今回の特別展「深海」が立ち上がりました。JAMSTECが持っているテクノロジー、現在行なっている一番進んでいる研究、そして科博の先生方の持っている資料や標本を合わせ、さらに私はずっとダイオウイカの調査をしていたので、ダイオウイカについても公開できればと思っていました。特に、昨年(2012年6月〜7月)にはNHKのプロジェクトに参画し、深海でダイオウイカの動画を撮影することに挑戦していたので、もし撮影に成功すれば、すべてがうまくいくように特別展の構成を考えていたら、本当に撮影できちゃった。今年の1月からNHKがダイオウイカの深海での撮影成功のニュースや特別番組を流していたので、それによってみなさんの目に触れ、多くの方に興味を持ってもらったんでしょうね。

ー もし撮影に成功していなかったら、特別展の内容は変わっていましたか?

特別展「深海」の最後のコーナーで、ダイオウイカの撮影に成功した様子を大きなスクリーンに映しているのですが、それはできなかったですね。しかし、JAMSTEC(海洋研究開発機構)もNHKも、深海でいろいろな生物の撮影ができるようになりました。それはここ25年くらいという最近のことなんですよ。だからこの特別展では、標本と、生きている映像の両方を見ていただきたいというのが私のコンセプトのひとつでした。

特別展には「深海生物図鑑」というコーナーがあり、深海生物の標本が380点ほど並んでいるのですが、そこでは今までに撮影された生態映像も流しています。標本がグロテスクという方もいらっしゃいましたが、標本というのは、こういう生物がいたという証拠なんです。そしてそういう生物がどういうふうに生きているのか、そういうことが最近わかってきて、それを映像で見られるようになっています。だから標本と映像、両方を合わせて見てほしいですね。標本では色も変わっていますし、それが生きているときはどんな姿か、どう泳ぐか、そんなこともわかるようになっています。そういうところを感じていただけると、嬉しいですね。

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士インタビュー
特別展「深海」の「深海生物図鑑」コーナー。深海生物の標本を380点ほど展示しているほか、今までに撮影された生態映像も流している

ダイオウイカ撮影成功の裏には、10年にもわたる挑戦があった!

ー しかし、ものすごいタイミングでダイオウイカの撮影に成功しました。本などを読むと、その前の2年間はまったく撮影できていませんし、プロジェクトの最終年で、しかも潜水艇を使った撮影も初めてでした。なぜ撮影できたんでしょう? みなさんの情熱と執念が呼び寄せた奇跡としか思えません。

なぜ撮影できたのか、という答えは難しいのですが、もう10年近くダイオウイカの調査を続けていて、ダイオウイカを撮影できない理由がわかってきていました。

私は2002年から「たる流し縦縄漁」という、小笠原諸島の漁師の方が400〜700mの深海からソデイカやアカイカなどの大型のイカ類を獲る漁の仕掛けを参考にした調査用縦縄に、30秒間隔で5時間ほど撮影可能な「ロガー」と呼ばれる記録計とカメラをとりつけ、ダイオウイカの撮影を試みていました。小笠原諸島にはマッコウクジラがいるので、そのエサとなる大型のイカ類、つまりダイオウイカもいるはずだという想定で、マッコウクジラの行動を研究している東京大学 海洋研究所の天野雅男先生と一緒に調査をはじめました。百回以上もロガーを下ろし、いろいろな深海生物を撮影できましたが、2年間はダイオウイカの撮影はできませんでした。しかし調査をはじめてから3年目の2004年、NHKがこの調査をおもしろいと興味を持って取材が入っていたとき、水深をマッコウクジラの潜るところに絞り込んでから4日目となる9月30日、ロガーを取り付けた縦縄の針に太いロープのような長いイカの腕がついていた。まぎれもないダイオウイカの触腕でした。触腕が針についているということは、撮影もできているかもしれない。撮影した約600枚のうち、200枚以上にダイオウイカが写っていたのです。世界ではじめてダイオウイカの撮影に成功しました。

ダイオウイカは、ヨーロッパでは「クラーケン」と呼ばれ、18世紀の終盤あたりから船乗りたちの間では船を沈める超巨大な伝説上の生物でした。1857年、北西大西洋の海岸に打ち上げられた巨大なイカの死骸から研究がはじまり、ダイオウイカと名前が付けられてから150年以上たっても、生きて泳ぐ姿は確認されていませんでした。その撮影に成功し、はじめて科学的に解明されたとあって、海外からの反響の大きさはすごいものでした。

その後、2006年には調査用縦縄と同時に仕掛けていた漁業用の縦縄で、偶然ダイオウイカを釣り上げてしまった。次はいよいよ、ダイオウイカが深海で動いている様子を撮影したい。NHKと一緒にアイデアを出し合い小型のビデオカメラを開発し、大型の調査船を使って大規模な調査、撮影を20回以上も行ないましたが、さっぱりダイオウイカの姿を見ることができなくなってしまった。しかしこのとき、ダイオウイカ撮影のヒントを得ていました。

深海では強い明かりがないと撮影ができないのですが、強い光ではダイオウイカが逃げてしまう。しかし、赤いフィルターをかけた、赤い光のときだけは、イカが明かりに気がついていないように自然にしていたのに気がつきました。ダイオウイカも、赤い光なら気がつかないかもしれない。ここからダイオウイカ撮影のための機材の改良がすすめられました。ダイオウイカには見えない、特殊な赤いライトが開発され、さらに暗闇でもきれいに撮影できる超高感度ハイビジョンカメラを使用できることになった。

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「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士

2009年10月、NHKはディスカバリーチャンネルと共同で大きなプロジェクトを立ち上げました。深海でダイオウイカの撮影をするだけではなく、深海調査ができる特別な潜水艇「トライトン」(透明の強化アクリル球の運転席を持ち、海の中をほぼ全方向見ることができる乗組員3名の潜水艇。深海1,000mまで潜水できる)を使い、ダイオウイカと人間を遭遇させるというものです。実際にダイオウイカを人間の目で見る。そのため世界中の研究者を集め、私が日本代表の研究者として参加しました。他にはアメリカのエディス・ウィダー博士、テキサスA&M大学のランドール・デイビス博士、そしてニュージーランドからスティーブ・オーシェー博士が参加し、それぞれ異なる手法でダイオウイカの撮影に挑戦することになりました。

どうしたらダイオウイカを撮れるのか? カメラの前に出てきてくれるのか? 今までもロガーの前にエサを下ろし、エサに誘因されたダイオウイカを撮影してきたので、私はエサを使う方法で挑戦しようと決めました。しかし、ただエサを置いておけばいいわけではない。エサとなるソデイカが自然と深海へと沈むよう考えました。

ウィダー博士は、イージェリーという擬似的に生物発光するクラゲのような装置でダイオウイカを引き寄せる方法を、オーシェー博士はダイオウイカをすりつぶしたジュースをまいておびき寄せるフェロモンを用いた方法、ランドール博士はマッコウクジラに吸盤でカメラを取り付ける方法で挑戦しました。

最初に撮影に成功したのはウィダー博士のイージェリーでした。30時間にもわたって自動で撮影できるカメラ「メドゥーサ」に、イージェリーを取り付けたものです。しかし、目の前にダイオウイカが出てきたのは、私のエサを使った方法でした。なんで撮影できたかは、2002年からずっとカメラを使って調査をしてきて、これじゃなきゃ撮れない、こうしないとダイオウイカは出てこないという状況がだんだんわかってきていて、ダイオウイカが出てくる条件を絞り込み、整えることができたからだと思います。

私とジムという潜水艇のパイロット、杉田さんというカメラマンの3人がトライトンに乗って4回目、私がこの状態ならダイオウイカが出てきてもいいんじゃないかな、と、本当にそう思える状況をつくり出せたときに出てきた。いろいろ考えて、やってみて、ようやく出てきてくれた。私の想定が当たったということだけど、何よりも“持っている”んだろうね(笑)。こう言うと自慢みたいになっちゃうかもしれないけど、世界で一番最初に深海にいるダイオウイカの静止画を撮影したのも、生きているダイオウイカを釣り上げてビデオに記録したのも、今回潜水艇を使って深海で動画を撮影したのも、全部私なんだよね。やっぱり、何かあるんだよ。何かないと出てこないよね(笑)。

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「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士

ー ダイオウイカが目の前に現れたときというのは、夢のような感じでしたか?

夢というか、想定をつくって、この状態なら出てきたもおかしくないだろうと思ったら、“ドっ”と出てきた。「出てきちゃった」という感じでしたね。

やさしく言うと、考え方は“釣り”なんですよね。海の中にいるものを、どうやってアトラクトして、エサのところに引き寄せるかなんですね。

ー カメラを開発したり、いろいろと工夫されていましたが、これからの深海調査にあたり、どんな技術的な進歩があると調査が進みますか?

基本的な技術はもうあると思います。あとはそれをいかに数多く、予算をかけずにできるかだと思います。最初は自動車も高くてほんの一握りの人しか乗れなかったけど、今は誰もが買うことができるし、タクシーのように必要なときに手軽に利用することができる。それと同じで、トライトンのような潜水艇も、もっといっぱいできて、タクシーに乗るくらいな感じでちょっと1,000mの深海へ、ということになれば、そしてライトもLEDが本当に良くなっているし、モニタも進化しているので、肉眼で見えなくても、深海の様子をモニタでちゃんと見られれば、深海の調査はもっと進みますよね。

ー 宇宙旅行はだんだんと現実味を帯びてきましたが、深海旅行という可能性もありますか?

可能性はあるでしょうね。そういうふうになればいいね。

ー 2006年にダイオウイカを釣り上げていますよね? それもものすごいことだと思うのですが、釣り上げてしまうのと、深海で見るのとは、意味合いとして、どのような違いがあるんですか?

意味は全然違いますね。釣り上げるということは、その時点で彼らは自由の身ではないわけです。本来の600〜700mなどの深海から引き上げられているので、本当の姿ではない。白い太陽光の下では色も違う。捉えられて苦しんでいる状態を見ているだけです。

深海に潜ってそばで見るというのは、彼らの自然な姿を見ることなんです。エサをどう捕まえ、どう抱え、どのように潜るのか。彼らの生息するところで直接見るのと、無理矢理引っぱり上げて見るのとでは、まったく次元の違うことなんです。

【体験レポート】特別展「深海」- 挑戦の歩みと驚異の生きものたち-に行ってきた!

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「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士

登山からどこででも“生きていける”ということを学んだ
世界中のいろいろなところで、いろいろなものを見てみたい

ー 先生はどんな子どもだったんですか? 小さなときからイカに興味があったのですか?

普通の子どもでしたよ。子どものときからイカ・タコに興味があったわけではありません。今はもう62歳ですが、東京・中野の生まれで、すぐそばに新井薬師というお寺がありました。まだ舗装されていない道の方が多かったかな。原っぱがいっぱいあって、そういうところでコオロギやカナヘビを捕まえたり、それが当時の子どもたちの遊びでした。

その頃の子どもたちは、いろいろな虫の名前をよく知っていましたよね。コオロギだって少なくとも3種類は区別ができて、オカメコオロギ、ミツカドコオロギ、エンマコオロギ、あとは我々は便所コオロギって呼んでいたけど茶色いのがいて(カマドウマ)、バッタもショウリョウバッタにオンブバッタ、カワラバッタ、トノサマバッタ、でもそれは子どもたちの常識だったね。ひょうたん池というのがあって、そこにはザリガニやクチボソ、いろいろな生き物がいて、そういうところで遊んでいました。でも中学受験、高校受験というのもあって、勉強もしました。勉強はあんまり好きじゃなかったから、やらされました。進学教室とかも行かされてね。できない方じゃなかった。上位の方だったかな。小学生のときは級長とか、中学のときは生徒会もやったり。高校生までは東京にいました。

従兄弟が山が好きで、中学時代に連れて行ってもらって、それで山に登るのはいいなと、山登りが好きになった。東京近郊の山は中学生の頃からよく登っていました。それで高校時代は山岳部に入りました。今は山ガールとか、カジュアルできれいな感じだけど、その当時は山登りと言えば汚い格好で男臭くて、今とは全然違いますよね。山に登るというのは、普段の世界から離れていくことでした。頂上に立つとか、縦走するという目的があって、それを達成するには計画を立てる必要がある。1週間も山に入るとなれば、テントや調理器具、食料などの持ち物のほか、効率よく食べるための献立、そしてもし途中で天候が崩れたらどこに逃げるか、どう連絡するかなど、いろいろなことを想定して計画を立て、実行していく。そういうトータルのイベントなんですね。まったく知らない自然の中に入っていって、ちゃんと戻って来るということを山岳部で学びました。だから、どこで寝ても死なない。どこででも暮らせる。そういうことがわかった。それが私の核の部分なんですね。

ー 海に山に、興味の幅が広いですね。

いろんなところに行きたいんだよね。いろんなところでいろんなものを見て、たくさんの経験をしたいというのがあった。だから高校生のときには、世界のいろいろなところに行ける航海士になりたいと、東京商船大学(当時、現在は東京海洋大学)に行こうと思った。しかし航海士になるには、当時は裸眼で視力が1.2以上なきゃダメだった。目が悪かったから航海士はあきらめて、他に何かないかと探したら、海洋生物学ならいろいろな海に行けそうだった。その頃は、北杜夫の随筆「どくとるマンボウ」シリーズとか(「どくとるマンボウ航海記」は、水産庁の漁業調査船に船医として乗りこみ、5ヵ月間、世界を回遊した作者の興味あふれる航海記)、ジャック・イブ・クストー(1910年〜1997年 フランス 海洋探検家)の「沈黙の世界」という映画があって、海の中の生き物を、アクアラングという潜水具とカメラで撮影していて、私も山に登っている頃、カメラを持っていろいろと撮っていたので、海洋生物学者はおもしろそうだと、それで北海道大学の水産学部に入ったんです。でも、そこでもまだイカ・タコは関係ないんですよ。

大学に入って4年間、水産学部は函館にあるんだけど、最初の1年半は札幌でワンダーボーゲル部でいろいろな山に登り、その後、函館でアクアラングをはじめました。4年生になると浮遊生物学という、プランクトンについて調べる教室に入って、それで卒業論文を書いて、北海道大学の北洋水産研究施設という、今の大学院大学へ行き、そこの指導教官の辻田時美先生から北洋(オホーツク海、ベーリング海などの北洋海域)のイカを研究し、それをテーマに修士、博士になりなさいと勧められたんです。そこからイカの研究を始めたんです。

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「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士

ー「イカか…」というような気持ちはなかったんですか?

辻田先生は、北洋の生態系、物理環境も含めて、生物がどういう関わりをもってひとつの生態系をつくっているのか、どう動いているのかを明らかにしたいという大きな目的を持っていました。だから大学院に来た学生たちに、君はスケソウダラを、子どもから親になるまでの生活史を研究しなさいとか、海鳥が何を食べているかを明らかにしなさいとか、トドなどの海獣類、サケやマスなど、いろいろなテーマがあって、学生たちに割り振って研究をさせていました。その中で、まだイカはまだ誰もやっていなかった。で、私がイカになったんです。好きとか嫌いとか、そういう問題ではなかったんですね。

ただ、イカってすごく重要な役割をしていて、サケ、マスが何を食べているのか、胃の中を調べてみると、特にベニザケは小さなイカをたくさん食べている。海鳥もそう。エトピリカやウミガラスは本当に小さなイカをたくさん食べている。イカが彼らの重要なエサであることはわかった。しかしそのイカが、どのような生活史を持っているか、どこで活動し、どうやって子どもを残しているのかなどは、わかっていなかった。そんなことから研究をはじめました。

ー その頃からイカ一筋なんですか?

一筋、というわけではないんですね。辻田先生は海の生態系という生物同士の大きな関わり合いを視野に入れていたから、私もそれを継いでいる。国立科学博物館で働くようになってからはイカ・タコの分類の研究、世界中にどんなイカやタコがいるかの調査・研究をしていますが、イカやタコがどういう生き物と関わりを持っているか、いろいろな生き物、たとえばサメや魚類や鳥の胃内容、誰に食べられてるか、イカが何を食べているか、そういう食物連鎖にも興味があって、その中のひとつがマッコウクジラなんです。

マッコウクジラは昔から研究されていて、イカをよく食べているのはわかっていました。しかし日本では1987年に商業捕鯨が禁止されてからクジラの研究ができなくなってしまった。それが2000年から調査捕鯨が認められ、日本周辺海域のマッコウクジラの調査ができるようになった。それで2000年から、特に北太平洋に分布しているマッコウクジラの胃内容を調べているのですが、これが本当におもしろい。ほとんどがイカ。95〜98%、99%と言ってもいいくらいイカを食べている。じゃあ、どんなイカかと言うと、クラゲイカとかサメハダホウズキイカ類をはじめとする33種類くらいのイカを食べている。たまに魚類も出てくるけど3種類くらいで、ほとんどがイカ。その中に数は少ないけどダイオウイカが出てくる。ダイオウイカは体が大きいから、重量組成としてはけっこう高く、20〜30%くらいあるということがわかってきた。中深層性のイカとマッコウクジラの関係、それが私の興味の中心になっていき、ダイオウイカを見つけるという目的のひとつになったのです。

大学院を卒業してからは、米オレゴン州立大学の海洋学部で研究助手を1年ほどしていました。節目節目にうまく就職できればいいんだけど、大学で「博士」をもらってから就職先がなく、北洋の生態系が専門のピヤシー教授に誘われてオレゴンへ行き、仕事をしていました。日本に帰ってきて北海道大学に戻り、そうしたら国立科学博物館にいた私の師匠の奥谷喬司先生が東京水産大学に移られるという。そこで博物館にイカ・タコの専門家がいなくなるということで、私が後釜に入った。1984年かな。で、その後はここで、イカ・タコをはじめ、毛顎動物(肉食性プランクトン)や有鬚動物(ゆうしゅどうぶつ:ヒゲムシなどの100〜数千mの深海底に生息する体幅0.1〜1mmくらいの糸のような細い動物体)、最初の頃はウニ、ヒトデなどの棘皮動物も研究していました。いろいろな先生も入ってきたので、今はイカ・タコなどの頭足類と、毛顎動物、有鬚動物を担当しています。

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何がわからないのかを知り、興味を持つことが大切
まだまだ、世の中にはわからないことがいっぱい

ー ダイオウイカの調査・研究にはかなりの費用が必要だと思うのですが、研究費でまかなっているのですか?

基本、研究は、研究費でまかないます。科博の研究費で標本の登録や管理をしたり、分類の研究はあまりお金がかからないので、そんなに大きな金額ではありません。海での調査などは、国の科学研究助成費(通称:科研費)というものに応募するんです。何年間のプロジェクトで、こんなことを研究して明らかにしたいから、これくらいのお金がかかるというものです。全額は出ないけど、8割くらい出してもらえる。この科研費をとれるというのは、日本での研究者のステイタスでもあります。

最初は若手研究者を対象としたCランクからはじまって、3年で300万円くらい。Bランク、Aランク、特ランクとあって、支給される研究費も違います。私は当初、日本のダイオウイカには何種類かいると考えていたので、ダイオウイカの分類学的研究でCランクに申請をして、研究費をいただきました。次にBランクで中深層性大型頭足類の研究をしたいと、3年で500万円くらい、現在はAランクをいただいていて、4年で1,200万円くらい。「中深層性大型頭足類とマッコウクジラの共進化的行動生態に関する先駆的研究」という長いタイトルの研究です。マッコウクジラと、彼らがエサとしているイカがどう一緒に進化してきたかを調査するもので、今年が最後の4年目。これでまたお金がなくなります。今年申請しようかと思っているのですが、申請書類をつくるのは結構大変なんですよね。

2012年のプロジェクトは、NHKとディスカバリーチャンネルのプロジェクトなので、私の研究費ではありません。あれはNHKだけでも出せなくて、ディスカバリーチャンネルと共同プロジェクトにして、いくらかは知らないけど、かなりだよね。私の研究費では、ああいうことは到底できない。科研費には特ランクの上に“なんとかSランク”というのがあって、3億円くらいまで出ると聞いたことがある。それだったらあのようなプロジェクトもできるかもしれないけど、その申請は絶対に通らないね(笑)。研究費の多い少ないじゃなくて、できることを考える。それも研究なんですよ。

ー 窪寺先生のような研究に興味がある子どもに、今からどういったことをしたらいいかアドバイスをいただけますか?

私も最初から興味があったわけじゃないから、あんまりアドバイスめいたことはしたくないんだけど、「そうだよ、こういうことがあるんだよ。海っておもしろんだよ」ということを知ってもらいたいね。私は謎に包まれたダイオウイカのことが知りたくて、どうしてもこの眼で見てみたかった。実際に見て、わからなかったことがわかって、新しい発見をして、ワクワクしました。

勉強しろとか、何か目的を持ってやれとは言いたくない。もちろん勉強はしなきゃいけないけど、勉強って、わからないことが何なのかを知るために必要で、わからないことに興味を持つことが一番大切なんだよね。ダイオウイカじゃなくてもいい、まだ、いろいろなことが、わかっていない。その何がわかっていないのかを知るために勉強する。わかっていないからおもしろい。自分にとって何がおもしろいか、それをどうやって見つけていくかを考えて、そのわからないことを明らかにしていってほしいですね。

ー 今後の夢や目標は?

ダイオウイカの研究をはじめて10年、やっと自分の目で生きているダイオウイカを深海で見ることができたんだけど、それでダイオウイカのすべてがわかったわけではない。ダイオウイカのオスとメスがどこで出会い、どこで卵を産み、卵から孵化した子どもはどこで、どのようにして成長し、親になっていくのか。「生活史」と言いますが、子孫をどうやって残していくのかはまったくわかっていないんです。

ダイオウイカだけではなく、マッコウクジラが捕食している他のイカ類の生活史もまったくわかっていない。そのわかっていないところを、なんとか明らかにできたらと夢想しています。でも私ひとりではできそうにないので、その研究を引き継いでくれる若い研究者が育ってくれることが、私の夢でもあるのです。

ずっと日本周辺海域のイカ・タコの調査・研究をしていますが、まだ名前のついていないイカやタコっているんですよ。これに名前を付けてあげなきゃならない。定年になっても、イカの分類学的研究、これは大きなプロジェクトじゃなくても、自分の目で見て、観察して、これは新種だね、というのがいるから、名前を付けてあげたい。そういうことをやっていきたいかな。

【体験レポート】特別展「深海」- 挑戦の歩みと驚異の生きものたち-に行ってきた!

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士インタビュー深海の怪物 ダイオウイカを追え!

窪寺恒己著/ポプラ社/1,365円(税込)

深海に生息し、最大で全長18mを超えると言われるダイオウイカ。海洋生物学者の窪寺博士は、そんな幻の怪物を10年以上にもわたって調査し続け、2012年、NHK・ディスカバリーチャンネルなどのテレビと協力し、ついに世界で初めて、その生きて深海を泳ぎまわる姿を撮影することに成功した。謎に包まれたダイオウイカを追い続けた窪寺博士の挑戦を追う!

インタビュー後記

世界で初めて深海でダイオウイカの撮影に成功した理由についてお伺いしたとき、最後に「何よりも“持っている”んだろうね」と、ニコッとされた笑顔が、こう言っては失礼ですが、とても人懐っこい笑顔で、印象的でした。

しかし本文中にもあるように、窪寺博士は世界で一番最初にダイオウイカの静止画を撮影し、しかも生きているダイオウイカを釣り上げてもいる。10年にもわたる調査で、何年も成果が出ないときもあったけれど、なぜダメだったのか、その理由をひとつひとつ見つけ出し、ダイオウイカが出てくる条件というものを割り出していった。撮影に成功したとき、博士はその前に何度もエサとなるソデイカが海に沈んでいくスピードを、イカの中に入れた浮力材を調整しながら整えていたという。確かに“持っている”のだろうけれど、その一言で片付けられるものではなく、誰よりも考え、多くの挑戦をし、失敗を積み重ねたに違いない。そしてその原動力は、もっと知りたい、ということと、わかったときのワクワクする気持ちだろう。

広い海での調査は、想像を超えるような大変なことがたくさんあったはずだ。しかしそれを微塵も感じさせず、とても楽しそうにお話をしていただきました。ダイオウイカはまだ謎の部分の方が多く、研究ははじまったばかり。博士はまだまだ“持っている”はず。これかもみんなが驚くような発見をしてほしいですね。

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第5回 窪寺恒己博士インタビュー窪寺恒己(くぼでら つねみ)

1951年東京生まれ。北海道大学水産学部大学院を修了。水産学博士。米オレゴン州立大学海洋学部での研究助手を経て、1984年から国立科学博物館勤務。海生無脊椎動物研究グループ長などを務めた後、2011年から標本資料センター・コレクションディレクター。2002年から小笠原近海で中深海性の大型イカ類の調査をはじめ、2012年、NHK、ディスカバリーチャンネルなどと協力し、世界で初めて生きたダイオウイカの姿をとらえる。ダイオウイカ研究の世界的権威。2007年、米ニューズウィーク誌の「世界が尊敬する100人の日本人」の1人に選ばれた。