忍者の謎を科学的な視点から明らかに!

企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」総合監修・山田雄司先生インタビュー!

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2016年7月2日(土)〜10月10日(月・祝)まで、忍者の謎を科学的な視点から明らかにする画期的な企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」(忍者展)が日本科学未来館で開催! 「忍者展」の見どころ、子どもたちが忍者から学んでほしいことなど、いろいろとお話しをお伺いしました!
クールジャパンの代表格として、世界中で人気の「忍者(NINJA)」。日本科学未来館では、夏休み期間を含む2016年7月2日(土)〜10月10日(月・祝)まで、忍者の謎を科学的な視点から明らかにする画期的な企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」(忍者展)を開催! 総合監修を務めた三重大学教授(日本古代・中世信仰史)で忍者の研究を行なっている第一人者 山田雄司先生に、企画展の見どころをはじめ、忍者の教えで今の世にも役立つこと、子どもたちが忍者から学ぶことについて話を聞いた。(インタビュー:2016年5月20日(金) / TEXT:キッズイベント 高木秀明 PHOTO:大久保景)

科学的な視点から忍者の謎に迫る「忍者展」!

ー 日本科学未来館で「忍者」の企画展、聞いただけでもワクワクします。

忍者(忍び)でおもしろいのは、それぞれの年代の方に、それぞれの忍者に対する興味や思い出があるということです。江戸時代以来、忍者については繰り返し物語がつくられ、それは今に続いています。だから親子でも、忍者についてならいろいろな話ができるんですね。

ー 忍者は超人やヒーロー的なイメージで捉えられることが多いと思いますが、江戸時代の方々も、今の子どもたちも、忍者に憧れるところは同じですか?

やっぱり“忍者ならこんなことができるかもしれない”という、アメリカなど海外のスポーツでも超人的なプレイが出ると“NINJA!”と表現されますよね、そういう人並みはずれたことができる、もしくはできるかもしれないというところが、今も昔も人々をワクワクさせていると思います。本当はできないかもしれないけど、できそうに感じさせているのは、まさしく“忍術”です。

ー 今回は日本科学未来館で開催される企画展「The NINJA」ですが、どのような内容になりますか?

いろいろなところで「忍者展」が開催されてきましたが、今までは忍者はこんな道具を使い、こんな歴史を持っていますというものでした。しかし今回は、忍術書や古文書に書かれている内容に対して、理科系の専門家の先生が現代の科学の視点から調査し、それは理に叶っていたものなのか、さらにその知恵を現代に活かすことができるのかなど、科学という視点から忍者に迫っているという点で、今までの忍者展とは大きく異なります。

ー 子どもたちが忍者修行を体験できたりもするんですか?

できます。たとえば忍者は音を立てずに建物内に忍び込みます。いわゆる「抜き足・差し足・忍び足」ですが、その歩き方の体験や、忍者は匂いに敏感だったので何の匂いかを当てたり、単なるパネルの展示だけではなく、忍者についてさまざまなことを体験し、忍者はこういうことができて、こういうことを知っていた人たちなんだ、ということを体感してもらいたいですね。

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忍者は日本の発祥で、自然や人との関わりに非常に優れた人たちで、時代とともに形を変えながらもずっと愛されている存在です。それを感じとって、日本の文化のひとつということで学んでもらえれば嬉しいですね

忍者の保存食「兵糧丸」、忍術を行なう前の「印」に隠された秘密が解明!?

ー 先生は総合監修をされていますが、具体的にはどのようなことをされていたのですか?

忍術書、古文書に書かれている情報を理科系の先生方に提供し、科学的な視点から調査をしていただきました。調査において行なわれた実験内容については、私は文系なので詳しくありませんが(笑)、調査結果と昔の記録を見て、それがどのような意味を持つか、どのように忍者たちに関係していたのかなどを考え、企画展に反映しています。

ー 理科系の先生方の調査で、今回新たにわかったことなど、何か発見はありましたか?

忍者の食べ物では「兵糧丸(ひょうろうがん)」という丸薬状の保存食がよく知られていますが、この成分について分析したところ、カロリーが高く腹持ちが良いだけではなく、体を活性化させるという側面もあり、何かことに望むときには非常に効果が高いことがわかりました。

また忍者は手や指を使って“印”を結びますが、忍者がやっている仕草や行動が、実際にどのような効果があるのか、いくつか実証することができました。たとえば印には、精神を落ち着かせたり集中力を高める効果がありました。

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ラグビーの五郎丸選手がキック前に行うルーティンの動作も、“印”に近いですね

忍者はどこからさまざまな知識を得ていたのか? 忍術学校もあった!?

ー そのような知識を、忍者はどのように学んだり、調べていたのでしょうか? 科学や自然に関する知識もたくさん持っていました。

ひとつは修験道(しゅげんどう)※1 の影響が強かったと思います。彼らは山から山を歩きまわり、自然や薬草に関する知識が豊富でした。忍者は修験道からそれらの知識を学んでいましたし、自分たちでも創意工夫をしていたでしょう。星から方角や時刻を知ることは感覚的にわかっていたと思いますし、いろいろな道具をつくったり、忍術書の中にはさまざまな知識が記されています。

専門家はある部分はすごく詳しいけれど他は知らないということがありがちですが、忍者はいろいろな分野に精通していたのがすごくて、さらに知識だけではなく実践していたところが素晴らしいですね。

※1 修験道(しゅげんどう)
山を神様の住むところと考え、悟りや霊力を得ることを目的に山に籠って厳しい修行をする人のこと。山伏など。

ー そのように蓄積した知識や技術は、たとえばアニメ「忍たま乱太郎」のように学校のようなものがあって次世代に伝えていたということはあるのでしょうか?

17世紀後半に書かれた「伊乱記(いらんき)」※2 という本によると、忍者たちは午前中は農業などそれぞれの仕事をし、午後になると集まって訓練をしていたと書かれています。やはりひとりでは限界があります。たとえば織田信雄※3 が攻めてきたときにどうするかは、事前にみんなで訓練していないと対処できないですよね。ここから攻められたら落とし穴を用意しておこうとか、そのため毎日集まって戦略を練ったり、トレーニングをしていました。

※2 伊乱記(いらんき)
天正七年(1579)年に起こった「天正伊賀の乱」の顛末を綴った書物。

※3 織田信雄
伊賀の忍者は織田信雄と争っていて、「天正伊賀の乱」は伊賀国で起こった織田氏と伊賀惣国一揆との戦いの総称。天正6年(1578年)〜天正7年(1579年)の戦を第一次、天正9年(1581年)の戦を第二次としている。

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忍者についての物語はいろいろありますが、先生のおすすめはアニメ「忍たま乱太郎」。当時はあるはずのない自動販売機があるなど、誰が見ても明らかに違うという大きな脚色はあっても、細かい部分は意外と史実に忠実だとか

日本を影で動かしていた忍者たち

ー まわりの人たちは、そこに忍者の村があるとか、忍者がたくさんいるとか、そういうのは知っていたんですか?

室町時代から戦国時代までは、みんなが半分農業、半分忍者をしていました。そこからだんだんと忍びに長けた人、適した人が専門家となり、織豊期(しょくほうき)※4 には専業の忍者が生まれ、傭兵として雇われるようになりました。江戸時代になると忍者の家として固定化され、その家に生まれた子どもは幼い頃から修行をし、術を授けられます。地図には家の名前が書かれていたので、ここの家はそういう人たちだというのは、みんなわかっていたでしょう。

※4 織豊期(しょくほうき)
織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代。永禄11年(1568年)〜慶長8年(1603)の安土桃山時代。織豊時代(しょくほうじだい)とも言う。

ー 忍者として有名な「服部半蔵」も、襲名していく名前だったようですね。

初代の服部半蔵保長(やすなが)は伊賀生まれで忍者だったようですが、二代目半蔵の正成は三河生まれの武将で家康のもとで活躍しました。4代目半蔵からは三重県の桑名で家老として仕え、明治初めまで代々「半蔵」を襲名しました。

ー NHKの大河ドラマ『真田丸』でも徳川家の忍者として服部半蔵、真田家の忍者として猿飛佐助が出てきますが、史実に近く描かれているのでしょうか?

微妙なところですね(笑)。それぞれの大名のもとに忍者がいたのは確かだと思いますが、当時の資料にそういう名前では出てきませんし、実際どこまでやったのかも書かれていません。でも忍者が情報のやりとりなどを行ない、家康を逃がすために関わっていたのは確かだと思います。

ー 教科書には出てきませんが、日本が大きく動いたときに、実は忍者が密かに活躍していたということはあるんでしょうね。

家康が天下統一に向けて、「大坂の陣」や、その前のさまざまな戦いにおいても伊賀者・甲賀者が情報を集めていたというのは書物からも出てきます。

江戸時代になってからの忍者の活動は、お城の門番や警備などで、江戸城の「半蔵門」は服部半蔵正成の屋敷がこの門の脇にあったことで有名です。そして何かあると頼まれて探索に行ったりもしていました。

たとえば幕末には多くの外国船がやってきていたので、その状況を調べています。長野の松本城に「芥川家文書」※5 という書物があります。芥川家は甲賀流忍者の家なのですが、これによると函館まで外国船の探索に行っています。当時、函館は開港されて外国船がやってきて居留地になっていましたから、その状況を調べているんです。

※5 芥川家文書
松本藩には甲賀流の流れを汲む忍者「芥川家」が実在しており、松本城では芥川家の古文書9点を展示している。

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三重県の津藩では、水面に波を立てずに静かに泳ぐ「観海流(かんかいりゅう)」という泳法があり、忍者が訓練をしていたという記録があります。おそらく異国船がやってきたときに沖まで小舟で行って、そこからは泳いで異国船に忍び込むということを想定していたんでしょうね

日本にはまだ忍者が残っている!? 和菓子からも忍者がわかる

ー 先生は何を手がかりに忍者についての古文書や書物を見つけ、研究しているのでしょうか?

忍術書自体はけっこうまとまって残っているんです。「伊賀流忍者博物館」※6 にはコレクターの人たちが集めたものがたくさんありますし、先ほどの「芥川家文書」、そして名古屋の「蓬左文庫」(ほうさぶんこ)※7 にも忍術書があります。

難しいのは古記録とか、そういうなかに忍者がどのように出てくるのか、これはもう全部のページをめくらないとわかりませんので、たまたま見つけるとか、そういうこともありますよね。

あとは、まだ調査されていない書物もけっこうあると思います。この前知り合った方が伊賀流忍者の末裔で、秘蔵の書物があるそうです。

伊賀や甲賀の末裔の方はけっこういらっしゃいますし、江戸に移ってきた方もいて、そのような家には未だに公開したことのない書物がけっこうあると思います。今回の企画展を機会に、そういうものも発掘されていくと、もっともっと忍者のことがわかっていいんですけどね。

※6 伊賀流忍者博物館
三重県伊賀市の上野公園内にある忍者に関する博物館。あちこちに防衛のための仕掛けがほどこされた屋敷をはじめ、本物の忍具の展示、手裏剣打ちや忍術の体験もできる。忍者ショーも開催。

※7 名古屋市 蓬左文庫(ほうさぶんこ)
尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫。

ー まさに、まだ日本には忍者がいる、ということですね。そういう末裔のような方々は、今、どのようなお仕事をされているのでしょうか?

お医者さんや和菓子屋さんだったり、忍者的な仕事ではないですね。

でも三重県の関というところに「関の戸」という和菓子屋さんがあるのですが、そこのご主人は服部さんという方で、忍者の末裔です。この和菓子屋さんは昔から街道沿いにお店があるのですが、怪しい人がいないかチェックして報告していたようですね。

私は和菓子の研究をすると非常におもしろいと思っているんですよね。たとえば先ほど忍者の保存食「兵糧丸」の話をしましたが、この中にはニッキ※8 が入っているんです。ニッキは京都の八つ橋に入っていますよね。おそらく戦国時代、八つ橋は“戦のための食”という意味合いでつくられていて、しかし江戸時代になって戦がなくなり、その需要がなくなったため一般庶民用の和菓子に変わっていったんじゃないかと思っています。先ほどの「関の戸」の服部さんもおそらくそうなので、和菓子を研究すると忍者についてもいろいろなことがわかるのではないかと思っています。

※8 ニッキ
ニッキには、鎮静効能(神経の興奮を鎮めリラックスさせる効能)や鎮痛への効能(痛みの病気・症状への効能)、腹痛、下痢の改善、発熱、おう吐の予防などの効果がある。

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忍者というと天井裏に貼り付いて聞き耳を立たてているイメージがあります。もちろんそういうこともしていたでしょうが、実際には仲良くなって、それで情報を聞き出すというのが大事なやり方として記されています

子どもたちが忍者から学ぶ“生きる力”に“コミュニケーション能力”
今にも通じる、忍者が使っていた人心掌握術

ー 今回の企画展にはたくさんの子どもが見に来ると思います。子どもたちが忍者を知ることで、これからの生活に役立つこと、役立てられることはありますか?

忍者というのは “生きる”という力を非常に高く持っていた人たちだと思うんですよね。いろいろな場面を切り抜けて生き延びるために自然を知り、風の音や太陽の方角、さまざまな匂いなどから敏感にいろいろなことを察知していました。

もうひとつ大事なのは非常に“コミュニケーション能力”に優れていていたということ。それによってさまざまな情報を得ていました。

今の私たちは機械に向かいがちですが、機械のない時代では自然や人との関わりから情報を得て最先端の活動をしていました。お子さんには自然や友だちとの体験を通して、いろいろなことを感じとる、もともと人間が持っている“人間力”を高めるのに、ぜひ忍者をきっかけにしてもらえたらと思います。

ー 人との関わりやコミュニケーションは、子どもだけではなく大人にとっても大きな悩みごとのひとつです。忍者が実践していたコミュニケーション能力の上げ方や人との円滑な付き合い方はありますか?

当時はお寺や神社に権力を持っていた人がいたので、たくさんの情報が集まっていました。忍者はそこの人と仲良くなるために興味のある話題や好みを探り、お酒を飲んだり贈り物をしたり、敵やよそ者と思われると距離をおかれてしまうので、親近感を得ることで普段話さないことを聞き出していました。

上司と部下の関係についても、部下が間違えたからと頭ごなしに、逃げ場のない怒り方をしてはいけないとか、ときには褒め、ときには厳しく、その塩梅が大事ということも書物に書き残しています。

生き延びて情報を伝えるという忍者の仕事

ー 今も昔も人間関係の悩みは同じなんですね。特に戦国時代の忍者は、今で言う諜報部員、スパイと同じような役割をしていたようですが、忍者ならではの仕事もあったのでしょうか?

一番の仕事は、やはり“情報を得てくる”、ということ。そしてそのためには“戦わない”ということが大事なんですね。生き延びて情報を伝えるという。戦うと死んでしまう可能性も高くなるので。

忍者には戦うイメージがありますが、あれはショーとしての部分が大きくて、忍者のことを詠んだ歌にも「逃げるが勝ち」と書かれています。そして敵の建物などに侵入して得た情報を伝えるためには、壁を乗り越えたり堀を渡る肉体が必要で、そのために日々訓練をしていました。兵法や儒学などの本を読むようにということも書いてあります。知識を得ることも重要です。

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「水蜘蛛(みずぐも)」も、あれでは水の上は歩けないですね(笑)。最新の研究では、浮き輪のようにして使ったと考えられています。また、それとは別に沼の上を歩くかんじきのような道具もありました

全国の子どもたちの力を借りて、忍者を調べよう!

ー 先生は沼津の生まれですが、近くの小田原には風魔小太郎という忍者がいました。三重の伊賀や滋賀の甲賀は有名ですが、自分の住んでいるところも、調べれば忍者がいたということはありますか?

あるかもしれません。名古屋や会津、那須にも忍者はいました。基本的にお城があるところには忍者がいて、主君に命じられて城下の見回りや探索をしていたはずです。でもそういうのは隠れてやることなので、資料としては残っていないということはあると思います。でも着目されていないだけで、資料が残っていることもあるでしょうね。

ー 子どもたちが自分の住んでるところにも忍者がいたらおもしろいなと思ったのですが、お城が近くにあれば、調べてみてもいいかもしれないですね。

地元の方にもあまり知られていなかったのですが、長野県の松本にも忍者がいました。実際に古文書も残っていて、いくつかの流派があって、名前も残っていたんです。私もまだ調べられていないので、松本でお子さんを対象に講演をしたときに、名前と住んでいた場所はわかっているので、子孫の方がいらっしゃるか、資料があるか、夏休みの自由研究で調べてみてねとお願いしました(笑)。

ー 子どもたちの力を借りて、そういう調査が全国でできるとおもしろいですね。

えっ!? 忍者は手裏剣を使っていなかった!?

ー 三重大学でも忍者の講座があってたくさんの学生さんが受講していますね。学生さんたちからの反応・反響はどうですか?

うちの学生は三重県出身が1/3、愛知県出身が1/3、他県からが1/3くらいなんですが、三重県に関する歴史や文化を勉強してもらいたいと思っています。そのなかでも忍者は昔からある存在ですし、三重県は海女さんと忍者が観光の大きな部分を占めているので、三重県のことを知ってもらうためには忍者を知ってもらいたいと思ってやっています。

反応はいろいろありますが、たとえば手裏剣は忍者と関係がなかったんだと説明すると「え〜っ! そうなんだ」となりますね。

ー えっ! そうなんですか?

別に関係ないんですよ。

ー 鉄は貴重だったので、あんなにバンバン使ってはいなかったと聞いたことはあるのですが‥‥。

忍者と手裏剣と密接な関わりが生まれたのは昭和になってからの話で、大正の書物を見ても忍者と手裏剣の話はありませんし、忍術書を見ても手裏剣の絵は一切ないんです。忍者展と合わせて手裏剣大会なども行われますが、史実とはしてはそうなんです(笑)。

ー 手裏剣は縦に持って投げるとかやってますよね。そうすると、手裏剣ってそもそも誰が使っていた武器なんですか?

武士がたしなみのような形でやっていたものです。江戸時代には手裏剣術というものもありました。忍者が何かあって逃げるときに最終的に持っていたものを投げる、そういうことはあったようですが、手裏剣を持っていたわけではないんですね。

でも私は、だからといって各地でやっている手裏剣大会とか、今回の企画展でも手裏剣体験をやりますが、それを否定したり、止めた方がいいということではないんです。それはそれでひとつの忍者の文化として今に伝わっているものですし、手裏剣を忍者の武器にしようと、これを思いついた人は天才だと思いますね。

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忍者とは言え、やっぱり人間としてできる、できないはあります。でも、できないことをいかにもやっているように見せるのがうまい。手品と同じで本当はタネがあるんだけど、ないように見せかけている。忍術にもそういうところがありますね

私たちはまだ、忍者の術中にはまっている

ー 昭和の時代に忍者と手裏剣が結びついたということですが、何かきっかけや物語があったんですか?

「忍びの者」※9 という小説や、テレビ番組の「隠密剣士」※10 、そういうところから結びついていくみたいですね。実際、メリケンサックやかぎ爪みたいに手にはめる武器は忍者が使用したという記録はありませんが、塀を登るときに使う「かぎ縄」や「まきびし」は使っていました。刀と脇差しは持っていましたが、基本的に忍者は戦いの武器は持っていなかったんですね。

でも怪しげな道具があると忍者と結びつけられ、手裏剣も、これを忍者が使っていたらおもしろいなということではじまったと思うんですよ。よくわからない道具は忍者のものだと、それは忍者がそれだけ妄想を広げられるだけの得体の知れない魅力的な存在ということで、いろいろなことを忍者に詰め込むことができる懐の広さなんですね。

ー それはまさしく本当の忍者が望んでいた姿ですよね。得体の知れないというのは。

そうです。正体をわからなくさせて、忍者だとこんなことをやったかもしれないし、100メートルを5秒で走ったかもしれないみたいなことを思わせることが大事なんですね。

ー ということは、我々はまだ忍者の術にかかっているということですね。

そうです、そうです(笑)。

※9「忍びの者」
1960年11月から1962年5月まで『赤旗』の日曜版に連載された村山知義の歴史・時代小説。戦国時代を舞台に、権力者たちに利用される下忍たちの悲哀と反抗を描いた作品。

※10「隠密剣士」
1962年10月から1965年3月までTBS系で放送された連続テレビ時代劇。忍者ブームの火付け役ともなった。1964年に東映京都で劇場用映画として2本映画化された。

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外国人の方は、最近ではアニメ「NARUTO」から忍者の影響を受けた若者が多いですね。あとは剣道や柔道、空手などの武術のひとつとして忍術を認識している方もいらっしゃいます。いろいろなところから忍者に興味を持っている人がいます

史実としての忍者と、
エンターテイメントとしての忍者をつなげた不思議な人たち

ー 忍者についていろいろな研究をされていますが、未だに解明されていない謎はありますか?

私が一番知りたいのは、江戸時代に自分で忍術の修行をして達人になった人、たとえば動物の物まねをしてどこにでも忍び込めるようになった人とか、潜るのが得意でお堀の地形を調べてしまった人とか、いろいろな記録から“忍術使い”と呼ばれるような人がちょこちょこと出てくるんですが、こういう人たちがどのように出てきて、実際にどんな技ができたのか、そういうことを知りたいですね。

ー 今で言う手品師、イリュージョニスト、大道芸人みたいですね。江戸時代、平和になって忍者の需要がなくなったため、そういう人たちが出てきたのでしょうか?

そういう人たちもいましたね。そこから物語が生まれたり、浮世絵で描かれたり。単に忍び込んで情報を得ていたという話を書いてもおもしろくないですし、実際に忍術と称していろいろなことをやりはじめた人たちがいて、その人たちが話題になって、それを話にするとヒットしました。エンターテイメントとしての忍者と、史実としての忍者をつなげた不思議な人たちがいたんです。

各地で講演すると、ご年配の方に「忍術使いを見たことがありますか?」と聞くんですが、村に来ていたよ、という人がいて、たとえば鉄の棒を喉に当てて曲げてしまうとか、火を吹くとか、忍術使いという人がいろいろなことをやったと言うんですね。そういう人は系譜として本当の忍者かどうかはわかりませんが、技を編み出して忍術使いとして興行してまわっていた。そういう人たちが、今の忍者像をつくりあげてきたんですね。

ー 忍者をこれだけ魅力的にした功労者でもありますね。先生の今後の忍者研究の目標は?

忍者としては外国でも引き続き講演をして、日本の文化として広めていきたいなと思っています。三重大学としても、世界の忍者研究の拠点となるべく理科系の先生も巻き込んでいろいろやっていますが、それをもっともっとブラッシュアップしていきたいですね。

ー 理科系の先生方の反応はどうなんですか?

最初は「えっ! 忍者なんてやるの?」という感じだったんですが(笑)、どの年代の先生方も子どもの頃には忍者に関心があったりして、子ども心をくすぐられるというか、それを実験して確かめるのは、おもしろがってやってくれていますね。今回の企画展でも子どもさん向けにいろいろやりますが、実際に体験して、楽しんでいただければ嬉しいですね。

ー 最後に今回の企画展の見どころと、子どもたちに感じとってもらいたいことを教えてください。

ひとつは、忍者は日本発祥でずっと愛されてきた存在だということを知ってほしいですね。そして当時の忍者は最先端の知識を集め、勉強し、実践するために地道にコツコツ訓練や勉強をして自分自身を高めていたんです。今の私たちはどうしてもすぐに結果を求めてしまいがちですが、忍者は試行錯誤しながらいろなものをつくりあげてきたんですよね。ですから子どもたちには、自分の頭で考え、試行錯誤することの大切さを学んでほしいですね。失敗してもいいんです。今は失敗に対して厳しいですが、失敗から学ぶことの方が多いし、あとあとまで自分の体験として残りますから。そして、外に出て自然などいろいろなことを感じて、体験し、自分の持っている力を高めてもらえたらと思っています。

“修行”というと滝に打たれる、というイメージがありますが、我慢することも、車で行くところを歩いてみるとか、修行の要素というのは、日常のなかにたくさんのヒントがあります。そういうものを活かして、“人間力”を高めてもらいたいですね。

【体験レポート】企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」に行ってきた! お笑いトリオ「パンサー」も忍者修行体験!

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印を結んだときの脳波の実験はおもしろいですよ。テスト前に集中力を高めたいとか、スポーツでもここ一番のとき、サッカーやバレーでも日本代表選手が試合前にみんなで印を結んで集中力を高めていたら、効果もあるし、外国選手は圧倒されるかもしれない

Web企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」

クールジャパンの代表格として、映画やアニメなどで世界中に広く知られている「忍者(NINJA)」。しかし実在した忍者の姿は、いまだ謎に満ちています。

近年、三重大学などの学術的研究によって「真実の忍者」が明らかになってきました。忍者は日本文化を体現した存在であり、忍術は自然や社会に対する多種多様な実践的知識の蓄積だったのです!

企画展「The NINJA -忍者ってナンジャ!?-」(忍者展)では、そんな忍者の能力に科学の視点から迫ります。いったい忍者ってナンジャ!? その謎が明らかになる画期的な企画展です。

インタビュー後記

子どもの頃から興味があるのは怨霊や祟り、忍者研究をする前は大学でそちらの研究をしていたという山田先生は、プロレスや博物館巡りも好きな、天文学者に憧れた少年だったそうです。興味の幅が広く、今回のインタビューでもいろいろなことを、とても楽しそうに話してくれました。

史実としての忍者と、今多くの人が持っているイメージとしての忍者との間をつなげたエンターテイメントとしての忍者の存在は、とても興味深いものでした。その時代を生きるために必死に勉強し、創意工夫し、自らを高めた、バイタリティにあふれる人たちだったのだろうと思います(怪しい人もいたかと思いますが)。

インタビューの後は食品メーカーの方々を対象に講演を行なうとおっしゃっていた山田先生。忍者はいろいろな知識やものごとに精通していたため、食品はもちろん、運動や山や星などの自然と、いろいろなことに結びつけ、関わることができるのも魅力と話してくれました。

私自身、子どもの頃からさまざまな忍者の物語を読み、忍者に憧れて育ちました。「忍者展」では、あの頃のワクワクした気持ちにも出会えそうです。子どもと一緒に見に行けば、親子の話題も増えそうです。忍者はいつの時代も、多くの人の想像を掻き立て、くすぐる存在なんですね。全国の子どもたちと協力して、忍者について調べられたらおもしろいだろうなぁ。

20160520_interview_yamada_yuji_prof山田雄司(やまだ ゆうじ)

三重大学教授(日本古代・中世信仰史)。静岡県生まれ、京都大学文学部卒、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。博士(学術)。怨霊・怪異など日本人の霊魂観に関する研究のほか、三重大学伊賀連携フィールドで忍者研究に携わる。主要著書に『怨霊とは何か』(中公新書)、『忍者の歴史』(KADOKAWA)、共編著に『忍者文芸研究読本』(笠間書院)、監修に『忍者修行マニュアル』(実業之日本社)など。