ガーナ人の母と日本人の父を持つ今注目のアーティスト

3兄弟ヴォーカルユニット・YANO BROTHERS(ヤノブラザーズ)インタビュー!

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー
2013年に兄弟で結成したヴォーカルユニット「YANO BROTHERS」。ガーナ人の母と日本人の父のハーフで、「JAFRICAN(ジャフリカン)」というジャンルに捉われない音楽を展開している。左から長男のマイケルさん、次男のデイビッドさん、三男のサンシローさん
ガーナ人の母と日本人の父を持つ今注目のアーティスト「YANO BROTHERS(ヤノブラザーズ)」。母親の祖国ガーナ共和国で生まれ、幼い頃を過ごした3人。しかし当時国内の治安は悪く、自宅が強盗に襲われすべてを失ったことをきっかけに、マイケル8歳、デイビット6歳、サンシロー3歳のときに一家は日本へ逃れた。2013年4月、実の兄弟でヴォーカルユニット「YANO BROTHERS」を結成。肌の色などによる差別を受けながらも、それを乗り越え、夢を叶えつつある3人に、辛い時期をどう乗り越えたか、歌を通して何を伝えていきたいのか、話を聞いた。(インタビュー:2016年1月16日(土) / TEXT:キッズイベント 高木秀明 PHOTO:大久保景)

疎遠になっていた兄弟が音楽でひとつに
兄弟3人でたくさん練習すれば
誰もやったことがないことができるんじゃないか!?

ー マイケルさんはプロのサッカー選手からミュージシャンへ、デイビッドさんは学生時代からモデルやCMの仕事をしていて、サンシローさんは薬科大学に在籍と、みなさんそれぞれ別々の夢や目標に向かっていたと思うのですが、2013年に3人で「YANO BROTHERS」を結成しようとしたきっかけは?

デイビッド:2013年の僕の誕生日会で、Facebookで声をかけたら200人くらい集まることになってしまい、これだけの人数が集まってただのパーティーではおもしろくない、みんなに何かサプライズをしたいなと思ったんです。兄弟3人がバラバラで4〜5年ほど会っていなかった時期で、父親からも「3人一緒に俺に会いに来いよ。おまえが声をかけろ」と言われていたのを思い出して、いい機会かなとダメもとで声をかけたんです。そうしたら意外なことに2人ともすんなり「いいよ」という返事で。

ー しばらく疎遠になっていたのは、ちょっと仲が悪くなっていたとか、そういうことだったんですか?

マイケル:まぁ、そういうこともなきにしもあらずで‥‥。男の3兄弟ですからね、小さいときからいろいろありましたよ。なっ。

デイビッド:それで「1回だけわがまま聞いて」と、誕生日会のサプライズに3人でライブをすることにしたんです。久しぶりなのにすごく自然な感じで、しかもパーティーは盛り上がり、これでまた以前にように疎遠になってしまうのはどうかなと、せっかくだから続けてもいいのにと思っていたら、これまた2人も同じ思いだったのと、まわりからの評判も良くて、じゃあ、このまま一緒にやっていこうよと。そう言えば父親からも「それぞれで音楽活動をやっているけど、3人一緒にやった方がいいんじゃないか? 3人一緒にやるのが一番の近道だと思う」とも言われていました。

マイケル:僕らがデイビッドにサプライズされました。

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冗談を交え、場を盛り上げながら話をしてくれた長男のマイケルさん。声質と同様ワイルドなイメージですが、細かなところまで気を使う方だなと感じました

ー サンシローさんは誘われたとき、どうして断らなかったのですか?

サンシロー:デイビッドの話術もあったんですが、1回きりならいいかな、と思って。大学も忙しいから、まさかずっと続けるとは思ってなかったし。でも一緒にやるって決めたときは何回もミーティングをして、本気でやるなら、本当に一緒にやりたいと思っているなら、力を合わせてやってみようと思って。

マイケル:上から目線だなぁ。

ー 一回きりと思って誕生日会で歌っているときは、どんな気持ちだったんですか。自分でもいいなと思いました?

サンシロー:特別何かを感じたり考えたりはしなくて、自然にやっていた感じですね。

ー マイケルさんはどうでしたか?

マイケル:父親がデイビッドに言っていた「それぞれで音楽活動して」というのは、僕なんですよ。でもその活動も、やりきったという感じではなく、3人で思い切りやってダメなら国に帰ろうかなという気持ちでやってみようと思いました。国籍は日本ですが。

でも以前からイメージしていたんですよ。3人で同じところに住んで、いっぱい練習すれば、誰もやったことがないことができるんじゃないかと。そう思っていたことが実現したというか、どうしてもそうなりたいとは思っていなかったけど、自然と。デイビッドの話術に丸め込まれましたね。

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歌声同様優しく柔和なイメージの次男デイビッドさん。しかし一本筋の通った自分を持っていて、サンシローさんもおっしゃる通り、兄弟の架け橋的な存在

日本語なのにアフリカっぽい音や響き、ジャンルにこだわらない故の
新たなジャンル「JAFRICAN(ジャフリカン)」

ー デイビッドさんはピアノの弾き語りをしていたり、マイケルさんはプロサッカー選手のあとでミュージシャンになったり、そもそも音楽は幼いころから身近にあったのですか?

デイビッド:僕らがいた児童養護施設が運営している中学校があって、半分くらいは児童養護施設の子どもたちが通っていたんですが、学校の方針として音楽の時間は全員ピアノを勉強したんです。毎年発表会もあって必ずひとり1曲ピアノを弾かなければならなくて、けっこう必死で練習しました。だからピアノの影響力は大きいですね。

ー 日本の児童養護施設って、みんなそういうものですか?

デイビッド:大人になって気が付きましたが、僕たちがいた児童養護施設はちょっと特殊だったと思います。一学年25人くらいしかいなくて、ひとりに一台電子ピアノがあって、音楽の時間は音楽室で1時間ずっと練習して、発表会が近づくと毎日みんな否応なく1〜2時間練習して‥‥、そういう学校でしたね。

ー YANO BROTHERSの音楽は、日本とガーナという2つのルーツを持つ「JAFRICAN(ジャフリカン)」ということですが、どの部分がアフリカで、どこが日本というのは意識してつくっているのですか?

マイケル:言葉とリズム、音のそれぞれの国独特のものが交差したときに、自分の中では「JAFRICAN」になると思っています。

サンシロー:何がアフリカっぽいかは難しいけれど、日本語なのにアフリカっぽい音や響きという表現はしていきたいのですが、「JAFRICAN」というジャンルをつくったもうひとつの目的は、ジャンルにこだわりたくなかったからなんです。

僕たちは3人とも曲をつくるのですが、それぞれタイプというかジャンルが違います。音楽をやっていると「どんなジャンル?」って聞かれたり、そこにこだわる人が多いなと感じていて、でも3人の共通点は、別にジャンルにこだわらなくてもいいじゃん、ってことなんです。

ヒップホップもバラードもR&Bもポップスっぽい曲も、いいと感じたもので、自分の表現したいことをやりたい。音楽のルーツを辿るとブラックミュージックだったり、原点って同じようなところから来ている部分があるので、だったら日本とアフリカを混ぜてジャンルの壁を壊し、新たな「JAFRICAN」というジャンルをつくれば、やりたいことができる。だから「JAFRICAN」がアフリカっぽい感じの音というだけの受け止め方はしてほしくないですね。

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聡明で目標に向かって突き進む行動派の三男のサンシローさん。お兄さんたちもそうだと思いますが、サンシローさんはおそらくものすごい努力家かと

ー 歌を歌う時のそれぞれの役割は?

マイケル:僕はどちらかというとラッパー寄りですね。デイビッドは歌寄り、サンシローは両方やりますが、実は僕も両方やります。

デイビッド:声の性質としては、マイケルは幅が広く奥行きのあるワイルドな感じで、もっとも日本離れした感覚を持っています。だからマイケルがいることで僕らの音楽は表現の幅が広がっている。サンシローは心情を声にのせるのがとてもうまくてラップもできるという、安定性と音楽性の幅が広い。僕はそれに支えられているだけです。

サンシロー:マイケルとデイビッドはまったくタイプの異なるアーティストですね。

マイケル:がに股と内股です。

サンシロー:マイケルがパワフルな声質だとしたら、デイビッドは優しさとなめらさ、きれいさ。で、僕は、僕の考えですが、その架け橋をしているような感じですね。音楽に関しては、ですが。その他はデイビッドが架け橋かな。

三人三様の夢を追い、そして音楽へ

ー YANO BROTHERSの「One step」という曲では差別や歴史問題、「Dream」はタイトル通り夢に向かっている様を歌っていますが、自分たちが経験したことや願っていることを歌にすることが多いですか?

マイケル:中学生の頃やプロサッカー選手として夢を追いかけていたときに聴いていた、スティービー・ワンダーとかには元気づけられた曲があります。そんなに盛り上がる曲じゃないんですが、そういう曲に助けられてきました。だから自分もそういう曲をつくりたいと思っています。

日本に来てから、僕だけ少しの間アメリカに行ったんですよ。その時、父親の姉のところにお世話になって、伯母さんと揉めると、向こうのトイレは広いじゃないですか、だからトイレに入って自分がどれだけかわいそうかを泣きながらメロディにのせて歌っていて、でも途中で泣いていた理由も忘れて自分のメロディに没頭しちゃうときがあって、いつか音楽をやりたいな、とはずっと思っていましたね。

ー もともとの夢はサッカー選手だったんですか?

マイケル:夢というよりも、なれる可能性が高いものでした。サッカーも好きだったので、好きなサッカーをやってお金をもらえれば嬉しいな、と。

ー デイビッドさんはモデルや俳優をやっていましたが、自分からそちらの世界へ行ったんですか?

デイビッド:大学生のときにバーテンダーのアルバイトをしていたんですが、時給が650円だったんです。お金が貯まらないなぁと思っていたときに外国人タレント事務所で働いていた叔父と久しぶりに会って仕事の話になり、そうしたら仕事が入ればだけど、モデルなら1回で1〜2万円くらいもらえるかもしれないよ、と言われて。やってみようかなと思ったのがきっかけです。

でもモデルをはじめてしばらくして、フォトグラファーや照明、衣装の方が撮影した写真を見ながら「もっとこうしたらいい写真になるよね」なんていうのを見ていたら、撮られる側よりも表現者として作品をつくる方がおもしろいなと感じたんです。それを思った瞬間に、モデルじゃなくて表現しようと、でもただ前に出るだけじゃなくて話したい、話すならテレビに出たい、そして表現するなら自分に与えられたものは音楽なんじゃないかなと、将来は音楽とテレビの仕事をしたいなと思ったんです。

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夢や仕事に対する考え方は三人三様。しかし、音楽への向き合い方は、三人が同じ方向を見ている

ー サンシローさんは今、薬科大学に通っていますよね。なぜ薬科大学を?

サンシロー:僕もマイケルと同じようにサッカーと音楽をやって、音楽でそこそこのところまでいったときに、いろいろなものが見えてきて、若かったこともあって仕事として音楽をやることに葛藤というか、好きな音楽をお金のためにやるのかと1〜2年くらい悩みながら曲づくりをしていて、最終的に出た答えは仕事のためじゃなく、音楽が好きだから曲をつくって、結果としてそれが成功したらいい。つまり音楽は仕事じゃないという結論が出たんです。そうなるとじゃあ、生きていくうえでの仕事って何なんだと。

そこでもう1度1から、自分は何をして生きていけばいいのか、どういうふうに生きていきたいのかを、今までは兄貴たちの影響でサッカーをやったり音楽をやったりだったけど、自分で何をしたいかを考えたときに、薬剤師に行き着いたんです。

バイトや音楽活動をはじめ、それまで生きてきた中で感じたことは、見た目の違いでいろいろ苦労するというか、たとえばアパートやマンションを借りるにも外国人と思われて話も聞いてもらえず拒否されるとか、もちろんそうじゃない人もたくさんいましたが、やはり見た目や、そのときはフリーターだったので信用もなく、すごく生きづらいなと感じていたんです。

だから見た目はどうしようもないけれど、生きていくうえで世の中に認められる仕事をしたいというのがまずあって、それからやりがい、そして不景気だったので、景気が良くなくても困らない仕事をしたい。そうやって考えていくと、人の役にも立つし、薬剤師の仕事をしたいなと思ったんです。何かあったとき家族にも役立つなとも思ったし、家族を想う気持ちで患者さんに接することができれば、いい仕事なんじゃないかなと思えて。いろいろ考えたんですけど、それしかやりたいと思えるものがなかった。大学を通い直すのは勇気というか、かなりの決心が必要でしたが、それしか考えられなかった。先日卒業試験はパスしたので、あとは来月の国家試験です。

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー
「“注目されてしまう”ということはメリット。そうプラスに考えることで、やるべきことが見えた」とマイケルさん

差別との向き合い方、まずは自分自身の良さを見つけ、理解すること

ー 3人がそれぞれの考えで差別に向き合っています。マイケルさんは自分の力を高めて認めてもらおうと、デイビットさんは反発せず、言葉や文化を学んで日本社会に溶け込んで共存しようと、サンシローさんは幼い頃はあまり気にしなかったようですが、差別とはどのような向き合い方が良かったか、答えはありましたか?

マイケル:漫画で『ドラゴンボール』ってあるじゃないですか。そこに「ピッコロ」っていう、緑色の宇宙人みたいなのが出てくるんです。で、みなさんの目の前に突然ピッコロみたいな奴が現われたら、ぶっちゃけ平気なふりをしようとしても無理だと思うんです。僕も無理です。なので僕は、そう感じる人の気持ちはわかるんです。だから自分の見た目はどうしようもないけど、それ以外のところで、どうすればその人に嫌な人だと思われないか、そういう工夫をしました。

あと、中学生のときに学校でケンカをしたんですよ。そうすると、みんな見るんです。指を指したりして。嫌な気持ちだったけど、そのとき気が付いたんです。「目立つんだ」って。だから、これでスゴイことができたら、もっと注目されるなと。最初はサッカーもすごくやりにくかったんです。ボールを持った瞬間にみんながわからない言葉で何か言い始めたり、指を指されたり。でもあるとき「よしっ!」と気持ちを切り替えて思い切りやったら予想以上に良い結果が出たんです。そうやって、プラスに変えていこうと思いましたね。

デイビッド:僕は共存はするんだけど、そこで潰されたり流されたりしちゃいけないとは強く思っていました。大切なことは、自分の価値を探すということと、自分の良さを信じることだなと思いました。

僕は3人の中でも一番劣等感が強かったと思うんですよね。小さい頃にはお母さんから「もっと前を見て歩きなさい」って言われていて、人の視線が嫌だったし、みんなきっと僕のことをネガティブなふうに見ているんだろうなと思って育ってきたんです。でもそんな気持ちのままじゃあ、単純に自分が幸せになれないと思い、どういう人だったら、僕が“こんなふうに生きられたらいいな”と思うか、まわりを見てみたんです。そうしたら自分に自信を持った、自分の良いところをひとつふたつ知っている、自分のことが好きな人だったんです。それである日を境に、まわりが自分をどう思っているのかを探すんじゃなくて、自分が自分を好きになるものを探していく、自分自身の良さを探し、誰が何を言っても気にせず、自分の中で育てているものにしっかり目を向けて、日々それを育てるということを考えるようになりましたね。

そこにいるときには気が付かないんだけれど、高校までの世界ってとても狭いと思うんですよ。大学に入って世界が一気に広がって、そのとき、今までいろいろ関わったきたものってとても小さな世界で、それはそこでしか通じないものだったんだなと感じたんです。この世の中には多様な価値観がたくさんあって、それぞれの環境で通用するものと通用しないものがあって、ある意味、ほとんどの価値観って、実はそんなに大したことなくて、そこに自分が一喜一憂していること自体がもったいないと感じて、まずは自分でそのレールから外れたんです。

でも昔から、自分が自分らしくいられる場所があったらいいなとは思っていたんです。それがガーナでした。そこで実際に行ってみたんですよ。でも「あっ、僕はここでも外国人なんだ」と気が付いた。僕は自分のことを、他人や社会、コミュニティの価値観に左右されたくない、自由な人間だと思っていたんだけど、どこかで自分は“この国の人間”ということに固執していて、そこからは脱却できていなかったんだなと気づかされました。自分が100%自分らしくいるためには、人種や国境、国籍からも自分を開放する方にシフトしていかなければいけないなと思った。だからどこの国の人とか肌の色じゃなくて、自分自身の価値観で、自分はどういう人間なのかを判断していきたいし、僕という人間を見てくれる人により共感を覚えるし、そういう人をキャッチできるようになりたいなと思いました。

サンシロー:僕たちはたまたま日本とガーナの血を受け継いで、こういう見た目で生まれ、日本で育っていろいろありましたが、見た目とか文化、宗教だけじゃなくて、たとえば同じ日本人同士でも障がいがあったり、何か人と違うものがあったときに、同じようなことを感じたり、嫌な思いを経験すると思うんです。そういうのも含めて同じだなと思うのですが、差別にどう向き合っていったらいいかは、自分のことを良く知って、こういう自分だからこそこんなメリットがある、こんなデメリットがある、ということを自分で良く知ることが大事だと思います。

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー
「マイナスからのスタートだけど、だからこそ普通にしているだけでも評価される。自分のメリット、デメリットをわかると生きやすくなる」とサンシローさん

昔、嫌な経験をすると、こういう見た目だから人に見られるんだ、黒いって言われるんだと感じていましたが、見られることとか、黒いことは悪いことじゃない。ただ違うというだけで。でもそれをネガティブに受け取ってしまっているんです。さっきマイケルも言ったように、ポジティブに受け取れば目立つことでもあって、失敗すれば見られるけど、何もしなくったって、普通にしているだけでも注目されるんです。成功すればなおさらです。

見た目のことに対して「それをプラスにすればいい」って言ってくれた人がいたんですけど、まさにそうだなって。そのときはまだ素直に受け取れなかったんですが。でも実際に大学や社会で、僕らはすぐに覚えてもらえますよね。今の大学でも、1〜2年生のときは「あの子、日本語わかるの?」とか「勉強できるの?」とか心配ばっかりされていましたが、普通にやっていたら3年生くらいからまわりが勝手に評価してくれるんですよ。「真面目にやっている」とか、担任からも「君は評判いいね」「勉強がんばっているね」とか。でも僕としては普通にみんなと同じことをしているだけなんです。マイナススタートなぶん、普通にしているだけでほめられるっていうメリットもあるわけです。だからそういうことを自分で理解できれば、すごく生きやすくなる。

僕たちの経験が、誰かの生きる力になれば

ー 昨年11月にはNHKでも紹介され、2月2日発売号の週刊誌『女性自身』でもインタビューが掲載されています。デビューの頃は自分たちの背景はあまり表に出していませんでした、今、少しずつみんなに知ってもらおうとしているのはなぜですか?

マイケル:Jリーグでサッカーをやっているとき、観客席を見て「こんなにハーフっていたんだ」と思うことがあったんです。今まではサッカーなんて見に来なかったけど、僕が出ているから試合を見に来てくれるという。これって、僕が中学のときにスティービー・ワンダーなどの音楽に助けられ、求めていたものに自分が近づいているのかなって思ったことがあって。僕らみたいなヤツらでも乗り越えてここにいる、そういう見本になれればいいなと思っています。

サンシロー:今まで出さなかったのは、自分たちの中で、それが良いことではないと思っていたからです。別に輝かしい過去じゃないし、あえて自分たちから出したいとは思わないですよね。辛い思い出だったり、やっぱり家族のことなので。

でもデイビッドが出演した「ハーフ」※1というドキュメンタリー映画があるんですが、そこに興味を持つ人がいるんだな、そしてそれを伝えることで何かが変わる人たちがいるんだなと知って、僕らがいろいろな人の力になればいいなと思いましたね。

デイビッド:最初は100〜150人くらいのハーフにロングインタビューをして、その人のバックグラウンドを掘り下げたうえでミックスのアイデンティティに関する本を出す、というものでした。でもそれを映画化したいから出演してと言われて、最初は断ったんですよね。これを受け止める人がいるということを想像できなかったから。

でもそのとき、「日本でもミックスカルチャーの子どもたちが増えてきていて、デイビッドは今、前向きに生きているけど、前向きに生きられないまま大人になっている人がたくさんいる。デイビッドがどうやって前向きに生きられるようになったのかをロールモデルとして世に出せば、それを見て生き方を見つけられる人がいるかもしれない。必ず誰かの力になる」と言われて。

そういうものを出すことに対して良いイメージはありませんでした。でも今の日本では、既存の価値観や生き方が、ハーフに限らず多くの人たちを生きづらくしている、苦しめていると感じます。僕らはいろいろあるマイノリティのうちのひとりでしかありませんが、いろいろなマイノリティが自分たちの経験を声に出すことによって、マイノリティであろうがなかろうが、それを見た人の生き方を新しい方向へ導くヒントになれば、僕たちがバックグラウンドを公表する価値はあるかなと思うようになりました。

※1 長編ドキュメンタリー映画『ハーフ』

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー
「僕たちの経験が、今、生きづらさを感じている人の生き方を新しい方向へ導くヒントになれば嬉しい」と3人

みんな“人と違うもの”をひきずっている
マイナスの気持ちを持っている人たちの気持ちをプラスに
グローバルに活躍したい!

ー ガーナから日本に来るとき、お父さんはみなさんが日本で嫌な目に合わないか、おそらく心配されたと思うんです。お父さんからアドバイスだったり心がけるようにと言われたことはありましたか?

デイビッド:唯一覚えているのが、ある日お父さんに呼ばれて、日本人がたくさん写っている本や写真をいっぱい見せられて、「デイビッド、今から君が行く国は、こういう肌、髪質の人たちがいる場所だから、今のうちに見慣れておいて」って言われたんです。僕はそれを見たときにすごく怖かったんですね。“僕たちと全然違う”って。泣いたのを覚えています。

ー でも、お父さんは日本人ですよね?

デイビッド:そうなんです。で、お父さんが「でもねデイビッド、お父さんも同じだぞ」って。そのとき初めて、そういえばお父さんと僕は肌の色が違うなって気が付いたんです。これって自分でもとても不思議なんですが、ホントなんですよ。

サンシロー:それおもしろいね。

ー 他のお2人も同じ感覚なんですか?

マイケル:同じではないけど、父親を人種としては見ていないってことかなぁ。

サンシロー:ん〜、考えたこともなかった。3才で日本に来たから、日本に来てからの記憶しかないですし。

デイビッド:僕はそのとき本当に驚いて、「ホントだ、お父さん違うね」って。

マイケル:でもこういうインタビューって、自分たちでも知らなかったことがわかっておもしろい。おまえらも大変だったな。

デイビッド:本当に、お互いのいろいろなことを知るよね。こんなこと話さないもんね。

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー
デイビッドさんのお父さんの話はとても衝撃的でした。子どもにとって親っていろいろなものを超越した存在なんですね

ー 歌でこれからどんなことを伝えていきたいと思っていますか?

サンシロー:今、僕たちの音楽には苦しんでいる人や困っている人たちに、がんばる力、生きていく力を伝えるというイメージがあると思いますが、音楽ってすごく生活の中に溶け込んでいて、生きていくうえでなくてはならないものだと思っています。だから応援するだけじゃなくて、喜びや悲しみ、いろいろな人生の局面に寄り添うような音楽をつくっていきたいですね。僕らの音楽が生活の、人生の一部になれば嬉しい。

ー ライブもよく開催していますが、反響や感想は?

デイビッド:他のアーティストと比べたことがないからわからないけど、「元気になった」「勇気をもらった」「考えさせられた」という感想は多いかな。

僕らはそれぞれがすごく特殊な人生を歩んで来ていると思うんです。幼少期の頃から、自分で自分の答えを見つけなければならない人生を歩んできました。だから価値観も全然違う。だけど、自分たちから相手の気持ちを考え、理解しなければならなくて、常に「おまえが間違っている」というところからのスタートというのは同じでした。

いろいろと考えさせられる中で自分の答えを見つけるという人生を歩んで来て、それで今、音楽で表現するという立場にいます。つくった曲に共感してもらえれば嬉しいけれど、それだけを考えているわけではないし、求めてもいない。自分の人生でこれは大事だよね、ということを歌い、それがたまたま共感を得ていると思っています。

ー YANO BROTHERSとしての今後の夢は?

マイケル:日本でハーフの存在が少しずつ大きくなってきていて、人種に対する考え方が変わる時を向かえているのかなと思っています。音楽的なものだけじゃなくて、思った以上に僕らみたいなのが求められているんだなと。みんな“人と違うもの”をひきずっていて、僕らはそれがハーフだったり肌の色だったりしますが、でもみんな同じなんじゃないかって思うんですよね。だからマイナスの気持ちを持っている人たちの気持ちをプラスにできるようなアーティストでいたいなと思います。日本だけじゃなくて、グローバルに行けるところまで行きたいですね。

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キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー
インタビューをした日の夜、「YANO BROTHERS」のワンマンライブが開催されました。3人のハーモニーが胸に響きます。ぜひ一度聴いてみてください!(撮影:池山邦彦)

インタビュー後記

先日、とある哲学者の先生に話を聞く機会があり、哲学書って難しくてわからないって話をしたら、「わからないことを考えるということに意味があるんです」とおっしゃっていました。簡単な例では「幸せとは?」「生きるとは?」など、答えのないことをずっと考え続ける。そうすることによって、自分という人間は、どういう考えをするのか、知っているようで実は知らなかった自分を知ることができると。デイビッドさんの「幼少期の頃から、自分で自分の答えを見つけなければならない人生を歩んできた」というのは、まさにこの状態で、だから3人ともものすごく自分を理解していて、自分の考えを伝えたり表現することが上手なんだと感じました。

サンシローさんは3月にマイケルさんと一緒に初めてガーナに里帰りするそうです。「まだ行きたくない。めちゃめちゃ不安」と言っていましたが、マイケルさんは「生まれた土地は特別で、パワーを感じる。サンシローには、自分たちのもうひとつの文化やリズムを取り入れてもらいたい」とおっしゃっていました。お母さんとも久しぶりに会う予定だそうで、ガーナへの里帰りによって、考えがどう変わったか、変わらなかったか、ぜひまた話を聞かせてください!

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー矢野マイケル(Michael Yano)

9歳までガーナで育つ。その後テレビ東京「流派-R」第一回Rバトル優勝。八代亜紀、MAXなどのフューチャリング。2006年、元横浜ベイスターズのマーク・クルーン投手の入場曲(161K)CDリリース。同年に元中日ドラゴンズのホームランバッター タイロン・ウッズ選手のテーマソング、そして日本アジアチャンピョン、アイスホッケーチーム釧路クレインズのテーマ曲等を手掛け、サッカー日本代表元セルティック中村俊輔選手の応援歌のCDもリリース。2011年、玉木宏(All my life)、後藤真希の作詞作曲。2012年から韓国ユニットグループ2PMや2AM、U Kissなどの作曲作詞活動など多方面で活躍しつつ、ラッパー&シンガーをこなすアーティストとしてライブ活動中。

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー矢野デイビット(David Yano)

20歳からモデルやCMの仕事を始め、「ユニクロ」「リカルデント」「エネループ」「インテル」などの仕事を経て、テレビにも仕事の幅を広げ、「スポルト」「世界ふしぎ発見」「FOOT×BRAIN」「5時に夢中!」などに出演。その傍ら、好きだったピアノを通して音楽活動をスタートし都内を中心にピアノの弾き語りを始める。また25歳の頃にガーナでとある少年との出会いをきっかけに、「誰にも守ってもらえない子どもたちを守りたい」と、自立支援団体Enijeを設立。2011年に一般社団法人化、一層力を注ぎ、教育を柱にガーナで学校建設や教育する側の教育、運動会やサッカー大会を主催。精力的に活動している。

キッズイベント「子どもの夢の叶え方」第18回 YANO BROTHERS(3兄弟ヴォーカルユニット)インタビュー矢野サンシロー(Sanshiro Yano)

高校時代までサッカーをし、その後、兄マイケルと組みテレビ東京「流派-R」第一回Rバトル優勝。今は薬科大へ通っている努力家。知る人は少ないが矢野兄弟のなかで、もっとも才能があると古今に渡り周りから期待されている。